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歴史的な背景を抜きにしても、すれ違いが起こりやすい日本人と韓国人。国もお隣同士で外見もそれほど変わらないというのに、一体なぜなのでしょうか。今回の無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では著者の伊勢雅臣さんがその理由を探るべく、黒田勝弘氏の著書を引きながら、日本人と韓国人の文化や習慣の違いについて詳細に分析しています。

「みんな仲良く」の日本人「俺が俺が」の韓国

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韓国ウォッチャーとして著名な元産経新聞ソウル支局長・黒田勝弘氏が、ソウルで韓国人の年配の知り合いと会った時に、日本の童謡の「夕焼け小焼け」が話題になった。

夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる お手々つないで みな帰ろ カラスも一緒に帰りましょ

その知り合いはしみじみとこう言った。

日本ではカラスまで一緒にさそって、みんな手をつないで仲良くしようというんですよねぇ…。それに比べると韓国人は、この「お手々つないでみな帰ろ」ができないんです――。

別の韓国人は、しばらく日本に駐在してから韓国に帰ってきた。子供たちも日本の学校に通っていて、韓国の学校に戻ったのだが、何かにつけて遅れをとって困ると言う。

ボール遊びとか、教室に先を争って入るとか、何かを受け取ったりするときなど、「先を争ってわれ勝ち」という場面で、自分の子供は弱い。その原因はどうも日本での教育のせいではないか、と言う。日本の幼稚園や小学校では「みんな仲良く」「みんな一緒に」と、絶えず協調を教えるために、それになじんでしまった子どもが、韓国の学校では遅れをとってしまう、というのである。

日本人と韓国人は隣人どうしで、外見もそっくりのため、お互いに自分と似ていると考え勝ちだが、実は似ていない点も多い。そして、そこにそれぞれのお国ぶりが現れるのである。

恒心を持ちえない状況の中に生きている民族

「みんな仲良く」の日本人と「俺が俺が」の韓国人の違いがどこから来ているのか、韓国の著名な作家である李炳注氏は次のように語っている。

…日本人にある、いやおう盛ですらある協同のマナーもしくは精神がどうしてわれわれにはないかということは、実に不可思議なことですけれども、この不可思議な問題を可能なところまで追求してみるのも重要だと思いますね。…

 

私は漠然とですが、恒心という問題を提起してみたいと思います。結論からいえば、わが民族は恒心を持たない民族、恒心を持ちえない状況の中に生きている民族だと私は思います。…

 

韓国人と日本人を比較するとき、周囲の環境をつきつめてみなければなりません。安定した環境である程度の確立した社会に生きる人びとと、常に不安定で価値の乱れた社会に住む人びととを対等に比較することはできませんよ。

(『韓国社会を見つめて―似て非なるもの』黒田勝弘 著/徳間書店)

安全で平和な島国である日本では、お互いに仲良く力を合わせて仲良くやっていくことが、幸福への道であった。時折、台風や地震が襲ってくるが、それらも皆で力を合わせて乗り越えていく。そうした社会では、恒心、すなわち、安定した価値観と心持ちを持って、生きていくことができる。

それに対して、半島国家である韓国は、周囲の大国のパワーゲームの舞台とされやすい。朝鮮半島は古代から中国と日本のせめぎ合いの舞台であり、近代に入ってからは、ロシアやアメリカが加わり、さらに国土も南北に分断されて軍事的対立の中で生きてきた。韓国国内も親中派、親日派、親露派、親米派などに分裂し、抗争が続いてきた。そのような不安定な社会では「みんな仲良く」などというのは絵空事である。「俺が俺が」と他人を押しのけ、生き延びていかねばならない。

自転車に乗るのは体面にかかわる

「俺が俺が」の社会は、勝者と敗者が明確な格差社会となり、勝者はことさらに自らの体面を重んずるようになる。

企業や役所の幹部など、社会的成功者は運転手付きの公用車、社用車に乗る。一般大衆がすし詰めになったバスの横を、黒塗りの大型車がスイスイと走っていく。

会社や役所で車付きの幹部を務めた人が、退職後にもっとも愚痴をこぼすのが、運転手付きの車がなくなったことで、満員のバスに乗ったり、タクシーを拾ったりする「みじめさ」に耐えられず、つい外出もおっくうになるほどだと言う。

黒塗りの大型車の対局をなすのが、自転車だ。みすぼらしい格好の労働者が大きな荷物を乗せて、汗をかきながら自転車を漕いでいる、というのが、伝統的な「下層労働階級」のイメージである。

黒田氏の知人の日本人が、知り合いの韓国人の牧師の家に遊びに行った時のこと。この牧師は日本の教会との交流で、何年か日本生活の経験があったという。その牧師の奥さんがこう言ったそうだ。

うちの人は日本にいる時やっていたといって、自転車で外出しようとするので困ります。あんなはしたないことされると体面上困ります。

(『韓国人の発想』黒田勝弘 著/徳間書店)

立派な聖職者は「自転車なんかに乗って出歩いてはいけない」というのが、この奥さんの「体面」へのこだわりである。

もちろん、日本でも同様な感覚を持つ人も多いだろうが、一方で、「地位のある人でも慎ましい生活をしているのが本当に偉い人だ」という価値観も根強い。かつて経団連会長を務めた土光敏夫さんがバスで通勤している姿が静かな感動を呼んだ。

「サジャンニーム!(社長さーん)

体面の最たるものが、肩書きである。韓国社会では日常会話でも、相手を肩書き付きで呼ぶことが多い。

新聞社では記者同士で「○○記者(キジャ)」と言い合っていますし、大学では教授たちがお互いに「○○博士(パクサ)」と呼び合っています。街の通りや、食堂、飲み屋などでも連れだった客同士が「キム部長(ブジャン)」「パク課長(クワジュン)」…と肩書き呼称が飛びかっていますし、さして大きなバー、クラブでなくとも飲み屋の男子従業員をホステスたちが「○○専務(チョンム)」「○○常務(サンム)」といい、大通りで「サジャンニーム!(社長さーんの意)と声をあげれば、みんな「オレのことか?」という顔で振り向くほどに、韓国には社長がたくさんいるということになります。

 

韓国人の独立心が強いのも、結局、誰かの下でいつまでも働いていたのでは「カムトゥ(官職、地位)」が得られないため、独立すれば手っ取り早く肩書きができるから、ということかもしれません。独立し、一人で商売を始めると、みんな社長になれるというわけです。

(同上)

逆に、相手の体面に相応した呼称をもちいないと、韓国人は激しく怒り出す。日本の各マスコミのソウル支局では、日本語のできる韓国人スタッフをおいて取材の協力などをして貰っている。各社の特派員たちは彼らを「助手」と呼ぶが、この肩書きは本人たちには大変評判が悪い。

ある時、新しく赴任してきた若い日本人特派員が、本人のいる前で「助手の○○さんは…」とやったところ、本人がつかみかからんばかりに怒った。本人にしてみれば、何代にもわたって特派員を手助けしてきており、新参者の特派員などよりも先輩だという自負があった。

日本では「助手」という言葉に侮蔑感は含まれていないから、この新米特派員もそう呼んだのだろう。長年「助手」として務めてきた人には、周囲の人も敬意を払う場合が多いからだ。

「おでん屋三代」に驚き

一方、負け組に対しては、露骨な蔑視が当然とされる。黒田氏の行きつけの韓国料理屋の女主人は、業界団体の視察旅行で日本に行った時の経験をこう語った。

たしか京都のどこかのお寺でした。見物したあとバスが出るまですこし時間があったので、お寺の近くをぶらぶら散歩していたら、路地裏に小さな「おでん屋」があったので、何人かで入ったんです。韓国にもそのまま「おでん」という名前であるんですが、日本で食べたのはうまかったですねえ。おでんがあんなにおいしいものとは知らなかった。

 

ところが、わたしたちが驚いたのは、その何の変哲もない小さなおでん屋が、何と三代にわたってやっているというんですね。三代というと100年ですよ。驚きましたねえ。我が国だと屋台をすこし大きくしたようなおでん屋などは、つまらない商売ですから親子三代なんか決してやりません。そんなものに一生をかけるなんてことはありません。小金をためて、できるだけ早くやめたいと思っていますね。

 

それと、やはり日本は安定社会だなあとつくづく思いましたねえ。おでん屋を同じ場所で三代も続けているというのは、社会が安定しているということではないでしょうか。

(同上)

「つまらない仕事を親子何代もやっているのは恥ずかしい」

この話で黒田氏が思い出したのは、KBS(韓国放送公社)のテレビで親子何代にわたって同じ仕事を続けている職人を紹介する番組を作ろうとしたが、何度募集しても応募がなかった、という話である。この女主人はこう謎解きをした。

韓国にももちろん職人はいるし、親子何代でやっている人たちも、日本ほどではないければいると思います。ただ、テレビで紹介するといった場合、ひょっとすると恥ずかしがって出ないかもしれませんよ。わたしたちには、出世せずにつまらない仕事を親子何代もやっているのは恥ずかしい、という思いがあります。とくに食べ物屋なんか自慢になりませんからね。

(同上)

日本は創業100年を超える老舗企業が10万社以上あると推定されている「老舗企業大国」である。おでん屋を三代にわたってやっているというのは、我が国では尊敬されこそすれ、「恥ずかしいこと」などと思う人はいないだろう。

「われわれを登場させると本の品位が落ちる」

韓国における「賤業蔑視」の話をもうひとつ。ソウル特派員時代、黒田氏は『韓国人あなたは何者か』というタイトルの韓国語による評論集を2巻出版し、合計10万部近く売れるベストセラーとなった。読者から多くのおたよりが来たが、その9割が好意的なものだった。

しかし、名門・梨花女子大のある学生は「著者は飲み屋のアガシ(娘さん)の話ばかり引用しているが、何故われわれに話をきいてくれなかったのか」と怒っていたそうである。韓国社会を語るのに、自分たちのようなエリートをさしおいて、無教養で下賤な飲み屋のホステスなんぞに語らせたということで、いたく誇りを傷つけられたのだった。

同様に、飲み屋のホステスたちも「クロダ氏、今後、韓国で本を書くときはわれわれを登場させてはいけない」と口を揃えて言った。「われわれを登場させると本の品位が落ち、ひいてはクロダ氏の品格が問われることになるので、やめた方がよい」という親切心からだった。

銀座のバーのマダムたちが書いた本が何冊も出版されているわが国とは、根本的に事情が異なるのである。

日本人は見ず知らずの人に親切、身内には他人行儀

「俺が俺が」の不安定社会においては、見ず知らずの他人はすぐには信用できない。そうした社会の人々が日本に来ると、驚くことがある。

韓国人たちも、日本を旅行した感想として語るベスト・スリーの日本印象のなかには、必ず「日本人は親切」というのが入っています。とくに初めて日本を訪れた韓国人は、ほとんどの場合、「日本人は悪い奴」という先入観を持っていますから、逆に意外な親切さに驚き、印象的に思うようです。

 

もちろん、この親切というのは、たとえば道をたずねたときとか、ショッピングでの対応とか、各種窓口での接触とかを通じての印象です。つまり、日本での見ず知らずの人間に対する、一回切りの接触での親切に、韓国人たちはとくに感心します。いや「見ず知らずの人間にもかかわらず、なぜあんなに親切なのか」という意味で、日本人の一般的な親切さに感心するのです。

(同上)

逆に韓国ではいったん親しくなると、「肝までくれてやる」とことわざに言うほど、とことん親切にする。そして、お互いにその親切さを要求する。こうした感覚から見ると、日本人は親しい間柄になっても、よそよそしく「他人行儀」だと韓国人は非難する。

日本人が感謝すべきこと

日本人と韓国人は外見はそっくりだが、その行動様式はこれほどに異なる。お互いに外見がそっくりだから、行動様式も似ているだろうと思いこむところから、摩擦が始まる。無用な摩擦を回避するためには、まずはお互いに全く異なる文化を持つ「外国人」どうしであることを認め合わなければならない。

そして、両国民の行動様式の違いの大きな要因の一つが、李炳注氏の指摘したように、日本人が「安定した環境である程度の確立した社会」の中で皆が平等に仲良く暮らす国柄を築いてきたのに対し、韓国人は「常に不安定で価値の乱れた社会」の中で生きてこざるをえなかった点にあるようだ。

日本民族は、近隣諸国から海で隔絶された安全な美しい島国に住み着き、数千年の間、他国に比べればはるかに平和で安定した、そして平等な社会を築いてきた。たまたま、そのような国に生まれついた我が身の幸福を認識しなければならない。

そして、このような幸福な社会を築いてくれたご先祖様に感謝し、それをさらに維持・発展させて、子孫たちに受け継いでいくべき責任が、我々の世代にあることも自覚すべきであろう。

さらに、世界の多くの恵まれない国々に生まれついた人々のためには、なにがしかの分福(福の分かち合い)をしたいものである。

文責:伊勢雅臣

image by: DiegoMariottini / Shutterstock.com

 

『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』

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購読者数4万3,000人、創刊18年のメールマガジン『Japan On the Globe 国際派日本人養成講座』発行者。国際社会で日本を背負って活躍できる人材の育成を目指す。

出典元:まぐまぐニュース!