『日本の言葉の由来を愛おしむ―語源が伝える日本人の心―』高橋こうじ(著)東邦出版

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■「正しい」の意味をうまく説明できますか

「彼の考えは正しいと思う」「いや、私は正しいと思わない」

そんなふうに、私たちは真剣な議論の中で、「正しい」という語を、テーマに斬り込む剣のごとく用います。そして、こうした議論から導かれた結論は、それ以後の両者の言動や人間関係を左右する重要な要素となることが少なくありません。

しかし、そのような大事な役を担わせている割に、「正しい」という言葉の本当の意味を理解している人は少ない、というのが私の印象です。

たとえば、あなたが「○○は正しい」と主張し、納得しない相手が「その『正しい』って本質的にどういうこと?」と聞き返してきた……。そんな展開になったら、あなたは「正しい」の意味をうまく説明できますか。

「正しい」は、きっぱりとした語感を帯びた言葉ですが、それゆえに、無造作に使うと納得できない聞き手を興奮させ、そこから先は感情的な言い合いになってしまう可能性が大。そんな事態を避けるためには、そもそも「正しい」とは本質的にどういう意味か、ということをしっかり理解しておくことが大切です。

そこで今日は「正しい」という語の本来の意味を、その語源をたどることで確認しましょう。ぜひ、この機会に「正しい」の本質を理解し、今後のコミュニケーションに生かしてください。

なお、誤解が生まれないように言っておきますが、どんな言葉でも語源の分析が本質を教えてくれるわけではありません。長い年月の中で意味が変化した単語もたくさんあります。でも、ありがたいことに「正しい」の場合は、語源がその意味の本質を見事に示してくれるのです。私は「日本の言葉の由来を愛おしむ」という本を書く中で、そのことに気づきました。そこで、ここからはこの本の引用を交えて「正しい」の語源をご説明します。

■「ただ」は無料の「タダ」からきている

「正しい」は、「ただ」と「しい」の二語からできています。そして「しい」は、「やさしい」「くるしい」など多くの形容詞に共通することでわかるように、いわば形容詞を作るための土台。ですから「ただしい」の意味を担うのは「ただ」という言葉です。

「ただ」とは何か。そう聞かれたら、思い浮かぶのは、「ただ一人」「ただ見るだけ」といった形で使われる、「オンリー」という意味の「ただ」。あるいは「無料」という意味の「ただ」でしょう。そして、意外に思われるかもしれませんが、実は、この二つの「ただ」は同じ語源を持つ、兄弟の単語です。前述の本からその関係についての記述を引用します。

「ただ」という語のもともとの意味は、「そっくりそのままで、ほかの要素が入り込まない」ことです。確かに「ただ一人」とは「人が一人いて、ほかの人は入り込まない」状態ですね。いっぽう「無料」という意味にもなった理由については、店員と客のこんなやりとりを想像してください。店員が「この品をどうぞ」と差し出し、客は「おいくら?」。すると店員は「これをお渡しすることにお金という要素は入り込みません」という思いを表すために言うのです。「<ただ>受け取ってください」。そんな「ただ」の使い方から、「無料」という意味の名詞「ただ」が生まれました。(東邦出版「日本の言葉の由来を愛おしむ」)

そして、「ただしい」の「ただ」もこれなのです。つまり「そっくりそのままで、ほかの要素が入り込まない」ことです。では、何と比べて「そっくりそのまま」なのか、といえば、それは私たちがそれぞれの胸の奥に持っているさまざまなお手本、硬い言葉で言えば「規範」です。

私たちが人の行動や発言などを評価するときには、必ずその土台に何らかの基準があります。伝統的には、経験則、学問の書、宗教の教え、村のおきてといった「規範」と見比べます。その結果「そっくりそのままで、ほかのものが入り込んでいない」と思ったときに使う言葉、それが「正しい」なのです。(同書)

つまり、「正しい」とは「規範に合っている」ことです。そう言われればその通りだ。そう感じていらっしゃるのではありませんか。

あなたが、ある考えや行動について「○○は正しい」と思うとき、あなたは無意識に、その○○を胸の奥にある何らかの規範と照らし合わせて「合っている」とうなずいているわけです。

したがって厳密に言えば、それを主張する際には「○○は、××という規範に照らして正しい」と言うのが、理にかなった話し方。でも現実には、そんな言い方をする人はいません。それは、日ごろの会話の相手のほとんどは身近な人で、規範の多くを共有しており、いちいち「××の規範に照らして」と言わなくても、相手は同じ規範に照らし、同じ結論を出してくれるからです。

子ども時代の習慣も影響しています。私たちが十数年にわたって通う小、中、高等学校は、「教科書」の存在が象徴するように「規範」が定まっている学びの場。また、子どもはまだ複雑なことを理解できないので、何らかの社会的規範を身につけさせたい親や教師は、それがあたかも唯一絶対のものであるかのように伝えます。

私たちはそんな環境で成長するので、「会話の相手が自分と異なる規範を持っている可能性」に思いをいたす習慣は、なかなか育まれません。

そのせいで、何歳になっても、私たちの心は混乱します。特に、議論が熱を帯びたときなどは、「自分がこれほど正しいと感じることは絶対的に正しいはず」と思いがちで、そうなるとそれを受け入れない相手に腹が立ち、先に述べたような感情的な言い合いが始まるわけです。

以上が、「正しい」という言葉に関する私たちの状況です。

■胸の奥にある「規範」に照らしてみる

だから、「正しい」という言葉を使って議論をするときに心がけなければならないことは明らか。自分も相手もその胸の奥には何らかの規範があり、それに照らして「正しい」と言っている、ということをいつも意識することです。

たとえば、会社が利益拡大に伴って株主への配当を増やすと決めたとき、あなたは「正しい判断だ」、同僚は「正しくない」と主張し、対立したとしましょう。こうした場でおこなうべきは、それぞれの「規範」を表に出すことです。と言っても「規範」という語を使って正面から問いただす必要はありません。「私がこの判断を正しいと思うのは、会社は株主の利益を優先すべきだと思うからです」。そんな形で自分の「規範」を告げ、「あなたはなぜ正しくないと思うのか」と聞けば、同僚も「会社はまず社員の幸福に心を砕くべきだからだ」などと、その胸の奥にある「規範」を示してくれるでしょう。

そうなれば、議論が先に進みます。たとえば、同僚が「もちろん株主も大切だとは思う」、いっぽうあなたも「私も社員の幸福は大事だと思っている」などと、それまで言わずにいた認識を口にし、そこから両者が歩み寄る、という展開もありえます。少なくとも不毛な言い合いを回避し、互いへの理解を深めることができるのです。

ところで、ここまで述べてきたように、「正しい」という言葉には、「誰もが胸の奥の規範と対照してこの語を用いながら、それをほとんど意識していない」というおもしろい性質があるので、私たちはこれを「自分発見の道具」として使うことができます。

やり方は簡単です。ことわざや格言、あるいはテレビに出演しているタレントが口にした言葉などについて「うん、正しい」と感じたら、それは自分の中のどんな規範に「合っている」のか、考えてみるのです。思い当たった思想や倫理、道徳などは、あなたの行動のしかたを決めている重要な規範の一つであるはず。それをはっきり意識することは、まさに「己を知る」ことです。

また、ときどきこれを試みれば、「正しい」という思いが「胸の奥にある規範」との対照から生まれることがしっかり心に刻まれ、その認識は今後の人生の中で遭遇する大事な議論の場で、大きな力となるでしょう。

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高橋こうじ
1961年、埼玉県生まれ。慶応義塾大学文学部を卒業後、ライターに。「言葉とは何か」をテーマにしたシナリオ「姉妹」で、第十回読売テレビゴールデンシナリオ賞優秀賞を受賞。2000年からは、言葉と会話をめぐる人間心理についての研究に力を注いでいる。2014年に上梓した『日本の大和言葉を美しく話す―こころが通じる和の表現』(東邦出版刊)がベストセラーに。

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(高橋こうじ=文)