初のウズベキスタン人Jリーガーのムサエフ。ホームで2試合連続ゴール! 写真:田中研治

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[J1 7節] ジュビロ磐田 2-1 サガン鳥栖 
2017年/4月16日/ヤマハ スタジアム
 
 ウズベキスタン人として初のJリーガーとなるジュビロ磐田のMFムサエフが、サガン鳥栖戦のアディショナルタイムの90+4分に強烈なショットを突き刺し、ドラマチックな逆転勝利をもたらした。清水エスパルスとの静岡ダービーでの左ボレーに続く、ホームゲームでの2試合連発は、いずれもインパクト十分。早くも磐田サポーターの心を鷲掴みにした。
 
 昨年12月21日に獲得が決まったが、来日は遅れた。1月13日の新体制発表と14日のチーム始動には間に合わず、19日から全体練習に合流した。
 
 母国のウズベキスタンは、16年9月2日にイスラム・カリモフ前大統領が死去。ソビエト連邦崩壊に伴う同国独立後から25年もの間担ってきた政権が終わり、内政が一時混乱に陥った。そういった政治的事情により、ビザの発給にも時間がかかってしまったのだ。
 
 また、日本に来て最初にぶち当たった壁が「言葉」だった。母国の公用語はウズベク語。ロシア語は比較的ウズベキスタンで今も使われているが、英語は稀。カタールやイラン(ペルシア語とウズベク語は共通点が多いというが)でのプレー経験があるムサエフは来日後、「少しだけ話せるレベル」と言う英語の猛勉強に取り組み、単語と文法を頭に叩き込んでいった。
 
 その適応力は抜群だった。性格は明るく前向き。しかも真面目。キャンプ中は積極的にチームメイトの輪に飛び込んでジェスチャーを交えコミュニケーションを取りつつ、ひとりになれば重要な日本語を英語や母国語に変換して覚え、そうしながらピッチ上での関係性も深めていった。
 
 2月8日のニューイヤーカップの北九州戦(磐田が1-0勝利)では74分からボランチとして途中出場し球際の強さは示したものの、連係面に課題を抱えてあまり目立ったプレーを見せられなかった。とはいえ、そこはやはりウズベキスタン代表歴(20試合・0得点)のある実績あるファイターだ。
 
 短期間で自身の課題を克服していき、2月25日、C大阪との開幕戦では4-2-3-1のボランチとして、スタメンに名を連ねた。ピッチに立てば恐れず相手に牙を剥いて襲い掛かり、ボールを奪っていく。ぎこちなさはあったが、結果はスコアレスドロー。「守備はまずまずだった。しかし、攻撃面では全体的に、色々な面でレベルを上げていかなければ」と、ムサエフは語っていた。
 
 とはいえ昨季の磐田は、リーグ戦で初めて無失点を記録するまで8試合も掛かっていた。ムサエフが中盤の底のポジションに入り、守備面で結果を残した。それはチームにとっても、小さくない収穫だった。
 
 そして全試合フル出場を続けるなかで迎えた、4月1日の5節・清水戦。先制点を奪って勢いに乗る37分、中村俊輔のFKからのこぼれ球を左足のボレーで合わせ、Jリーグ初ゴールを記録した。4万人を超す静岡ダービーの大観衆の前で、ウズベキスタン人初ゴールという歴史に残る1ページを刻んだ。
 
 さらに4月16日の7節・鳥栖戦、背番号8が「僕の人生の中でも過去にない、最も痺れたゴール」を決める。
 
「守備的な潰し合い」(鳥栖・フィッカデンティ監督)が続き、ムサエフも相手のトリプルボランチへのチェックに細心の気を配り、攻撃には思うように関与できずにいた。すると88分、CKから豊田陽平にヘッドで先制されてしまう……。しかしキックオフからの再開後のプレーで、宮崎智彦のロングキックから中村が折り返し、アダイウトンのボレーシュートが決まり、瞬く間に1-1に追い付いた。
 
 そして90+4分、ボールを収めた中村が左サイドへ展開。パスを受けたアダイウトンのクロスに、川辺と藤田優の空中戦の競り合いからルーズボールが鳥栖ゴール前へこぼれた。