台湾台北市の法輪功学習者たち。2016年、弾圧による法輪功学習者の犠牲者を弔う式典で(明慧ネット)

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 記者:「中国当局は宗教の自由を認めている。だが(カルトと共産党にみなされている)法輪功の制圧は、社会の安定のためだ」との意見があります。法輪功は社会にどのような影響を与えていると思いますか?

 余弁護士:現在の中国は無神論的な思想で統治されている国。信仰の自由を許していないし、無神論的な管理体制から抜け出すことも許しません。佛教協会など、伝統的な宗教はみな組織化されていますが、実質的には党が管理しています。

 中国当局は、表向きには信仰の自由という看板を掲げてはいますが、実際には共産党以外を信仰することを許していないのです。ですから法輪功を信じる人が多くなれば、当局は(コントロールできない組織が大きくなるとみて)規制をかけ、もっと情け容赦なく弾圧します。

 これまで多くの法輪功学習者と接してきましたが、全ての中国人が法輪功の教えに身をゆだねれば、共産党が言うところの「調和のとれた社会」が実現すると感じています。私たち中国人の多くは、問題が起きるとすぐ人のせいにして、自分の責任から逃れようとするものですが、法輪功学習者は違いました。彼らは問題が起きると自分自身に目を向けて、自らを改めようと努めていました。

弁護方針は「右手に剣、左手に盾」

 記者:法輪功学習者の弁護を数多く引き受けるようになってから、余先生の弁護方針は変わりましたか?

 十年前の私の弁護方針は、主に守りに徹するというものでした。検察官が剣を振り上げ、弁護士が盾で被告を守るという構図です。ですが、盾ができるのは守ることだけ。法輪功の弁護では、盾だけでは不十分です。盾でいくら防いでも、弾圧政策には何の効果もありません。

 今の私の弁護方針は、法廷に出る時、右手に剣を、左手に盾を持つべきだというものです。剣を携えて法廷に立ち、法に背いているのは彼ら検察官であり、彼らこそが学習者らを罪に陥れ、犯罪に関わっているのだという事実を突きつければ、相手は恐れを抱きます。警察だろうが、検察院だろうが、法廷だろうが、「法輪功の迫害を続ければ、将来的に責任を追及されるかもしれない」と考えざるを得ないのです。

 裁判のたびに検察や裁判官の様子を観察していますが、彼らもすでに多くの法輪功案件を処理したので、たいてい人の話を真面目に聞いていません。ですが私が、彼ら自身の犯罪行為を指摘すると、彼らの様子は一変します。検察官はぱっと頭を挙げて耳を傾け、裁判官もしかり。「法輪功弾圧の責任を取らされる!」と思い知るのです。

 ですから、法輪功の弾圧こそが犯罪行為なのだということを、彼らに知らしめなければなりません。

過去に何度も? 江沢民派による法輪功創始者暗殺計画

法律で「カルト」指定されていない法輪功 弾圧は犯罪

 法律で、法輪功の学習が犯罪行為になるとは定められていません。中国共産党は14の宗教団体をカルトに指定していますが、その中に法輪功は含まれていません。もっとも、この14の団体のカルト指定も非合法的に行われたものなのですが。公安部や国務院官房、中国共産党中央委員会事務局のいずれも、何かをカルトに指定する権利を持ってはいないのです。

 こうした考え方の転換が最後にまとまったのは、天津で行われた周向陽さんと李姗姗さんの裁判での最終弁論でした。この最終弁論で、1999年から現在まで、17年間にわたり中国当局が法輪功に対し行ってきた政治的弾圧を総括し、彼らこそが真の犯罪者であると指摘しました。

 この裁判は私に、法輪功のみなさんに対して私がなすべきことをする機会を与えてくれたと思っています。法輪功のみなさんは、中国の人権を支えるための空間を作ってくれたと感じています。もし彼らがいなかったら、中国の人権問題はもっと悪化していたでしょう。

(つづく)

(翻訳編集・島津彰浩)