浅田真央がフィギュアスケート人生を語る/撮影=神保達也

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4月10日に自身のブログで現役引退を表明した、フィギュアスケートの元世界女王・浅田真央が、12日に引退会見を開き、自身の言葉で現在の心境を語った。

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白いジャケットに黒いボトムス姿で会場に姿を見せた浅田は「長い選手生活だったんですけども、たくさんの山がありました。その山を乗り越えられたのも、支えてくださった方々、たくさんのファンの方々の応援があったからだと思っています」と笑顔を見せた。

2010年のバンクーバー五輪で銀メダルを獲得、2014年のソチ五輪で6位となった浅田。最後に出場した大会は昨年12月の全日本フィギュアスケート選手権大会で、12位という結果に終わった。

以前から2018年の平昌五輪を目指すことを公言していたが、浅田は今回、一転して引退を決断。10日に更新したブログで「フィギュアスケート選手として終える決断を致しました」と明かしていた。

会見会場には国内外から40台以上のテレビカメラ、350人以上の報道関係者が集まり、注目度の高さを示した。

浅田は会見場に登壇し、「皆さんこんにちは、浅田真央です。本日はこのような場にお集まりいただき、本当にありがとうございます。2日前にホームページで発表しましたが、またあらためてご報告いたします。

私、浅田真央は選手生活を終える決断をいたしました。長い選手生活だったんですけども、たくさんの山がありました。その山を乗り越えられたのも、支えてくださった方々、たくさんのファンの方々の応援があったからだと思っています。

きょうは、感謝の気持ちを皆さんにお伝えできればと思い、このような場を設けさせていただきました。本日はよろしくお願いいたします」とあいさつ。

その後の質疑応答では下記のようなやりとりが行われた。この場でたっぷりと紹介する。

――まずは、お疲れさまでした。2日前、ブログで引退を発表されて、あらためて今、どんな心境?

本当に、この場に入ってきたときに、これだけのたくさんの方がいらしてくださっていたので、私自身ちょっとびっくりしたんですけど、今はちょっと落ち着いています。

――引退発表後、掛けられた言葉で印象に残ったのは?

発表してからは本当にたくさんの方が連絡をくださったんですけど、皆さん本当に「お疲れさま」という言葉をかけてくださったので、私自身も「ああ、選手生活が終わるんだな」という気持ちになりました。

――親しい人への報告はどのような形で伝えた?

少し前ですが、家族や友達に報告しました。みんな「お疲れさま、よく頑張ったね」と言ってくれました。

――引退はどのくらい前から考えていた?

私は、復帰してからいい形でスタートできたんですけど、それから試合に出るにつれて、今のスケート界はすごいので、私自身も付いていけるのかなという思いが強くなったり、あとは気持ちだったり体の部分で、復帰以前よりも少しつらい部分が多くなりました。

何とか1シーズン目は乗り切れたんですけど、2シーズン目からは何とか頑張ろうという思いだけでやってきました。でも最後の全日本選手権で、もういいんじゃないかなというふうに思いました。

――全日本選手権から3カ月近くたち、今の思いは?

自分が復帰してからずっと掲げてきた、平昌五輪に出るっていう目標があったので、私自身、言ってしまったこと、目標をやりとげなきゃいけないと思っていたので、その、自分の言ってしまったこととの葛藤はずっとありました。

――具体的にはいつ頃決断した?

全日本選手権が終わって、すべて結果が出たときに「ああ、もう終わったんだな」っていうふうには思いました。でも、日がたつにつれて自分が言ってしまったことというのは最後までやり通してきたので、やらなきゃいけないんじゃないかなという思いの方が強くて、ここまで延びてしまいました。

――平昌五輪への思いを上回る達成感があったということ?

そうですね、私はソチ五輪が終わってから最高の形で終えることができたんですけど、やはり自分の体もまだまだできますし、気持ちもまだやれるという思いがあったので復帰しました。でも、自分が実際挑戦してみて、もう気持ちも体も気力も全部出し切ったので、今は何も悔いはないです。

――最後の大会になった全日本でトリプルアクセルに挑んだ。その時の気持ちを振り返って。

最後になるのかなっていう気持ちはソチ五輪後の世界選手権ほどではなかったですけど、最後トリプルアクセルに挑戦して終えられたことは、自分らしかったかなというふうには思います。

――現役生活を振り返って。初めてスケート靴を履いた時の記憶は?

私は覚えていないんですけど…5歳だったので。でも、ヘルメットをかぶって、スキーウエアを着て、肘あてヒザあてをしてたのは写真に残っているので覚えています。

―それから21年、スケートをやっていて一番楽しかったことは。

やはり小っちゃい頃に、フィギュアスケートにはいくつも技があるんですけど、技ができるようになったときは本当に楽しい気持ちで、じゃあ2回転飛びたい、3回転飛びたいという、そういう思いがすごく楽しかったですね。

――逆に、つらかった部分は?

つらかった部分はそんなになくて、この道を選んだのも自分ですし、自分が選んでやりたいと思って望んでやってきた道なので、つらいと思ったことはありません。

――2回のオリンピックを振り返って。まず、バンクーバー五輪の思い出は?

バンクーバーは19歳だったんですけど、すごく10代で、若くて、本当に気が強くて、その強い気持ちだけで乗り越えてきたなという感じがします。

――そして、その4年後のソチ五輪を振り返ると。

ソチ五輪は…やはりショートが残念な結果だったので、本当に気持ち的にはすごくつらい試合だったんですけど、フリーをああいう形で最高の演技で終えることができて、あの気持ちの状態から、バンクーバーからソチへの4年間の思いをすべてあの4分間にそそぎ込めたと思っています。

――2度のオリンピックはどんな経験だったか。

私の今後の人生においてもすごくいい経験だったり、いい思い出だったのかなと思います。

――3回の世界選手権優勝は日本人最多。印象に残っていることは?

2回、世界選手権で金メダル取ったときはすべてオリンピックの後の世界選手権で、オリンピックの悔しさを晴らせた大会だったのかなと思いますけど、最後の世界選手権は自分の中では最後と思って臨んだ試合だったので。

自分の今までのスケート人生をそのプログラムにぶつけた試合だったので、最後の世界選手権が一番思い入れは強い試合でした。

――現役を振り返って最も印象に残る演技は?

うーん、難しいです。1つっていうのは難しくて。でもやっぱり、ソチのフリーかなと思います。やはり気持ちがすごい、今までの試合以上に落ち込んでたりつらかった部分もあったんですけど、それでもあれだけの演技が出来たことに関して、それがオリンピックだったということが一番良かったのかなというふうに思います。

――長く指導を受けた2人のコーチについて。まず山田満知子コーチとの思い出は?

満知子先生は小さい頃に指導を受けていたんですけど、本当にスケートの楽しさ、挑戦する楽しさを教えてくれました。その一方で、スケートだけでなくいろいろなことを教えてくれた先生です。

――そして佐藤信夫コーチは。

佐藤コーチは、自分の意志もすごく強い方なので(笑)、先生と意見を交換する機会もすごく多かったんですけど、自分の意見をしっかり聞いてくださって、それを静かに見守っていってくれていた先生でした。

――休業があって、戻ってきてからの2年間の意味は?

ソチオリンピックのシーズンで世界選手権を終えて、自分が選手を終えていたら、今も、まだ出来たんじゃないかなというふうに思っていたと思います。でも、自分が望んでチャレンジして出した結果なので、今は何もやり残したことはないので、もう一度チャレンジすることができてよかったなと思っています。

――今後について、どんなプランがありますか?

まず、本当にもうすぐ夏にあるのがアイスショーなので、そこで選手生活を終えて初めて皆さんの前で滑るので、いい演技を目指して頑張りたいなと思っています。

――フィギュアスケートにどういう形で携わる?

5歳からスケートを始めて、今までスケートにお世話になりました。なので、どんな形になっても、フィギュアスケートに恩返しができるような形で携わっていきたいなと思います。

――具体的なプランはこれから?

そうですね、はい。

――日本フィギュア界について。浅田さんに憧れたスケーターがトップ選手になってきた。日本フィギュア界へのエールを。

そうですね。引退された大先輩の方々をはじめ、私も引退することになったんですけど、本当にスケート界を引っ張ってこられたかなと思っています。今はどんどん若い選手が出てきているので、若い選手に若いパワーでフィギュア界を引っ張っていってほしいなと思います。

――真央さんにとってフィギュアスケートはどんな存在?

存在…。うーん…どんな存在ですかね。難しいですけど、一言でいうと、やはり人生かなというふうに思います。

――今、自分を褒めたい部分はどんなところ?

私、結構飽きてしまうことが多いんです。ハマってしまったらそれにすごくハマってしまうんですが、それにすぐに飽きちゃう性格で。でも、スケートは5歳から26歳まで続けてこられたので、「長い間、すごいね、続けてきたね」と言いたいです。

――どういうスケート人生でしたか?

私のすべてがスケート中心の生活だったので、本当に私の人生です。

――ファンの皆さんに一言を。

本当にたくさんのファンの方が応援してくださって、長い間、良いときも悪いときも諦めずに応援してくれていたので、私もすごくそれが励みになりましたし、パワーになりました。

本当に感謝しています。ありがとうございました。