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マツダ・ファミリア3ドア・ハッチバック(1980)

突如始まった懐かしの1980年代の国産車を振り返るシリーズ企画「バック・トゥ1980」。その第1回目は、丁度この年からはじまった日本カー・オブ・ザ・イヤーの初代受賞車でもある5代目マツダ・ファリミア3ドア・ハッチバックを取り上げようと思う。

成功作・4代目ファミリアAPの後を継ぐ

開発コードX508という名前でデビューした前作ファミリアAPは、マツダ(当時の社名は東洋工業)としては初めての2ボックス・モデルであった。これは欧州で流行りだしたFF2ボックスというトレンドを採り入れたスタイルであったが、1974年にデビューしたゴルフや、1976年にデビューしたフォード・フィエスタとは違ったのは駆動方式がFFではなくFRだったことである。とは言え、このファミリアAPは当時のマツダの大ヒット作となった。

この4代目ファミリアAPの成功を受けて1980年6月にデビューしたのが5代目BD型ファミリアだ。4代目との大きな違いは駆動方式が遂に待望のFFになったこと。また、そのクリーンなウェッジの効いたスタイリングは、ちょっとヨーロッパの香りを感じさせるような佇まいを持っていた。ボディは発売当初は3ドアと5ドアがラインナップされ、3ヶ月後に4ドア・サルーンが追加された。

エンジンは当初は横置きの4気筒1.3ℓと1.5ℓというラインナップで、1982年のミドルエイジのフェイスリフトの際にファミリア初の1.5ℓターボ・ユニットを搭載するモデルも追加されている。

陸サーファー・ブームのきっかけ?

まだこの時代、多くの若者は18歳になれば自動車免許を取り、自分のクルマ(マイカー:死語)で彼女とドライブするのが夢だった。また、折しもライトニング・ボルトやタウン・アンド・カントリー、オニール、アイパ、それに日本のゴデッスといったブランドがもてはやされたサーファー・ファッション全盛であり、ルーフ・キャリアにサーフィン・ボードを積んで週末の湘南に行くというのが関東周辺の男の子の憧れのスタイルだった。また、ルーフ・キャリアにサーフボードをボルト止めしてナンパの道具として使う「陸サーファー(おかサーファー)」という言葉もこのころの流行語となった。この5代目ファミリアは、そんなブームにも大きく影響され、「赤のXG」(XGは当時のファミリアの最上級グレードで、この場合5ドアではなく3ドアを指す)はトレンドにすらなった。つまり、この当時の若者にとっては憧れのクルマの1台だったのだ。ちなみに、CMには渋い北大路欣也がキャラクターとして使われていたのは今思うと面白くもある。

ところで、この頃、クルマの中で聞くのはCDでもMDでもなくもちろんカセット・テープ。カー・オーディオも若者の必須アイテムで、三角形のKENWOODのスピーカー・ボックスをリアのパーセル・シェルフの上にこれ見よがしに設置するのも流行った。

当時のインプレッションを想い起すと……

当時のインプレッションを読み返してみると、エンジン、サスペンション、ステアリングなどフツーによく出来たクルマだったようだ。もちろん1.5ℓSOHCエンジンだから、驚くようなパワーがあったわけでもないが、トコトコとそつなく走るタイプ。しかし、よく考えてみると、このファミリアはマツダとしては初のFFモデルであったのだ。にもかかわらず、その完成度は高かった。当時はまだ、一回アンダーステアを出してしまうと、フロント・タイヤが外へ外へと流れっぱなしというようなサス・セッティングのFFが多かった中、ファミリアはちゃんと走るFFだった。これは2年後に登場することになる第4世代のカペラでも感じたことだったが、アシの良いFFをマツダは作っていたのだ。だからそこの第1回日本カー・オブ・ザ・イヤーを獲得したのだろう。

ちなみに、2年後にはカペラも日本カー・オブ・ザ・イヤーを獲得するが、爆発的に売れたBD型ファミリアと異なり、セールスはいまいちであった。専門家評の高いクルマは売れないということを言われだしたのは、このカペラあたりからかもしれない。

コスモ、サバンナがマツダのスポーツ・イメージを牽引したとすれば、ファミリアはマツダのファミリーカー・メーカーとしての礎を築いたモデルであることは間違いない。中でもこのBD型ファミリアは、一時代を築いた名車である。今はそのファミリアの名前は商用車のファミリア・バン、それも日産からのOEMモデルに引き継がれているのを思うと、いささか寂しい感じがするのはノスタルジックなのでしょうか。