決算再延期の記者会見で謝罪する綱川智社長 AFP=時事

写真拡大

 会社が潰れれば、社員とその家族は路頭に迷い、取引先などに多大な損害が生じる日本では長らく倒産=悪と考えられてきた。ところが、現実はそればかりではない。破綻企業の元社員たちは別の企業に移って活躍し、収入が増える人も多い。考えるべきは会社の枠組みではなく、人材や技術をどう守るかだ。

 東芝問題の経過は、その“枠組み”を守るための試行錯誤に終始しているように見える。

 2016年末には稼ぎ頭だった医療機器の東芝メディカルシステムズをキヤノンに売却し、今後は東芝メモリとして分社化する半導体事業も手放そうとしている。それらの売却で得た資金により財務状況を改善しようとしているが、これは債務超過に陥らないための数字合わせに過ぎない。その背景には債権回収が滞らないよう、東芝という企業の枠組みを死守しようとする銀行の思惑がある。

 政府にも、東芝は存続させなければならないと、政府系ファンドが支援に乗り出すという話もあるが、愚の骨頂であろう。

 そうした対応では東芝問題で表面化した、多くの日本企業が抱える「経営の拙さ」と向き合うことにはならないからだ。

◆東芝には「経営がない」

 今や多くの日本企業は総じて「経営力」が弱い。東芝は2006年に買収した原発メーカー・米ウェスチングハウス(WH)をめぐり2016年に7125億円の損失が発生、窮地に陥った。

 東芝がWHをコントロールできていないのは明らかで、親会社として損失を保証する契約まで結んでおり、今後、損失がどこまで膨らむかわからない。まさに“原発アリ地獄”にハマってしまっている。東芝の「経営の失敗」、さらに言えば「経営の不在」が今回の事態を招いたというほかない。

「経営の不在」は日本企業の構造的問題だ。バブル崩壊後の「失われた20年」で、多くの日本企業ではアグレッシブにチャレンジする人より、経費節減やリストラに長けた人が出世するようになった。社内の空気を読むことで出世した”イエスマン”のサラリーマン社長が実に多い。結果、経営が専門化しないまま、期末の決算書を取り繕うことばかりに気を取られてしまう。

 そうした日本企業特有の悪弊を断ち切るには、企業体質そのものを変えるしかない。この際、東芝は倒産させて、会社更生法を使って再生すべきだ。巨額の融資をして東芝株を持っている銀行などには大きな痛手だが、株主が負うべきリスクでもある。

 政府は政府でやるべきことがある。福島第一原発の廃炉作業には東芝の技術が不可欠だ。しかし、このまま東芝の混迷が続けば、原子力部門からの人材流出が懸念される。福島第一原発の事故処理は、一義的には東京電力に処理責任があるとはいえ、国が責任をもって対応に当たるしかない。

 そのために、東芝のほか日立製作所や三菱重工業などの原子力技術を持つ日本の会社から、人材と技術を集約する企業体を国が新たにつくるべきだ。企業としての東芝が無くなっても、その人材や技術が守られることになる。間違っても、東芝の「負債」を引き継ぐ会社にしてはならない。

 経営力なき“日本的経営“と決別し、世界のスタンダードに脱皮するきっかけになるなら、東芝を倒産させる意義はじゅうぶんある。

■取材・文/磯山友幸(経済ジャーナリスト)

【PROFILE】1962年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞で記者などを務め、2011年3月末に独立。現在、経済政策を中心に政・財・官を幅広く取材、執筆活動を行っている。著書に『国際会計基準戦争完結編』『ブランド王国スイスの秘密』(いずれも日経BP社)などがある。

※SAPIO2017年5月号