『成功者K』羽田圭介 河出書房新社

 「成功者」とは「性交者」とかけているのか!? ...と、セクハラ上司でもそうそう口にしなさそうなベタな下ネタが思わず心をよぎるほど、芥川賞作家である主人公のKは次々に女性と関係を持っていく。表紙にはバーンと著者の顔写真が使われ(著者近影などという控えめなものではまったくない)、「K」も「圭介」のイニシャルであることを濃厚に感じさせる作り。「これ、きらいな人はすごくきらいだろうな...」と他人事ながら心配になるレベルだ。好感度を下げるリスクを犯してまで著者が世に問うた問題作、私も手放しで好きとはいえないがきらいにもなれない。

 主人公である「成功者K」は、芥川賞作家となった。それによってどんな変化が起こったのかは全編を通して執拗に描写されるが、冒頭の2文に集約することも可能かもしれない。「Kは成功をおさめた。それはもう、多大なる成功だった」。これでもかというほどメディア(特にテレビ)に露出し、高額のギャラをふっかけ、自分の好みの女性へ積極的にアピールする。受賞前からつきあっている彼女がいながら、ファンに手を出し、仕事相手を誘い、女優の卵に心を奪われる。この乱倫な女性関係はどこまで事実に即しているのか。もしかして全部がほんとう? 私自身は、作家としてもテレビタレント的にも羽田さんに対して好感を持っている方だ。しかし、彼を嫌う人がいたとしてもまったく不思議には思わないだろう。規格外の(特にテレビに出始めた頃の羽田さんには、予定調和的な部分がほぼまったくなかった)存在に拒否反応を起こす人々は一定数いる。まして、私小説的な作品がこんな赤裸々な内容となれば。

 鼻持ちならない俗物であるにもかかわらず、(もしかしたら羽田さんの投影であるところの)Kをそれでも私が嫌いになれない理由は、文学ひいては人生に対して妙に真摯で純粋なところがあるからだ。それはテレビで見かける著者の、尊大なようでいて仕事や基本的な生活態度に関してはストイックにみえる姿と重なる。だとしたら、自分を貶めてでもプライベートもひっくるめてすべて小説という舞台でいかそうという姿勢は、一周回って賞賛されてもおかしくないのではないだろうか。裏の裏は表、みたいに。

 Kのみならず、周囲の人々も実名同然の書かれ方をしている。「歌人で小説家でもある」「毎週出演しても月に数万円しかもらえない二部の深夜ラジオの生放送にも、本を読んでくれる人を増やしたいからという理由で」出演するカトチエとか、「全然金に困っていないのに、社会との繋がりがなければ小説を書けないという理由でコンビニで働きながら小説を書く同期の小説家」とか、本好きの人ならすぐさま誰のことだかわかるだろう。ますます現実と虚構の境目がわからなくなってくる感じ。

 最後の最後は、正直どういうことなのか読み取れている自信がない。いちおう自分なりに「こういうことだろうか」という推論めいたものは持っているが、そういう読者を煙に巻くような書き方も含めて味わうように読めばいいのかなと思っている。これからはテレビ画面で羽田さんをお見かけしても、心の内でどう考えておられるのかが気になって内容に集中できないかも。「他人にどう思われようと、本が売れりゃいいんですよ」とか言われそうだけれど。

(松井ゆかり)