■理想通りにはいかなくても重要だったシーズン

──木暮監督の契約自体は3年契約だったのでしょうか?
木暮賢一郎 1年契約プラス、オプションでした。ただし、確約はされていないものの、トータルで3年間を見ながら成し遂げようという話はしていました。ですから、3年くらいのスパンをあらかじめ想定していましたね。

──そして2年目に選手編成にも着手できましたが、その他にもクラブに要求していたことはありますか?
木暮賢一郎 二部練習を実施したいということは要求し続けていました。これは当然、スクールなど選手の仕事の調整や、慣れないことに対する選手の感情も出てきますから、簡単ではありません。でも結果的には、2シーズン目のプレーオフの目前に導入して、そこでヒアリングをしながら、今シーズンは週に1回だけですが、二部練習を継続的に実施できました。

──2年目のシーズンは、レギュラーシーズンこそ1年目の5位から4位と順位を上げましたが、プレーオフでは2nd Roundで府中に敗退してしまいました。それでも目標に近づいたシーズンだったと感じていますか?
木暮賢一郎 シーズン前にアルトゥールと小曽戸(允哉)を獲得しましたが、小曽戸は開幕戦で骨折して手術をすることになってしまいましたし、選手のケガで理想的なプラン通りに進められない部分はありました。それでも元々、田村や加藤といった1年目の終盤に“シンデレラボーイ”となった選手は、初めてシーズンを通して戦うことになりますし、ある程度は苦しむだろうという想定がありました。そうした中で、失点も多かったですが、一方ではゴール数で名古屋よりも多くの数字を挙げることができましたし、手応えを感じていました。3年目に、過去の2年間を分析し直した上で、本当に歴史を変えるところから逆算してプランを練り上げるための材料として、2年目のシーズンも本当に重要だったと思います。

──常にベストメンバーを組めない中で、安定感のある戦いを継続できなかった印象です。
木暮賢一郎 オフェンスのシステムでもチャレンジをしたことが、結果的にリーグで一番の数字を出すベースになりましたが、確かに安定感はなかったなと。それに、2年目の一つの大きな決断としては、ゾーンディフェンスのシステムを変えたことです。1年目が、足りないところを補うことで持っている力以上の結果を出せたシーズンだとすれば、2年目は、ケガを含めて、本来いるべきところに自分の力不足で導けなかったシーズン。良い選手を獲得してもらい、期待値が高まっていた中での結果としては1年目とは真逆で、物足りない。「理想と現実」を味わいましたね。

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 過去2年の成功と失敗を経験し、満を辞して臨んだ3年目。木暮監督は何を考え、実行していたのか。後編に続く。