フジテレビが自己批評する番組で「煽りVTRとは何か」を特集すると聞き、反省の弁かと思ったら胸を張った自慢だった件。
スポーツに煽りVTRを持ち込んだのは誰だ!

何日か前の話になりますが、最近何かと話題のフジテレビで「週刊フジテレビ批評」という番組を見ました。視聴者からのまっとうな意見を読み上げるだけ読み上げて、「お話は拝聴しました」という神妙な顔をしてから、気持ちよくスルーをするという番組です。朝まで飲んじゃった金曜日に既読スルーを見せられることでおなじみの番組です。

15日放送分のテーマは「煽りVTRとは何か」でした。ほほぉ、と身を乗り出すようなテーマです。僕も煽りVTR自体は嫌いではありません。エンタメの一部として、よくできたショートコントのような味わいがあります。しかし、このところ地上波スポーツ中継にどんどん煽りVTRの比重が増してきているような気がしており、行き過ぎの傾向を感じています。

特にフジテレビ。ちょうどこの番組の少し前に行なわれていたフィギュアスケート関連番組では、日本人注目選手が「今、まさに演技をしようとしたそのとき、生中継をぶった切って煽りVTRを放送する」という暴挙を演じていました。そのあたりについて反省なり弁解があるだろうと思って番組をチェックしたというところもありました。

しかし、そこで展開されたのは「ショートコントの作り方」を延々と自慢するという、期待とは若干異なる方向の番組でした。F1中継や格闘技番組などで煽りVTRを作ってきたというディレクター氏が語る「煽りVTR」の作り方は、まさに煽るための仕事術。「知らなくても作れる」「これは●●のマルパクリ」「無理やり関係ないものを混ぜる」といった煽りテクニックは参考になると同時に、「だからナチュラルにイラッとするんだな」という腹落ちを与えるものでもありました。

↓たとえばこんなVTRを作ったというお話です!


ラスカス駐車場の年のVTRですね!

往年のファン感涙の男たちの姿!

でも、この人たちがどうスゴイのかまったくわからん!

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シューマッハを「タイトル大泥棒」としたり「引退を賭けて復活」と日本語の乱れを許容したりと、あえて残したツッコミどころを満載し、とにかく多少のウソや誤解が混ざっても耳目をひけばいいという清々しさ。「モナコと言えばルパン三世」「ルパン三世ありき」という発想からスタートしたという、ルパンもF1も「えっ」と思うような身勝手スタイルには、ディレクター氏自身も「7割スベっている」と自嘲します。それでもスベろうが何だろうが最終的には立木文彦さんに大きな声を出してもらえば何とかなるだろうという勢いのよさには、一定の魅力があると僕も感じました。アイドルのコンサートとかでも、こんな感じのVTRで公演が始まったりしますし。

しかし、こうした煽りが「スポーツ中継」であるとか「映画」であるとか「音楽ライブ中継」であるとか、いわゆるコンテンツ本編に食い込んでくるのは問題です。その理由は明快です。「煽りは本編ではなく、本編より価値の高い煽りなどどこにもない」からです。映画館には本編を見に行くのであって、予告編を見に行くのではないでしょう。準備を整え、正座で構えた客に対して「予告編」を見せるというのは無駄であり、ましてや「本編」をカットするなど言語道断。そもそも予告編を見たら本編が倍面白くなるわけでもなく、煽られる必要のない人は見なくていい程度のもの。

煽りは本編がやっていないときにやるべきものです。

前日なり前々日なりに煽るのは大いに結構。それによってコチラも本編の放送を忘れることなく予定を組めますし、見る気がなかった人がうっかり誘われてくることもあるでしょう。ウソでも何でも見せてしまえば勝ちという考え方はあります。百歩譲って、幕間の時間は許容できます。格闘技など「煽り」の権化みたいな番組は、試合と試合のインターバルが長いからこそ、そこに煽りを入れる余地というか、煽りでもしないと空白になる時間が存在するわけでしょう。無人のリングを映すことに耐えられず、煽りVTRを作ってしまう気持ちは理解できます。

しかし、その本来の用途を見失って、耳目を引きつけることだけに夢中になってしまっている。「コイツは大したことなさそう」な選手の出番は煽りで潰し、「この試合は何も起きなさそう」なカードは煽りで潰し、あらかじめ数字が見込めそうなビッグマッチだけを煽りと煽りの間にねじ込む。これはスポーツ中継では一番やってはいけない、スポーツ中継を台無しにする行為です。

スポーツの魅力の最たるものは、「今日これから何が起きるかわからない」という点です。何が起きるかわからないから生中継が好まれ、何が起きるかわからないからこそ奇跡のような試合も生まれるのです。それを「あらかじめわかっていることに基づいた予測」だけに拘泥して、煽りという「決めつけ」「告知」「予告編」を本編のうえにぶちまけている。そのスタイルが「ここ一番の奇跡は結局NHKだけが中継する」という、民放物笑いの遠因になっている。

煽りVTR自体には罪はないのですが、煽りVTRを使う側には大いに問題があるいうことを、「どんな面白い煽りが作れるか」という話題でキャッキャする自己批判番組にジンワリと感じました。それは「番組作りの能力の低下」を示すものだと思います。煽りは「本編を知らなくても」「本編と関係ないものでも」とにかくかき混ぜてゴタゴタすれば耳目を引けるのです。編集も加工も素材選びも自由自在なのですから、何でもできる。

しかし、スタジアムの緊張感や、現場のざわついた空気、そして本編そのものをコンテンツに仕立てるには「腕」が必要になる。その空気感を表現する実況の言葉や、何を映すべきか瞬時に見極めるカメラマンの目利きや、深い知識を簡単な言葉に落とし込む解説者の知慧、高い能力がミックスされてようやくただの「ざわつき」が「コンテンツ」になる。その作業をライブでやるのは、極めて高い能力が必要になるのです。ググっているヒマなどないのですから。

ご覧なさい、大相撲を。

あのほとんどの時間、デブとデブが塩持って歩き回っているだけのスポーツ中継で飽きることなどないでしょう。嫌いな人はいるでしょうが、好きな人はずーっとデブが塩持って歩き回っている姿を夢中で見ているのです。煽りVTRなどありませんが、過去の膨大な映像資産振り返りと、経験豊かな中継陣の話術にかかれば、デブが塩を持って歩き回っているだけでも耳目は集められるのです。

小さな変化を感じ取ること。そのために過去の膨大な情報をまとめておくこと。

思いがけない来訪者を見つけること。そのために本編以外の幅広い教養を身につけておくこと。

新たな息吹を感じること。そのために自分のなかにもジャッジや審判員と同じモノサシを備えておくこと。

移り変わる状況を楽しむこと。そのために予断を含まずに試合を受け止めること。

そうした能力を育てることを中継側が放棄したとき、「大事なところまでは全力で煽っていくスタイル」が完成するのでしょう。そして、焼畑農業のように競技の魅力を損ないながら、少しずつ先細っていくのでしょう。大事なところがくるまでの、今はまだ大事じゃないかもしれない部分にしか新しいメシの種はないというのに。

すごく怒ってたりするわけではなく、前にも同じ話をしているのですが、言いたくなってしまったので、改めてもう一回吐き出すことにしました。僕は意図して作られたものではなく、偶然によって生まれたものを愛したい。どんなに作り込んだネタをも上回るのは球場に紛れ込んだ一匹のネコである。僕はそれを見つけるチカラが中継にも宿ることを願ってやまない者なのです。

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どうなるかわからないものを、決めつけで煽れるワケがない!