順天堂大学医学部 病理・腫瘍学教授 樋野興夫氏

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人はなぜ、死が身近に迫ったときでもなお、目の前の些事に目がいってしまうのだろうか?

■蓋をしてきた問題が噴出する

2008年に順天堂大学医学部附属順天堂医院で「がん哲学外来」を開設して以来、私は3000人以上の患者さんやそのご家族と面談してきました。外来といっても料金は無料で、がんにまつわるさまざまな悩みの解消を目的にしています。ここでは、「がんを治す」というような悩みの「解決」はできませんが、本音を吐き出してじっくり自分と向き合うことで、後悔や悩みに心を囚われないよう「解消」していくのです。

今まさにがん治療の最中である、手術は成功したものの再発の恐れがある、助かる見込みがない……など、面談に来る方の立場はさまざまですが、彼らの心は大きくわけて3つの悩みに支配されています。一つは家族との人間関係、もう一つが職場の人間関係や仕事、生きがいに関すること、そして病気そのものです。

こう見ればわかるように、死を意識した人たちの悩みは、病気によってもたらされたものばかりではありません。どちらかといえば、それまで見ないふりをしてきた問題が顕在化すると思ったほうがいいでしょう。死を意識すると、自然と感情の襞が繊細になり、いろいろなことが目に付くようになるのです。

がんになったある男性は、妻ときちんとコミュニケーションをとってこなかったことを後悔していました。病気になって仕事を休むと、家にずっといることになります。そんなとき、夫婦関係がうまくいっていないと、30分同じ空間にいるだけでも苦痛に感じるのです。

日本人には、照れからうまく愛情表現ができず、誠実な気持ちはあるのに家族を不安にさせてしまう人が多いようです。常に「愛しているよ」と言う必要はありませんが、相手が愛情を感じられるよう、日頃から気遣いを見せるべきでしょう。

またある女性は、遺産のことで悩んでいました。自分が死んでからどのように分配すべきか、家族がきちんと話し合ってくれるのか、不安で仕方がないというのです。

これに対する私の答えは「ほっとけ」です。自分が死んだあとのことは、なるようにしかなりません。もし何か対策を講じたいなら、遺言書を書けばいい。ですが、きっと彼女の悩みの本質は、家族とのコミュニケーション不足によるものでしょう。悩みを聞いていくと、その根っこに大きな後悔が潜んでいることがあります。死が迫っていたとしても、やれることはあります。悔いを残さないよう行動を起こすのもひとつの手でしょう。

肺がんにかかったある男性は、自分がタバコを吸い続けてきたことを後悔していました。たしかに、タバコを吸えばがんになる可能性が高まるとされています。

ですが、がんを含めたすべての病気は不条理なものです。つまり、人間には病気をコントロールできないのです。もしタバコを含めた生活習慣で「やめたほうがいい」と感じるものがあれば、今からやめればいい。ですが、病気になってから「あれが原因ではないか」と想像して、後悔するのは無駄なことです。

過去に犯した罪を悔いる人もいますが、それもタバコと同じこと。変えられない過去についてあれこれ後悔するのはやめましょう。

病気というより、死に対して漠然とした不安を抱える人もいます。死後のことは誰にもわからないので、不安に思う気持ちもわかります。もし信仰がその不安を解消してくれるなら、何かを信じてもいいでしょう。

ですが、死を恐れる人たちに対して、私はいつも自分の死後の夢の話をします。私の夢は、尊敬する勝海舟と新島襄、内村鑑三、新渡戸稲造、南原繁、矢内原忠雄そして吉田富三と私の8人で天国にカフェを開くこと。死後のことはわからないのだから、どんな夢を持つのも自由。信仰に頼らなくても、心を穏やかに保つ方法はあるのではないでしょうか。

■居場所がないと感じる理由

死を意識した人たちはいろいろな後悔を抱えていますが、なかでも私が残念に思うのは「病気になんかなって、自分の人生は一体何だったのだ」と後悔している人たちです。

世代や性別に関係なく、自分には生きがいがない、居場所がないと感じている人が非常に多いのです。ですが、そう感じている人が怠惰で自堕落な人生を送ってきたかといえば、そうではありません。一生懸命働いて、家庭でも自分の義務を果たしてきた人がほとんどです。それなのに自分の人生に意味が見出せないのは、いつも他人と比べているからです。

人間は、価値を確認するために何かと比較する癖がついています。ですが、人生においてそれは意味のないことです。どんな人生にも意味があるし、等しく素晴らしい。誰にでも、天から定められた使命や役割があります。それが世界中から認められるような偉業だとは限りません。誰かの父として、母としての役割もあるでしょう。つまり、「社長」「役員」などの肩書を取り払って、自分を認めることが、人生を肯定して後悔を残さないための第一歩なのです。

私はいつも患者さんに、「人生は宴会だ」とお話ししています。病気になると「茨の道だ」「不条理だ」と感じるでしょう。ですが、すべては人生という宴会の余興であり、スパイスです。そう考えれば、少しは気が楽になるのではないでしょうか。

日本は「クオリティ・オブ・デス」つまり、死の質についての議論が欧米などに比べて遅れているため、がんになったことではじめて「死」について考える人が多いようです。

死を忌むべきものとして避けるのは日本人の国民性でもあるので、一概に「いけないことだ」とは言えませんが、死とはどういうものなのか、自分がどう死んでいきたいのかが決まっていれば、いざというときに慌てずにすみます。心に余裕が生まれ、穏やかに過ごせるのです。

私はいつも、「最後の5年間が一番大切ですよ」とお話ししています。いつ死ぬかは誰にもわからないので、今日も明日も「最後の5年間」。死期が迫っているかに関係なく、「明日死んでもいい」という気持ちで生きられているかが肝心です。

過去を悔やみ、他人と比べて人生を恨み、後悔を抱えて生きるのは悲しいことです。余命宣告されても自暴自棄にならず、日々を大切にする。その姿を大切な人たちに見せることができれば、いつか誰かを勇気づける記憶としての贈り物になります。

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樋野興夫
順天堂大学医学部 病理・腫瘍学教授。1954年、島根県生まれ。順天堂大学医学部病理・腫瘍学教授、医学博士。日本癌学会奨励賞、高松宮妃癌研究基金学術賞などを受賞。2008年、提唱する「がん哲学外来」を開設。新刊『「今日」という日の花を摘む』(実業之日本社)など著書多数。

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(順天堂大学医学部 病理・腫瘍学教授 樋野興夫 大高志帆=構成 飯田安国=写真)