ウォズニアック

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総合人材サービスのテンプホールディングスが、グループブランド「PERSOL(パーソル)」の広告にAppleの共同創業者で世界的なエンジニアでもあるスティーブ・ウォズニアック氏を起用、3月25日よりテレビCMを放送しています。
 
そのCM製作のために行われたインタビューが公開されたので、全文の訳を以下にご紹介します。
 
 
インタビュアー:
才能が開花した頃の自分がどんな子供だったか、またその花を咲かせてくれたのは誰だったと思うかを教えていただけますか?
 
スティーブ・ウォズニアック:
10歳以前のことは、ちょっと曖昧で作り変えられていたり、親から聞いた話だったり、記憶が曖昧だったりするので難しいのだけれど、痛い思いをした時のことはよく覚えている。例えば、鉱石ラジオを作った時。父が部品を持ってきて、家の隣の丘に行けば、この鉱石で50kWの放送局が実際に聞けるということを教えてくれてね。その鉱石ラジオを持って、窓から外に出ようとした時に滑って転んで、膝を打ったことをよく覚えている。技術的に何か成し遂げたという話ではないのだけれど、鉱石ラジオ作りは小さい子供がよくやる遊びの1つで、みんな作っていた。それから、一家でシリコンバレーに引っ越すことになった。
 
新しい住宅地で、そこに住んでいた子供の親の半分以上がエンジニアだった。僕の父は電気技師で、よく職場に連れて行ってくれて、オシロスコープのパターンを見ていたよ。平日帰宅後も週末も一生懸命数式を書いたり、仕事をしたりする父の姿を見て、将来エンジニアになりたいかもしれない、数学を扱う仕事ができたら、と漠然と思っていた。
 
僕は低学年のころから算数が得意で、3年生の時、フラッシュカードで行われる掛け算のテストの前の晩に、母にカードを読んでもらって練習して、テストで全問正解したんだ。男子が女子に勝ったのは初めてだと先生から言われた時に、僕が得意なのは「算数」なんだと気づいた。得意なものがあるとわかって、とにかく一生懸命やり続けた結果、数学で賞をもらったり、科学で賞をもらったりできた。学校のサイエンスフェアに出ることになって、課外活動として放課後に取り組んだ。父が1つ2つ提案してくれて、電池と電球とワイヤーで懐中電灯を作る簡単な工作をやりはじめた。
 
失敗したりもしたけど、父は、辛抱強く僕に教えてくれた。原子の構造や、特定の軌道のカテゴリーに属する電子についても教わった。買ってもらったクリスマスプレゼントからも学んだ。ワイヤーのはんだ付け、スイッチの上げ下げがどう作用するか、とか。それで、92種類の元素に92個のスイッチをつけて、各電子位置に92個の明かりをつけるという一大プロジェクトを完成させた。8歳か9歳の頃には、父がサンノゼ州立大学に連れていってくれて、そこで本物の元素のサンプルをもらったんだ。水銀が満タンに入った瓶が床に転がっている、そういうことが日常的だった。それを成績で評価されない、というのが面白かった。誰からも評価や強要されることなく、ただ自分が面白いと思うからやっていた。賞を受賞する自分が誇らしかった。
 
電子工学に関して言えば、主人公が研究室に行ってエイリアンを捕まえたり脅威から地球を救えたりできるものを発明する、そんなSFの本に少しハマったりしていた。読んでいた本のシリーズでトム・スイフト・ジュニアにハマっていたね。そういう本を読んだり、アマチュア無線家の資格を取ったり、その頃から向くべき方向を向いていたような気がする。毎週火曜日の夜には、無線送信機を自作した人たちとモールスコードのキーを作って交信していた。違う街、違う州、違う国の人たちと交信しているんだなあと思いをはせたりした。
 
本の最後に、教材を注文して資格が取得できると書いてあるのを見た。車の免許みたいに16歳以上の年齢の縛りがないので、10歳の時に教材を注文し、1年間勉強してアマチュア無線家の資格を取った。たくさんの電子や数式、電子が特定の回路をどうやって通過するか無線の仕組みを学んだり、はんだ付けの仕上げ方などを学んだり、プリント回路を識別したりする必要があった。
 
自分で80個ぐらいのパーツが入っているキットを「説明書」通りに組み立てて、アマチュア無線のトランスミッターとレシーバーを作ったりもした。全ての部品が揃っているか確認して、まずこれをボルトで留め、この大きくて古い鉄の機械を組み立てて、それを真空管ソケットにはめ込み、ソケットに管を差し込んで、レジスターとキャパシターをはんだ付けし、同調ダイヤルを回してみる、という具合に。それで、おお、これ全部自分で作ったんだ、と感動したりした。
 

 
あの頃は、素晴らしい時代だったと思う。今、アマチュア無線を手に入れるとなると、既製品を買ってきて使い方を教わるだけ。全部自分でやるからこそ、すごく勉強になるのに。僕は、はんだごてを使うのも得意で、トランジスター、レジスター、キャパシターと呼ばれる何百もの部品をはんだ付けしてチックタックトーで遊べるデバイスを作ったサイエンスフェアのプロジェクトでは絶対に負ける気がしなかった。その頃はまだプロジェクトを暇つぶしという感覚ではやっていなかった。だけど、サイエンスフェアのプロジェクトの1つに、1023+1023までの足し算をするものがあった。1と0、オンとオフ、ライトが答えを教えてくれる。これがまさにコンピューターの仕組みなんだ。
 
僕が電子工学を学ぶ上で、とても重要な論文に出会った。あの頃、電子工学とはつまり「数学」だった。数学がラジオを作ったし、数学がテレビを作った。信じられないような計算を人がやっていた。微分積分を使って正しく動作する回路やラジオ局やテレビ局からの信号を取り出せるような回路の設計もしていて、電子工学ではそれもやる必要があったし、そういうことも学んだ。でもある時、コンピューターについて書かれた論文を見つけたんだ。コンピューターについて書かれた本はどの本屋にも置いてあったけど、研究の分野にはなかった。コンピューターとは何か、1と0をどう足していくのかを記事で読んだよ。ものすごくシンプルで、1と0で1になる。本当にそれだけ。かっこいい!と思ったね。論理ゲートが決断を下すということを学んだんだ。
 
灯りをつける時に、つまみを上げればオン、下げればオフ、これは決断でありロジックで、こうした小さなゲートが電子信号を受け取る。ちょうど懐中電灯みたいに信号2つがオンになっているかをワイヤーの電子が判断し、信号が通過して出力がオンになる。ANDゲートと呼ばれているものだ。このようにいろいろな種類の論理ゲートについて学んだし、足し算や1と0を足すコンピューターのスタイルを組み合わせればもっと複雑な決断が得られるということも学んだ。記事を読みながら「おもしろい。コンピューターって何かよくわからないけれどこれがその一部なんだ。これが僕が人生をかけてやっていくことなんだ、これこそが僕が一番面白いと思うことなんだ」って思った。友達は一切関係なくて、この記事のことは父にも話さなかった。先生も関係ない。ただ大好きだから、やりたいからやるんだ。5年生レベル以上の算数は必要なかったからね。
 
「5年生の算数」の知識で全て学べる。今だってそう、スマートフォンの中に入っているものも全部そうで、それ以上は必要ない。ただしアマチュア無線は別で、いまだにすごく難しい数学的なアナログのカテゴリーに入る。だから、僕はこういうプロジェクトをつくったことを誇りに思っていた。
 
この思いは学校のみんなには言えなかったけれど、学校新聞に、サイエンスフェアの僕の写真が載った時は、電子工学ってすごいなと思った。僕は、近所の子供たちと果樹園の真ん中に集まって、ごく小規模な自主開発をやっていた。我が家もそうだったけれど、同じブロックに住んでいた子供たちの半分は、親がエンジニアだったり、電子工学に関わったりしていて、みんなガレージに電子部品を保管していた。レジスターやスイッチやバッテリーが瓶いっぱいに入っていて。それで、僕らでお隣のテイラーさん宅のガーデニングを手伝った時のことだ。
 
お駄賃の代わりにガレージにある部品を見せてください、と頼んで、そこから自分たちの欲しい部品を選んだ。部品の組み合わせ方とか、トーンジェネレーターの作り方なんかをいろいろ知っていたから、僕らは部品が欲しかった。これは僕らが成し遂げた素晴らしいことの1つで、親は一切関係なく、親から言われた訳ではなく、どの親も僕らがそういうことをやっていたのは知らなかった。延線車からの電話線を家の塀の下から通して隣の家に引っ張って、ちょっといじったり放り投げたりして通りを横切らせた。
 
それからみんなでサニーベールの電気店まで自転車を走らせて、カーボンマイクロフォンだの、小さいバッテリーだの、小さいスピーカーやイヤホンだのを買った。それらを全部ワイヤーでつなげて、マイクロフォンにしゃべりかけると、ビルにも聞こえたし、遠くのグレイにも聞こえた。すごいよね。僕らだけでそういうデバイスを作ったんだ。ボタンを押すと電圧が生じて友達の家でブザーが鳴るんだ。それを夜中の2時に鳴らしたりしてね。
 
起きてる?出かけようぜ、って。そういうことが楽しかった。電子部品で何か価値のあるものを作る、っていう。学校のみんなが知らないことを僕たちは知っていて、みんなが知らない特別なことを僕たちはやっていた。それで、自分たちは特別な存在だと感じていた。
 

 
 
インタビュアー:
あなたの才能を開花させてくれたのはお父さんでしたか?それとも何か自分自身の行動が、功を奏したというのはありますか?
 
スティーブ・ウォズニアック:
その後の人生で学んだことが1つある。学習する内容はそれほど重要ではなく、要は、やる気を持てるかどうかということ。父はこういう電子工作をやってみたらどうか、チックタックトーで遊べるマシーンが作れるよと勧めてくれた。チックタックトーはロジックだね、と僕は言った。論理ゲートについて学べるから。チックタックトーでは、四角1と四角3にXが書いてあって、四角2に何もないとき、四角2にXを入れたら勝ちだ。それがロジックだ。ANDゲートと呼ばれるゲートを自分で作る。ここにXがあって、そこにXがあって、間に何もなければ勝つ、ということをANDゲートが示してくれる。
 
それで僕はトランジスターでどうやって論理ゲートを作るのかを尋ねた。ある会社の外観検品ではねられて、もらってきた小さい電子ニューロンが家のガレージにはたくさんあって、父が電子はどのようにトランジスターを流れるか、その流れはどう計算するか、そこからどうやって論理ゲートを作るかといったことを小さな黒板に書いて教えてくれた。
 
それで僕は大きなチックタックトーゲームを作った。父は助けてくれただけでなく、方向性を少し与えてくれたし、僕が気に入ることを勧めてくれた。父は誰にでも同じことをしていた訳ではなく、兄弟の中で、エンジニアになったのは、僕だけだった。数学的なつながりがあったから、僕はそういうことが大好きだった。だから、父のことがすごく好きで、僕たちはよく話をしたんだ。エンジニアリングとは何か、人生とは何でどうあるべきか。父は良き先生で、とても辛抱強かったけれど、こうなりなさい、こうならなくちゃいけない、と言うことはなかった。もっと学びなさい。こういう人もいる、こういう考え方もある、こういう問題の解き方もある、こういうデバイスの作り方もある、自分で選びなさい、自分の生き方を見つけなさい、そういうことを言う人だったんだ。
 
 
インタビュアー:
お父さんが教えてくださったモラルや、ご自身の職業倫理に役立っていることはありますか?
 
スティーブ・ウォズニアック:
ええ、父は仕事に対して、強い倫理観のある人で、家でも一生懸命仕事する姿を見ていたから、結局、僕もハードワーカーになった。
 
父は帰宅後も仕事し、週末も家で仕事をしていた。それに、時々週末にすごく重要なことを成し遂げていたことも僕は知っている。僕は僕で、かなり勉強に打ち込むようになった。例えば、大好きな数学で宿題が出された時、偶数番の問題だけやってくるようにという宿題でも、偶数の問題も奇数の問題も全部やっていた。なぜだかわからないけど、ただやりたかった。今だってそうで、大好きなこと、やりたいことには一生懸命取り組む。妻は、僕の働きぶりが信じられないと言う。引退とは真逆だしね。父はかなりしっかりした倫理規範を持っている人で、近所の友達がうちに遊びに来た時も、一番大事なのは真実を伝えることだと語っていた。例えば、裁判で証人台に立つことになったとして、宣誓した上で嘘をつくのは悪いことだ、殺人を隠そうとして嘘を重ねるようなものだ、と言っていた。
 
成長の過程で、誰もが同じようなことを教えられていると思っていたが、そうではないと後で知った。僕は自分の子供にも、常に真実こそが一番大切なことだと教えてきた。それによって、自分がどんな人間かを判断される、真実は何にも勝る、ってね。間違ったことをしても、他人にそのことが伝えられるなら、こういう理由があったからやりましたって言えるなら、それでいいと思っている。僕も人生で間違ったことや違法なことをしたことがある。電子工学の知識を使って無料で電話をかけられるデバイスを作ったんだ。でもそのことは両親に話していたよ。両親に伝えずにやることはないって言っていたんだ。そうすれば、本当に悪いと心の中で思っていることをやらなくて済むから。だから麻薬にも手を出さずに済んだのかも知れない。もし麻薬がすごくいいものだと思っていたら、両親を説得しなくてはいけなかっただろうから。その必要はなかったけれど。
 
 
インタビュアー:
いたずらっ子だったそうですね。そうやって人とつながっていたとか。学校でどんないたずらをやったのか、教えてください。
 
スティーブ・ウォズニアック:
電子工学系のエンジニアや技術者の多くの人は、昔を振り返って自分たちが考えたすごいいたずらについて話すよね。それは、頭の中で問題を解決しようとする人は創造的なモードに入っているからで、いたずらやユーモアを創造して、冗談を言ったりいたずらしたりするんだよね。頭の中で、突然ひらめいて、それが現実になる。僕も小学校ではよくジョークを言ったし、中学校ではいたずらもやったし、落書きをしたりして怒られたこともあった。ホチキスの芯を3つに切り離して小さいU字のピースを作る方法を学んで、そのU字を使って輪ゴムを飛ばすのをやっていたんだ。シューシューって。あっ、話しが前後してすみません。この方がもっと危険だった。
 
まず、輪ゴムとクリップと鉛筆を組み立てて、クリップを使って鉛筆にまっすぐな穴を開けるんだ。クリップをその中に入れて、輪ゴムをひっかけて後ろに引っ張る。で、それを離すと前に飛んでいくんだ。プシューって。僕らはそれをスピット・ワット・シューターと呼んでいて、それを学校で飛ばすのだけれど、1回も見つからなかった。だけど、その後に、友達が紙に、ある設計図を描いてね。ペンガンっていう、ファイヤークラッカーとチューブとペンでできているものなんだ。彼は絵を描いただけだったんだよ。
 
それだけなのに、それからいろんな噂が流れ始めて。スティーブ・ウォズニアックがなんかやってる、ジョンが、あいつらペンガンを持ってる。ウォズとこいつらがペンガンを持ってる、って。もちろん、ペンガンなんて持っていなくて、ただコンセプトの話をしていただけなのに。それである日、教室の外に引っ張りだされて、お前のロッカーにペンガンがあったぞって、言われたんだ。僕は言った。それはペンガンじゃないよって、スピット・ワット・シューターだよって。ハハハ。
 
 
インタビュアー:
テクノロジーとユーモアの掛け合わせ方というか、発想がいいですね。
 
スティーブ・ウォズニアック:
まだあるよ。高校時代はもっとテクノロジーとコンピューターを同等にかけ合わせていた。高校には部品の種類がもう少しあって、トーンメーカーを作った。教室のテレビと同じ音を出せるものなんだけれど、作ってはいけない音を作ってしまった。運転教育の授業で映画を見るのだが、シミュレーターを操作していた時、パトカーのサイレンのような音を出したんだ。誰か車を停めないかな、と思って。中学生の頃はいたずらが何回も見つかっていた。あとでわかったのだけれど、口が堅いと思う友達に秘密を打ち明けていて、その友達が別の口が堅いと思う友達に話していたからだった。それで結局僕が何かやろうとしているってことを、学校中も先生も知っていた。
 
だから、僕はいたずらをしかけることにしたんだ。その頃はかなりシャイで、普通に人と交流できなかったから、そうやって社会的エネルギーを放出させていたのだと思う。誰かにいたずらすれば、そこに生じる相互作用を見ることができる。彼らは理解できないかもしれないけど、社会的エネルギーを発散させる1つの形だったんだね。だからいたずらをしても、ただ黙ったまま、友達にはほとんど話さなかった。高校では1回しか見つからなかったよ。しかも、それは僕が失敗して警察の言うことを理解したからであって。ハハハ。
 
?へ続く
 
 

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