鈴木慶一が語る、日本語ロックの源流はちみつぱい45年越しの真実

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1970年代初頭、フォーク・ロックの黎明期ともいえるこの時代に活躍したロックバンドイ呂舛澆弔僂イ蓮△呂辰圓い┐鵑匹閥Δ貌本語によるロックを作り上げた伝説の存在だ。

それから45年経ち、はちみつぱい唯一のスタジオアルバムとして73年にリリースされた『センチメンタル通り』が、今年2月に『センチメンタル通り[Deluxe Edition]』として生まれ変わった。その内容はアルバム楽曲のリマスターに加え、未発表のリハ音源を収めたCD、74年のシングル『君と旅行鞄』の7inchアナログ盤、ハイレゾ音源データを収録したDVD-ROMが同梱されるという、まさに豪華盤となっている。
まるではつみつぱいのすべてを集約したようなこの作品は、45年前当時の風景を呼び起こさせるのと同時に、これまでメンバーも知らなかったような新たな真実もいくつか掘り起こされたという点で歴史的発見と言えるだろう。そんな今作を通して、はちみつぱいのフロントマンであり日本のロックの立役者ともいえるミュージシャン・鈴木慶一に当時の様子を語ってもらった。
 
―今年伝説のベルウッド・レコードが45周年を迎えるということで、まずは2月にはちみつぱい唯一のスタジオアルバムのデラックス盤『センチメンタル通り[Deluxe Edition]』がリリースされました。当時の収録曲のリマスターに加え『君と旅行鞄』のアナログEP復刻版や、未発表のリハ音源まで収録されたまさにお宝ですよね。このリリースのきっかけって何だったんですか?

かしぶち(哲郎)くんの家にあったカセットテープにリハ音源が入っていたんだよ。彼が持っていることは誰も知らなかったんだけど、息子の橿渕太久磨くんが色々音源を整理していて、それで出てきた。

―なるほど。久々にリハーサルのテープを聴いて、新たな発見ってありました?

新たな発見というか、これによって分かるのは、はちみつぱいとムーンライダーズの間のことだね。ここでボツになった曲がムーンライダーズで使われたりしている。つまり、はちみつぱいに向いている曲と向いていない曲を吟味してたんだな。かしぶちくんの曲『春の庭』なんかはその10年後、83年のソロアルバム『リラのホテル』まで引っ張っていくわけで。

―この中で慶一さんにとって一番古い曲は『塀の上で』になるんですか?

いや。もっと古い曲もあるよ。例えば『薬屋さん』とか。中でも『土手の向こうに』が一番古いかな。

―それこそ慶一さんが高校生時代の曲?

うん。元は全然違うアレンジだったんだけど。そうそう、あがた森魚をリードボーカルにして1回録音したこともあった。そこからどんどんアレンジが変わって、最終的にアルバムに収録された形に落ち着いた。この曲、コード進行がボブ・ディランの『天国への扉』に似てるって言われてるけど、実はこっちの方が先なんだよ。気になって調べたんだけど、『天国への扉』は73年の『ビリー・ザ・キッド』という映画のサントラに収録されていて、『土手の向こうに』はそれ以前からやっていたから。当時いいコード進行思いついたなって思ってたけど、ディランも思いついたんだね(笑)。

―それは声高に言っておかないとですね(笑)。ところで、当時はロックを日本語で歌うか英語で歌うかという論争があって、日本語歌詞をはっぴいえんどが切り開いて、はちみつぱいがそれを継承したと言われていますが、そういう意識って慶一さんの中にはあったんですか?

いや、そういう感覚はなかったな。ただ、はっぴいえんどは70年にデビューしたわけだけど、その前の69年くらいのライヴ音源を、70年初春にあがたくんと出会ってカセット録音を聴かせてもらって、これはやばいぞ、と思った。そう思わせてくれたのは、はっぴいえんどと頭脳警察と遠藤賢司さんだったな。確か、テレビで遠藤賢司さんと頭脳警察を観たのも69年だと思うんだ。それを観て、自分がやろうかなと思ってることをやっちゃってる人がいる、これは急がなきゃと思った。その当時、私は高校3年なんだけど、それで音楽でやる決心がついたかもしれない。もちろんそれまでも曲は作っていたけど、日本語というよりデタラメな英語とかでやってたから。英語か日本語かというのはあんまり意識してなかった。当時の主流はGS(グループサウンズ)だったからね。そこにジャックスがでてきて、日本語でこんなことができるんだってのはあったけども、とどめを刺してくれたのが頭脳警察と遠藤賢司さん。そしてその直後のはっぴいえんど。要は、私は年齢的に次の世代なんだよ。1、2年だけどね。だからすんなり日本語で普通にやり始めた。はちみつぱいの曲は言葉を伸ばすんだよね。ヅ攫蠅里爐魁爾法囚イ箸。