アートを投資と捉える人に、アートの女神は微笑むのか?

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アート価格が高騰するにつれ、アートの経済的側面について聞かれることが多くなった。そこで、アートを収集する上で知っておいたほうがいい、アート独特の経済的特性をいくつかご紹介したい。

アートがリスクヘッジ資産として優れているのは間違いない。欧米のプライベートバンクが、資産の5〜20%をアート、ワイン、競走馬といったPassionate Investment(情熱的投資)に勧めるポイントもそこにある。いずれもモノなので、金融資産に対するリスクヘッジになる。それも土地、石油などよりも、金融資産に対する独立性が高い。アートは手数料が高いので短期売買には向かないが、固定資産税もかからないので、世代を超えた資産形成には向いている。

その実力がいかんなく発揮されたのが、リーマンショック直後だった。土地が担保として全く機能しなかった中、オークション会社の絵画担保ローンには借り入れの申し込みが殺到した。

さらに、アートは基本的に持ち運び可能だ。島国に育ち、安全と水はタダという感覚の日本人にはピンとこないが、流浪の民、政変による財産の没収の経験を持つ世界の多くの国々の人々にとって、これは大きなリスクヘッジなのだ。

より大きな視点で言えば、文明に対するリスクヘッジでもある。乾隆帝の書をメトロポリタン美術館に寄託しておけば、国を追われた時のリスクヘッジになるだけでなく、西洋文明が衰退するような危機にも対応できる。

一方、単に投機対象としてしか捉えない人に、アートの女神はなかなか微笑まない。それには、アート取引の特性が深く関わっている。

まず、転売目的の投資家と分かった瞬間に本当によい作品はまわってこない。門外漢に対する単なる意地悪に聞こえるかもしれないが、実は経済原理にもかなっている。なぜならば、名画の価値がわかる上顧客は、作品の質に対して最もプレミアムな価格を支払うし、将来その名画を売る際には再び扱わせてくれるので、さらなる取引に繋がるからだ。

しかし、転売目的の投機家もいろいろ知恵を絞ってくるので、昨年の「アート・バーゼル」で、某画廊はある奇策に打って出た。数十名のウエイティングリストを持つある人気作家の2億円クラスの作品(転売すれば3億円は確実)を売るにあたり、画廊は作家と話し合ってこのリストを数人に絞り、「もう1点作品を購入し、うち1点を公立美術館に寄贈する」条件を受け入れるコレクターに作品を売却した。コレクターの熱意と公共性を試す、なかなかスマートな解決策だ。

ちなみに、アートには教科書ではなく、口コミでしか覚えられないルールも多くある。自分自身も数々の苦い思いを味わった。1980年代末にこの世界に入って、ミロの版画を纏めて仕入れたときだ─。人気のある図柄、状態もいい、仕入先も版元と申し分ない。ただの一点を除いては……。

作品全点にHC(Hors Commerce、非売品)と記入してあったのだ。ミロの場合はHCの贋物が出回っているので、オークションや業者がHCを受けつけたがらないことを知らなかった。真っ青になったが、後の祭り。作品はホンモノなのでクレームの持っていき場がない。必死に売ったが、何点かは自宅の壁を飾ることになった。

作品を単に装飾品として捉えるのではなく、アーティストの哲学の体現と考えることができるコレクターは、結果的に投資としても成功している。

有名な例は、ピカソの名作「Le Rêve」(夢)。1942年に7000ドルで買ったのはピカソの著名コレクター、ガンツ夫妻だった。クリスティーズの250年史によると、現在の貨幣価値で10万9000ドルという確かに思い切った買い物だが、小さなコスチューム用宝飾製造業を営んでいたガンツ夫妻でも買える金額だった。

それが1997年に4800万ドルで日本人、その後ラスベガスのカジノ王の手を経て、2013年にヘッジファンド王スティーブ・コーエンの手に1億5000万ドルで渡るという数奇な運命を辿った。一億ドル越えのピカソを買えるのはすごいが、最初に7000ドルで買った眼力のほうがすごいかもしれない。


パブロ・ピカソ50歳の傑作《Le Rêve》1932年 ©︎2017─Succession Pablo Picasso ─SPDA(JAPAN)

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石坂泰章◎AKI ISHIZAKA社長。東京藝術大学非常勤講師。総合商社勤務、近現代美術画廊経営を経て、2005〜14年サザビーズジャパン代表取締役社長。数々の大型取引を手掛ける。著書に『巨大アートビジネスの裏側』(文春新書、2016年)、『サザビーズ』(講談社、2009年)。