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創業者フェルッチオが自ら乗っていたというカウンタック。ランボルギーニの50年の歩みを祝福するのに、これほど最適なクルマは他にない。ジェームズ・ペイジがサンタアガタへ試乗に向かった。

創業の地、ランボルギーニの聖地、サンタアガタを訪ねる

エミリア・ロマーニャ州の北部に位置するボローニャは、のどかな田園地帯だ。大きな空の下に手入れの行き届いた畑が延々と広がり、古びた納屋が点在する。イタリアと聞くと、普通の英国人はまずトスカーナの起伏豊かな丘陵やアマルフィの壮観な海岸を思い浮かべるだろうが、クルマ好きなら違うはず。同行のカメラマン、マルコム・グリフィスが言うようにボローニャは「イタリアのノーフォーク」。ロータスが育った土地と、地勢学的に似ている。

ボローニャからアウトストラーダA1でモデナへ向かう途中にホラチオ・パガーニが自身の会社の本拠地に選んだサンチェザリオ・スル・バーバロの町があり、モデナ市内にはマセラティが本拠を構えている。モデナから少し南下すれば、フェラーリの聖地であるマラネロ。A1を挟んだ反対側がランボルギーニの生まれ故郷、サンタアガタだ。ランボルギーにが50年にわたってスーパーカーを作り続けてきたここで、我々の1日が始まった。

ガンディーニが描いた極端なまでのウエッジシェイプ。このLP400Sではオーバーフェンダーとウォルター・ウルフに触発されたリア・ウイングを備える。


現在のサンタアガタは、今回の取材車であるカウンタックが登場した頃とは大きく異なる。まず何より、オーナーはアウディだ。かつて工場を包んでいたのどかな雰囲気はもはやない。取材パスを着用しなくてはいけないし、常に付添人がいて、どこを見てよいかを指示される。しかし、みなぎる情熱を感じたのも確かだ。往時と同じ玄関にカウンタックを停めると、多くのスタッフが集まってきてそれを見つめ、あるいは写真を撮っていた。

ただし、このカウンタックがどれだけ重要なものかを認識できていた人は少ないだろう。フェルッチオ・ランボルギーニは、自分が創立した会社のクルマをたった2台しか所有しなかった。ひとつはミウラSV、もうひとつがここに紹介するカウンタックLP400Sだ。彼がなぜ、どのようにこのカウンタックを自分のものにしたのか? 詳細は歴史のベールに包まれているが、80年に新車として登録されたときから93年にフェルッチオが亡くなるまで彼が所有していたことは、残された書類が示している。フェルッチオの没後は娘のパトリツィアが相続。現在のオーナーは05年にランボルギーニ家から直接買い取ったという。もともとは赤いボディ・カラーだったが、フェルッチオの意思で白に塗り替えられた。彼にとって白こそがカウンタックに最も似合うカラーだからだ。

狭い田舎道を飛ばせば、カウンタックはフラットな姿勢を保ち、タイアのグリップも絶大だ。


フェルッチオは1916年4月28日に生まれ、農業を営む家の4兄弟の長男として育った。戦後、農業トラクターのメーカーを起業して成功し、暖房/空調機器へとビジネスを拡大。どんな素晴らしいクルマでも買える富を得たが、当時のイタリアには彼が本当に欲しいクルマがなかった。自分が購入したフェラーリのクラッチが不調だとエンツォ・フェラーリに訴えたところ、「あなたはスポーツカーのことを何も知らない。トラクターを作っていればよい」と鼻であしらわれたことが、彼の起業家精神に火を付けた。それなら自分でスポーツカーを作ろう。そうやって350GTが生まれ、その2年後にはスーパーカーの歴史を書き換える傑作、ミウラがセンセーションを巻き起こしたのである。

大傑作、ミウラの成功を更に拡大したカウンタック

ひとつのモデルが美しすぎ、カリスマ性を持ちすぎると、後継車種はその影にさいなまれがちなものだ。しかし1971年のジュネーブ・モーターショーに登場したプロトタイプ1号車は、そんな懸念をすべて吹き飛ばしてみせた。スタイリングを手掛けたのは今回もマルチェロ・ガンディーニだが、ソフトで官能的なミウラとは対照的にカウンタックはシャープでアグレッシブなフォルムだ。

LP400Sから装備される巨大なリア・ウイング。シンプルなLP400からの大きな変更点のひとつ。


最初の試作車は当初、「プロジェクト112」という名でのみ知られていた。5ℓのV12を、横置きのミウラとは違って縦に搭載。ギアボックスはエンジンの前に置く。ボディのセンター・セクションは、ランボルギーニによればモノコックだったという。そうであればむしろベーシックなボディ構造だったことになるが、73年のジュネーブに再び現れたカウンタックは(翌年の市販型も)鋼管スペース・フレームを採用。3929ccに縮小されたエンジンは、6基のウェーバー製45DCOEツインチョーク・キャブレターを備えて7500rpmで380psを発した。



アグレッシブになったLP400S

この第1世代のLP400は、78年まで生産されて、LP400Sにバトンタッチされた。ちょうど会社が難しい時期を迎えていた頃だ。次から次へと資金難に見舞われ、75年には忠実なエンジニアだったパオロ・スタンツァーニと故ボブ・ウォレスが去っていった。BMWからM1の生産を請け負うことで経営再建を図ったものの、BMWは(おそらくは賢明なことに)サンタアガタの実力を疑ってこの契約を破棄。そんな不穏な状況のなか、カナダの石油王のウォルター・ウルフが改造したカウンタックがファクトリー・モデルに影響を与え、スタンツァーニの師匠であるジャン・パオロ・ダラーラの監督下で開発されたのがLP400Sであった。

オリジナルのLP400が前後共に215/70VR14のタイアを履くのに対し、当時の最新技術を込めたLP400Sは345/35ZR15という超扁平サイズのピレリP7をリアに採用。それに伴ってオーバーフェンダーが追加され、この新しい高性能タイアの利点を引き出すべくサスペンション・ジオメトリーも修正された。例えば、よりワイドなステアリング・ラックや短いタイロッド、バンプステアを低減するために新設計されたステアリング・ジョイントなどだ。LP400Sの大きなリア・ウイングも、ウォルター・ウルフのカウンタックに影響された変更点である。

リアのエンブレムはシンプルにCoutachのレタリングにSが描かれる。


このLP400Sはシリーズ1から3まであり、78〜82年に計238台生産された。シリーズ3では室内空間を広げるために全高を30mm上げたが、シリーズ1とシリーズ2の違いは細かいディテールに限られる。フェルッチオのカウンタックは105台生産されたシリーズ2のうちの1台。ブレーキ冷却孔を美しくデザインしたカンパニョーロのディッシュ型アロイ・ホイールを履いている。

LP400のピュアなデザインを好む人もいるだろうが、LP400Sのアグレッシブなデザインが、開いた口が塞がらないほど凄いものであるかどうかは議論の余地がある。確かに個々のスタイリング・ディテールは大袈裟に見えるとはいえ、全体としては大きなクルマではない。リアの眺めはアグレッシブの一語。後輪に力を込めたクラウチング姿勢であり、まるでタイアとエキゾースト・パイプしか見えないかのようなスタイルだ。

45mm径のウェーバーを6連装したV12。


サイド・ビューも同じで、低いノーズからウインド・シールドの頂点までほとんど一直線。戦後の偉大な自動車漫画家、ラッセル・ブロックバンクが描いた一節が思い出される。クラシックカーとカウンタックが正面衝突したが、クラシックカーがカウンタックのフロントに乗り上げただけでお互いに無傷だった……というお話である。

フェルッチオの甥、ファビオがお出迎え

そろそろサンタアガタの工場を出て試乗に向かおうかというとき、ファビオ・ランボルギーニが現れた。フェルッチオの甥で、ランボルギーニ家のミュージアムの館長でもある彼は、どこから見てもイタリア紳士だ。青いブレザーに白いパンツを完璧に着こなしている。微笑みのなかにカリスマ性を静かに漂わせながら、「このクルマに相応しい場所に、ご案内しましょう」。目指すのは、サンタアガタの北東20kmほどにあるチェント。フェルッチオが生まれ育ち、最初にトラクター工場を作った町である。

サイドのエア・インテークのなかにあるボタンを押すと、お馴染みの「シザー・ドア」がスムーズに立ち上がる。これはドラマチックだが、それに続くコクピットに乗り込むプロセスは、いささかみっともないことになりかねない。まず背中をシートに向けながら、革張りの広いサイド・シルを超えて身体を滑り込ませる。そしてわかったのは、降りるほうがもっと大変だということ。私は何度やってもベストな降り方を見出すことができなかった。

フェルッチオの真似をして、タバコをエンジンに押し付けるファビオ。


いったんシートに収まってしまえば、快適さはあなたの体格次第である。私は問題なく座れたが、身長が180cm近い人にとってはちょっと厄介だろうし、もっと背が高い人は窮屈に思うはずだ。ドアが内側に強く傾いているために、私でさえ頭まわりのスペースに余裕はない。

バックレストの傾斜が強めだが、サポート性は素晴らしい。ドライビング・ポジションはミウラより良好だ。平面と直線を組み合わせたインテリアの眺めはいかにも70年代的である。メーターはひとつのパネルに集約されており、中央に位置するのがスピードとレヴ・カウンター。後者は7000rpmからイエロー・ゾーンで、8000rpmからレッド・ラインだ。それらの左側に電流計と油温計、右側に水温計と燃料計が配置されている。



「感覚」で乗るクルマ……?

キーを1段だけ捻り、背中の後ろで準備が進む音を確認してから、アクセルを少しだけ踏み込んでキーを一杯まで捻るとエンジン・スタート。驚いたことにV12はいきなり爆音を奏でたりはせず、思いのほか静かにアイドリングを始めた。今日の新進気鋭のスーパーカーはコンピューター制御でブリッピングし、その勇ましさを人工的にチューニングしたエキゾーストで強調するが、カウンタックにはそんな軽薄な楽しみなど不要なのである。

どんなときでも、ドライブの初期に最も注視すべきメーターは油温計だ。その針が上昇し始めるまでは、ギア・チェンジも固い。しかし正直に言って、カウンタックは想像するほど扱いにくい相手ではなかった。最大の問題は視界が狭いこと。クルマのフロント・コーナーは死角に入っているし、後方視界はほんの僅かしかない。斜め後ろに至ってはミステリーである。ドア・ミラーは役には立つが、そこに大きく映っているのは特徴的なエア・インテークだ。現オーナーが認めるように、これは「感覚」で乗るクルマ。フェルッチオの奥さんはこのクルマで町に出かけ、問題なく駐車していたというけれど……。

タコメーターは8000rpmからレッドライン。


乗り心地は堅いが、イタリアの田舎道でも快適だ。太いステアリングからは、路面感覚が余すところなく伝わってくる。LP400Sはエアコンも改良されたが、涼しさを求めるには充分ではないし、外気を取り入れようとしてもドア・ガラスのほんの一部が途中まで降りるだけ。手を出すのがやっとだ。

矢のような加速

サンタアガタの町をどうにか抜け出すと、道路は直線が多くなってきた。カウンタックの脚を延ばすチャンスだ。3速、2500rpmからストロークの深いアクセルを踏み込めば、瞬間的にウェーバーが咳き込んだ後、エンジンサ・ウンドが一気に高まる。4000rpmを超えるあたりからがV12の本領発揮。まるで機関車に引っ張られたように前方へ吹っ飛んでいく。そろそろシフト・アップのタイミングかと思うが、ハードな加速はまだ続いている。6000rpmでエンジン・ノイズがもう許容限界。シフトアップしてスロットルを戻しても、カウンタックは矢のように突き進むのをやめなかった。

背の低いドライバーなら快適なキャビンだが、レポーターのペイジにとってはヘッドルームは不足気味だ。


LP400Sの多くは357psだが、初期スペックのハイリフトカムを組んだものは380ps。このフェルッチオのクルマもそれだ。3速までで、とんでもない速さを充分に楽しめる。4速や5速に入れて潜在能力を引き出すには、それなりの道を選ぶ必要がありそうだ。

チェントの住人はランボルギーニを見慣れているはずだが、道端の人々はわれわれのカウンタックを見て微笑み、手を振ってくれる。クルマを停めるたびに(Uターンするときでも)、どこからともなく子供たちが現れ、取り囲まれてしまうほどだ。われわれはこの小さな町の中心にある広場に駐車した。2000年に「フェルッチオ・ランボルギーニ広場」と命名され、6年後には記念碑が建立された場所だ。ファビオに誘われるまま、通りの反対側にあるフェルッチオのお気に入りだったレストランでランチ。つつましい感じの店だが、料理は素晴らしい。前菜とトルテリーニを楽しみながら、話題はおのずとフェルッチオへと向かった。

深いディッシュ型のアロイホイールはカンパニョーロの「ブラーボ」。

優しい性格だったフェルッチオ

「性格的に、フェルッチオはエンツォ・フェラーリとは正反対だった」とファビオ。「フェルッチオはモルト・ジェンティーレ……つまり、とても優しい人だった。誰とでも分け隔てなく会話し、人々は喜んで彼のために働いた。自身が大きなモチベーションを抱くと同時に、従業員にもモチベーションを持たせようと気を遣う人だった。事業が成功して裕福になっても、その姿勢が変わることはなかった。今になっても、ウェリントンの長靴を履いて農作業をやっていた頃の叔父を思い出すよ」



手元に残した唯一のクルマ

フェルッチオは自分の会社との公式な関係を断ち切るにあたって、このカウンタックを手元に残した。70年代初期の景気後退が彼の事業を蝕み、労働組合の闘争がそれに拍車をかけた。もっと深刻だったのは、トラクターの受注キャンセルだ。ボリビア政府からの注文で生産した5000台が、現地の政治革命で宙に浮いてしまった。

その結果、72年に自動車事業の株式の51%をスイス人投資家のジョージ・アンリ・ロゼッティに売却。その2年後には残りの49%もレネ・ライマーに売り渡さざるを得なかった。それでも70年代を通じてキャッシュフローは綱渡りを続け、サンタアガタにあまり目を向けないふたりの新オーナーはやがて、サプライヤーがフェルッチオに代金支払いを迫らなくなる解決策をとるに至った。倒産させたのだ。

自身のカウンタックに乗るフェルッチオ。彼の奥さんもこれを運転した(上)。我らがカウンタックと、フェルッチオが作ったもうひとつのマシーン。


1978年、ランボルギーニは倒産法の適用を申請し、管財人の管理下に入った。それはおそらく、考え得る限りの最良の方策だったのだろう。管財人に任命されたアレッサンドロ・アルテーゼは自動車愛好家だ。彼はマセラティ出身のジュリオ・アルフィエーリと共に、ランボルギーニの再建に労をいとわなかった。そして1980年、フランス人のミムラン兄弟(24歳のパトリックと35歳のジャン-クロード)が全株式を取得。彼らはランボルギーニの経営基盤を強化し、再び活気をもたらすことに成功した。カウンタックの生産台数は微々たるものになっていたが、それでもその存在こそがサンタアガタの生命線だったのである。

葡萄畑で働いていた晩年

当時のフェルッチオはと言えば、ウンブリア州で葡萄畑を営み、自前のブランドのワインを生産。後に葡萄畑にゴルフコースを作った。好きなことをやり遂げる人生だったのだろう。「彼にとって他にできることはなかった」とファビオは告げる。「フェルッチオは自分の葡萄畑でも手を汚すことを気にせず働き、自分でできることを誰かに頼むことは決してなかった」

チェントの町の中心に建立されたフェルッチオの記念碑。


「彼はさまざまな分野で存在感を発揮し、多くの成功も収めた。(ランボルギーニの経営から退いた後も)リタイアなど考えず、ロマーノ・アルティオーリが始めたブガッティEB110のプロジェクトに協力したように、いつも誰かの手助けをしようとしていた人だ。午前中は葡萄畑で働き、午後はどこかの会社を訪問して新しいアイデアを思い付く。何か新しい刺激を求めて世界中を歩き回っていたのだ」

ところで、エミリア・ロマーニャ州にかくも多くの偉大なカーメーカーが育った理由を、ファビオはどう考えているのか? 「ここは農業地帯だ。機械化が必要で、機械の進化を求めることがこの地方の文化になっている。だから人々は機械を学び、優秀なメカニックやエンジニアが育つ。機械に情熱を持つ人が多い土地柄なのだ」

フェルッチオを成功したビジネスマンだと思っている人もいるだろうが、彼は第一義的にエンジニアだった。工場でメカニックたちと話すことが何より大好き。エンジンのテスト中には、いつも手放さないタバコを1本取り出し、エアボックスに押し当てて振動の具合をチェックしたという。

チェントの町の中心にある「フェルッチオ・ランボルギーニ広場」には、その銘板が掲げられている。


レストランを出て少し歩き、ランボルギーニ家の墓にお参りした後、ファビオに別れを告げ、カウンタックをチェントの町外れまで返却に行くこととした。ツイスティな道を探しながら遠回りしたのは言うまでもない。そこでのカウンタックの反応も素晴らしい。タイアのグリップは驚くほどだし、ハードに攻めてもフラットで落ち着いている。ちなみにこのクルマのタイアは前後共にオリジナルと同じサイズ。フロントの205/50VR15は今では入手不可能なものである。

時代を超えて語り継ぐべきスーパーカー

LP400Sはブレーキも強化されており、4ポット・キャリパーと大径ディスクのおかげでストッピング・パワーはまさに印象的だ。路面のコンディションが悪くてクルマのパフォーマンスを持て余すような状況でも、何事もなかったように通り過ぎてくれるのは驚くべき発見だ。ボブ・ウォレスがサスペンションやハンドリングをミサーノ・サーキットで仕立て上げた時間は、無駄ではなかった。時を経るにつれてスタイリングの大袈裟さが増し、いささか漫画っぽくなったとはいえ、カウンタックが内に秘めた能力を見過ごしてはいけない。

シンプルに言えば、V12を積むランボルギーニをドライブするのは魂に響く経験だ。ましてやフェルッチオが愛したカウンタックを彼の故郷で乗るとなれば、この上なく光栄なことである。あらゆる意味で、彼は傑出したキャラクターの持ち主だった。会社は70年代後半に挫折したとはいえ、時代を超えて語り継ぐべきスーパーカーを我々に残してくれたのだから……。

ランボルギーニ・カウンタックLP400S

■生産期間 1978〜1982年 
■生産台数 238台 
■車体構造 鋼管スペース・フレーム/スティール・ボディ 
■エンジン形式 水冷V型12気筒3929cc、ウェーバー45DCOEキャブレター x 6 
■エンジン配置 ミド 
■駆動方式 後輪駆動 
■最高出力 380ps/7500rpm 
■最大トルク 37.0kg-m/5000rpm 
■変速機  5段M/T 
■全長 4140mm 
■全幅 1995mm 
■全高 1029mm 
■ホィールベース 2443mm 
■車輛重量 1351kg 
■サスペンション 4輪ダブル・ウイッシュボーン + コイル 
■ステアリング ラック&ピニオン 
■ブレーキ 4輪ベンチレーテッド・ディスク 
■0-100km/h 5.9秒 
■最高速度 290km/h