この20年あまりの間、日本にはずっと「就職難」問題が存在し、毎年、「就職氷河期」とか「超氷河期」といった言葉が聞こえてくる。だが「氷河期」とは一体どういうことなのか。

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この20年あまりの間、日本にはずっと「就職難」問題が存在し、毎年、「就職氷河期」とか「超氷河期」といった言葉が聞こえてくる。だが「氷河期」とは一体どういうことなのか。新華網が伝えた。(文:兪天任・日本在住の研究者)

データをみると、20世紀から21世紀へ移り変わる前後の数年間を除いて、本当に「就職」しようと思うなら、日本の大卒者が仕事を見つけられないということはなかった。「氷河期」という言い方は、大卒者が仕事を見つけられないということではなく、「理想の仕事」をなかなか見つけられないことを指している。

それでは日本の学生たちの「理想の仕事」とはどのようなものだろうか。まず当然のことながら給料の高い仕事だ。とはいえ、日本の学生にとって「給料の高さ」は1番大事な要因ではない。日本では同クラスの職場であれば給料にそれほど差はなく、職場のさまざまなポストは出身校のランクによって給料が基本的に固定化しているからだ。どのランクの学校を卒業すれば、どれくらいの給料がもらえるかが基本的に決まっている。

次に日本人が求めるのは「安定」だ。安定とはもちろん「終身雇用」のことだ。一般的にいって、何か特別の理由がない限り、日本のサラリーマンは1つの企業で職業生活を終えるのであり、給料や報酬や昇進は一般的に先に来た者が先、後に来た者が後だ。日本人がよく口にする「人生設計」はこのような年功序列の企業文化の上に構築される。

日本文化における「人生設計」は非常に具体的だ。どのような会社に入り、「年功序列」のペースに従って進み、どれくらいの年齢でどれくらいの給料がもらえ、いつ頃結婚し、いつ頃家を買い、いつ頃子供をもてるか、子供はどのランクの学校に行くか、退職後にいくら年金をもらえるか、どれくらいの頻度でどの国に旅行するかなど、内容は非常に細かい。

中国人は日本人のこうした「1カ所で終わる」職業傾向を理解できないことが多い。日本人には開拓の精神がないのだろうか。確かに、他の文化の人生観で日本人の「人生設計」をながめると、無味乾燥のつまらない人生のようにみえる。「開拓」ではなく「安定」を奨励する考え方は、現在の日本社会では主流を占める。メディアで時々創造開拓を奨励するとの文言をみかけるが、多くの人々は安定と安全の追求を生活信条としている。

だが日本人に開拓を志す遺伝子が全くないとは言えない。トヨタ、パナソニック、ソニーを代表とする日本企業は創業・成長の過程でリスクを恐れず、自ら打って出て、新たな境地を開拓した。とはいえ、こうした企業の創業当時は日本社会が不安定だったり混乱していたりする時期で、日本社会は均質化のレベルが低かった。人々が冒険を恐れなかったのは、冒険しなくとも、身の回りにリスクが転がっていたからだ。

第二次世界大戦後の混乱期を乗り越ると、経済建設の成功によって、日本社会は均衡レベルが非常に高い安定した社会になり、均質化レベルも上昇した。これと同時に医療水準が向上し、平均寿命がどんどん延び、社会構成員の平均年齢も上昇を続け、社会の高齢化が進んだ。このような社会では主流の共通認識が絶えず保守化に向かう。

社会の均質化レベルが上昇を続ける時期に大学を卒業する学生たちは、職業選択にあたって冒険の少ない道を選ぶのが正解だ。1980年までは確かにそうだった。当時、企業間の開きは今より小さく、大学教育の普及レベルも現在より低かった。大卒者は希望の職業やポストを比較的容易に手に入れることができた。

だがその後、バブル経済が発生し、崩壊し、高等教育も普及し、こうした要因が日本の学生の職業観に影響を与えた。こうした時期に学生たちはたくさんの事例をみてきた。経営不振により市場から淘汰された多くの企業、経営不振やその他の原因によって企業から淘汰されたさらに多くの従業員をみてきた。