「遺伝で決まったことを、変えられるわけがない」――この連載のタイトルを見た方は、そう思われたのではないだろうか。だが、もしこれが、「完全に間違っている」としたら? 実はいま、ゲノム編集と並んでいまホットな遺伝子のトピック「エピジェネティクス」によって、私たちが遺伝子に対して抱く常識は、ことごとく覆されているのだ。
遺伝学者にして医師、起業家、作家、という多才な肩書を持つシャロン・モアレムが贈る極上のノンフィクション『遺伝子は、変えられる。』から、遺伝子の最前線へと誘うプロローグをお届けしよう。

「遺伝=運命」はもう古い?
「遺伝子スイッチ」エピジェネティクスとは

 あなたは、中学1年生のときのことを思い出せるだろうか。

 クラスメートの顔。先生、事務の人、校長先生の名前。始業や終業のチャイムの音。スロッピージョー〔ひき肉をはさんだバーガー〕が献立に出た日のカフェテリアの匂い。初恋の胸の痛みはどうだろう。いじめっ子にトイレで出くわしてパニックに陥ったときのことは?

 そうしたことすべてを鮮明に覚えている人もいるだろうし、中学時代の日々は、子供時代の他の多くの記憶といっしょに、ぼんやりした霧に埋もれているという人もいるだろう。

 だがいずれにしても、そうした記憶が今でもあなたの中に残っていることは間違いない。

 人は、経験したことすべてを精神というナップサックの中にしまって背負いつづける、という事実は、かなり前らわかっていた。たとえ意識の上に呼び起こせなくても、精神のどこかにとどまり、潜在意識の中にたゆたって、予期せぬときに浮かびあがってくる――本人の都合などおかまいなしに。

 だが実際は、もっと複雑だ。人の身体は常に変わって再生しつづけ、いじめっ子や初恋、はたまたスロッピージョーのような些細な記憶までのあらゆることが、ぬぐい去れない印となって残っていく。

 さらに重要なのは、それらがゲノムに刻み込まれるということだ。

 もちろんこれは、30億個の文字が連なった遺伝的「継承物(インヘリタンス)」について学校で習ってきた話とは違うだろう。グレゴール・メンデルによって19世紀半ばに行われたえんどう豆の遺伝形質に関する研究が遺伝学の基礎に据えられて以来、「あなたがどんな人間になるかは、祖先から引き継がれてきた遺伝子に完全に依存している」とされてきた。お母さんからちょっともらってきて、お父さんからもちょっともらってきて、ちゃちゃっと混ぜれば、さあ、あなたの出来上がり、とでもいうように。

 遺伝に関するこの化石然とした考えは今でも中学校で教えられていて、生徒たちはこうした考えのもとに、目の色、巻き毛、舌の両側を巻いて筒型にする能力、指にあるムダ毛などがどこから来たのかを調べようとして家系図を作る。そうして得た、まるでメンデル自身が石板に書いたみたいな結論は、「お母さんとお父さんがあなたを作った瞬間に、遺伝によって受け継ぐものは完全に決まってしまったのだから、あなたが何をもらったか、何を子孫に与えるかについては、選択の余地などほぼまったくありません」というものだ。

 でも、これは完全に誤っている。

 なぜなら、たった今も――デスクの前の椅子に座ってコーヒーをすすっていようが、自宅のリクライニングシートに沈みこんでいようが、ジムでサイクリングマシンを漕いでいようが、はたまた国際宇宙ステーションで地球周回軌道に乗っていようが――あなたのDNAは常に改変されつづけているからだ。それは言ってみれば、何千という小さな電球の個々のスイッチが、あなたがやっていること、見ていること、感じていることに応じて、オンになったり、オフになったりするようなものだ。

 このプロセスは、あなたがどこでどのように暮らすか、どんなストレスを被るか、何を食べるかなどによって仲介され、調整される。

 そして、これらはすべて変えることができる。つまり、あなたは確実に変わることができるのだ――遺伝子的に。

 とは言っても、ぼくらの人生が遺伝子によって形づくられてもいることを否定するわけではない。それは、ほぼ間違いないだろう。実際、ぼくらの遺伝的な継承物――ゲノムを構成しているヌクレオチド〔DNAやRNAを構成する単位となる物質〕の「文字」――は、どんな突飛なSF作家でもほんの数年前まで思いつかなかったような方法で、ぼくらの人生を形づくり、影響をおよぼしていることが判明しつつある。

 ぼくらは日々、新たな遺伝の旅路に乗り出すためのツールと知識を増やしつづけている――使い古された海図を人生というテーブルの上に広げ、その上に、自分自身、子供たち、そしてさらなる子孫がたどることになる新たな航路を描くために。また、何らかの発見がなされるたびに、遺伝子がぼくらにおよぼす影響とぼくらが遺伝子におよぼす影響の理解もそれだけ深まっている。そしてこの「フレキシブルな遺伝」という考えが、あらゆる物事を変えつつある。

 食物と運動。心理と人間関係。医薬、訴訟、教育、法律、権利、長年信奉されてきた定説と深く根差した信念。

 こうしたものすべてが変わろうとしているのだ。

 死さえもしかり。今の今までほとんどの人は、自分の人生の経験は自分の命が終わるときに消えると考えてきた。だが、それすら誤りなのだ。ぼくらは自分の人生経験の集大成であるだけでなく、自分の両親や祖先の人生経験の集大成でもある。遺伝子は、簡単には物事を忘れない。

 戦争、平和、饗宴、飢饉、離散、病気――あなたの祖先がこうしたものを経験して生き延びてきたのだとしたら、あなたもその影響を受け継いでいる。受け継いでいるなら、何らかの方法でそれを次の世代に受け渡す可能性もそれだけ高いというわけだ。

 それはがんを患うことかもしれないし、アルツハイマー病、肥満になることかもしれない。あるいは長寿をまっとうできることかもしれないし、ストレスを乗り切る力や、幸福そのものを手にすることかもしれない。

 そして受け継いだものがよいものであれ悪いものであれ、それを受け入れたり、拒否したりすることが不可能ではないことをぼくらは学びつつある。

 この本は、その道筋を示すガイドブックだ。

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