なぜ、取調室といえば「かつ丼」なのか?

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「かつ丼食べるか?」刑事の温情にふれた容疑者は一気に平らげると泣き崩れて真相を語り出す――。そんな、ドラマのお約束シーンに「かつ丼」が登場する理由を関係者に徹底調査!

■本当に出てくるの? カツ丼伝説の謎を追う

その日、私は某警察署の窓口に立っていた。目の前の女性警察官に趣旨を説明したが、彼女の顔は引きつっている。背後では、首謀者の編集Sが、にやにやしながら私の背中を眺めていた。

知らない番号から電話がかかってきたのはこの日の朝のことだ。

「初めまして、dancyuのSと申します。実は企画の相談がありまして」

話を聞くと、私が得意とする取材ルポというではないか。しかも、かつ丼は好物だ。ちょうど時間が空いていたので、もう少し詳しく聞こうと編集部に向かった。

「今日は、『なぜ、取調室といえばかつ丼なのか?』というテーマで調査してほしいんです」

ふむふむ、面白そうじゃないか。

「すぐ近くに警察署があるので、今から行って取材しましょう。アポはとってないんですけどね(笑)」

えっ、今からですか、という言葉を飲み込んだ結果、今、私は窓口の女性警察官と向かい合っている。

「あのー、なぜ取調室にかつ丼が出るのかを……取材していて……」

彼女が怪訝そうに見つめる。

「……少し待っていただけますか?」

窓口の向こうは、厄介な人が来たという空気に。そりゃそうだ。私だって、聞きたくて聞いてるんじゃない。大体、正直に言えばテレビで見て知っているのだ。今は取調室でかつ丼を食べさせることはないってことを。程なくして、男性警察官が現れた。

「今は、取調室で何かを食べるということ自体がありません」

ほらね、やっぱり。彼が言うには、食事をするときはいったん留置場に戻るのだとか。自弁といって出前を頼むこともできるが、提携の業者とメニューが決められているので、自由には頼めないという。

そのメニューにかつ丼はあるのかと尋ねると「あるともないとも言えません」。提携業者は?「それも答えられません」。うーむ、それくらい教えてくれても……。

「もし外部に知られたら、毒物混入などの危険性がありますから。わかってください」

なるほど。やっぱり、取調室でかつ丼なんて、現実にはないのか――。

■昔の刑事はポケットマネーでかつ丼をおごっていた

「いや、私は取調室でかつ丼を食べさせたことがありますよ」

企画倒れになると思ったが、山が動いたのは、元神奈川県警の刑事で犯罪ジャーナリストの小川泰平さんの証言からだった。

「20〜30年前の話ですけどね。ただし取り調べ中ではありません。取り調べがすべて終わり、起訴になると裁判を受けるために拘置所に移るのですが、その別れの昼に出しました。長い旅になるから元気出していけよ、という思いで食べさせたのがかつ丼なんです。私も一緒に取調室で食べましたよ」

その頃、刑事のポケットマネーの範囲でご馳走できる唯一豪華な食べ物がかつ丼だったのだ。だが、今は利益供与、つまり利益を与えることになるので一切禁止になっているとか。煙草やコーヒーもダメで、せいぜい水か、白湯だけというから厳しい。

そもそも、刑事ドラマにかつ丼が初めて登場したのは、1955年公開の映画『警察日記』と言われる。日本がまだ貧しかった時代の会津磐梯山の麓の警察署を舞台に、警察官と町の人々との交流を描いた作品だ。無銭飲食や盗みを犯した町民に対し、警察官は彼らの事情を聴き、諭す。当時は今のステーキなどの比ではない、トップ・オブ・ゼイタクな食べ物だったかつ丼は、警察官の人情を観客に喚起させる小道具として最適だったのだ。

古い新聞にはかつ丼にまつわる逸話がたくさんある。1933年、東京・滝野川の小学校が放火された事件で、ある少年は自分がやったと自白。しかし、犯人は別にいたことが判明した。少年は「罪になるような答えを言えば、かつ丼くらいは食べさせてもらえると思った」のだとか。罪を被ってまで食べたかったとは、当時の日本の貧しさに胸が詰まるエピソードだ。

1963年の「吉展(よしのぶ)ちゃん誘拐殺人事件」では、“落としの八兵衛”の異名を持つ刑事・平塚八兵衛が、容疑者にかつ丼で自供を促した、という疑惑が生まれた(ただし本人は否定)。ここまでくると、もう、卵が先か鶏が先かの話で、取調室でかつ丼を出したのは、現実が先なのか、ドラマが先なのか、真相は誰にもわからない。

■冷めても旨いかつ丼は刑事の出前の定番だった

そもそもなぜ、かつ丼なのか。親子丼でもいいじゃないか。その謎を某県警の現役警部補・水野さん(仮名)にぶつけた。

「刑事にとって、かつ丼は身近な存在なんです。当直中に出前をとるときは、麺類は頼みません。110番が入るとすぐに行かないといけませんから」

確かに、丼物なら冷めてもおいしく食べられる。

「でも、親子丼はレンジで温めると卵がパサパサになる。生ものもダメだから鉄火丼もない。蕎麦やラーメンはのびる。やはりかつ丼に行きつくんです」

ちなみに、ピザもすぐ冷めるので論外だとか。刑事さんとかつ丼には意外な親和性があったのだ。となれば、取調室で「何か食べたか?」「かつ丼食うか?」というシーンが生まれたのも当然の結果だったのではないだろうか。

ここまで来たら、昔、取調室で振る舞われたかつ丼を食べてみたい。小川さんからこっそり情報を入手し、片っ端から電話をかけた。20〜30年前の話だから、ほぼ閉店していたが、川崎に1軒だけ、当時、警察署にかつ丼を出前したと証言する蕎麦屋を発見した。

暖簾をくぐり、さっそくかつ丼を注文。来た来た、これが容疑者が食べていたかつ丼――。一口食べてみる。ほんのり甘いだしが衣にしみて、肉はジューシー。卵もよくからんでとてもおいしい。数々の事件の調査を続けてすっかり疲労困憊し心が乾いた自分に、このかつ丼は温かすぎる。ヤバい……。かつ丼には弱っている容疑者の心を解きほぐす力があるのかもしれない。これが人情の味か、とひとりごちながら私は一気に平らげた。

〈参考文献〉中町綾子『なぜ取り調べにはカツ丼が出るのか?』(メディアファクトリー新書)

(文・神田桂一)