国土の広い中国では、道路の幅も広い。都市の幹線道路は片側に何車線もあり、日本ではなかなか見かけることが難しいほどの幅を持つ道路が当たり前のように存在する。吉林省長春市の中心部を走る「人民大街」もその1つだ。中国メディア・今日頭条は8日、中国一長いメインストリートと称される人民大街について、日本人が最初に作ったものだと紹介する記事を掲載した。(イメージ写真提供:(C)孟 香浜/123RF)

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 国土の広い中国では、道路の幅も広い。都市の幹線道路は片側に何車線もあり、日本ではなかなか見かけることが難しいほどの幅を持つ道路が当たり前のように存在する。吉林省長春市の中心部を走る「人民大街」もその1つだ。中国メディア・今日頭条は8日、中国一長いメインストリートと称される人民大街について、日本人が最初に作ったものだと紹介する記事を掲載した。

 記事は、人民大街が全長13.7キロメートルと中国最長のメインストリートであるとともに「アジア一のストリート」と称され、その道幅が一部を除いて54メートルあると紹介。その起源が日露戦争後の1907年、南満州鉄道の権益をロシアから奪った日本が市街の建設計画を立てたことにあるとした。

 そして、「日本人は長さ900メートルのメインストリートを建設した。これが今の人民大街の北側部分だ。長さは現在の13分の1程度だが、これが人民大街の最初のひな型となったのだ」と説明。また、道幅を54メートルに拡張したのも日本の統治時代であったと伝えた。

 記事によれば、建設当初は中国風に「長春大街」と命名されたものの、1922年に日本の当局が満鉄付属地域にある街路の名称を一律日本風に変えた際に「中央通り」という名称に変更されたという。第2次世界大戦が終わりソ連軍が進駐すると「斯大林大街(スターリン大通り)」となり、46年に国民党が長春を占拠すると「中山大街」、「中正大街」に、人民解放軍の手に渡った49年にはソ連との友好関係を示すため再び「斯大林大街」となったとのことだ。現在の「人民大街」に変わったのは96年5月1日だった。

 中国のネットユーザーからは「その時代に54メートルの道路を作った日本の先見がすごい」、「当時の長春は東京より発展した都市だった」、「この街は、日本が心血を注いで作った街だから」など、日本による統治の歴史は別として、当時から優れていた日本の都市計画、現在でも使えるしっかりした道路づくりについて高く評価する意見が見られた。

 96年に長春の「スターリン大通り」が消えたのと同様、大連の「スターリン広場」も93年に「人民広場」となった。ソ連の崩壊、中国独自の社会主義資本経済への邁進といった時代の流れを感じさせる。一方で大連では「スターリン通り」、「ゴーリキー通り」とソ連の香りがする通りの名前も健在である。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:(C)孟 香浜/123RF)