大相撲春場所で劇的な逆転優勝を飾った横綱・稀勢の里(30歳・田子ノ浦部屋)。左腕を負傷し休場の危機にさらされながら、千秋楽で1敗の大関・照ノ富士を本割、そして優勝決定戦で立て続けに下し、2場所連続で賜杯をつかんだ。「強行出場」とも言われた最後の2日間、新横綱を土俵へ向かわせたものはなんだったのか──。


優勝決定戦で照ノ富士を小手投げで破った稀勢の里 先場所に初優勝と横綱昇進を決め、大きな期待をかけられた3月。稀勢の里は順調に白星を重ね、初日からの12連勝で単独トップをひた走っていた。最大のライバルである横綱・白鵬が途中休場し、1995年初場所の貴乃花以来となる、22年ぶりの新横綱優勝は目前かと思われていた。

 落とし穴が待っていたのは、日馬富士との横綱対決となった13日目。立ち合いで日馬富士にもろ差しを許し、一方的に寄り倒された。土俵下に左肩から落ちた新横綱は、立ち上がることができず左腕を押さえながら西方審判の片男波親方(元関脇・玉春日)にもたれ、苦悶の表情を浮かべた。

 土俵でケガをしても絶対に顔に出さなかった稀勢の里が初めて見せる姿に、館内は静まり返った。西の支度部屋では医師が緊急措置を施し、三角巾で左腕を吊った。その後、救急車を呼び大阪市内の病院へ緊急搬送され、翌14日目からの休場は避けられないかと思われた。

 緊迫の夜。稀勢の里と親交の深い知人は状態を心配して電話を入れた。今後の相撲人生を考え、「ここは休んだほうがいい」と伝えると「出ます」と即答されたという。繰り返し説得しても答えは変わらず、稀勢の里はこう続けた。

「チケットを買って、自分の土俵入りを楽しみに来てくれるファンの方たちのために出るんです」

 強い決意で土俵に上がった14日目は、横綱・鶴竜に一方的に敗れた。ケガの影響は深刻だったが、千秋楽に出場する意思は不変だった。チケットを買ったファンは、その日がもしかしたら最初で最後の相撲観戦になるかもしれない。先述の知人によると、稀勢の里はそんなファンとの一期一会を大切にしていたという。八角理事長(元横綱・北勝海)が「今後、語り継がれる逆転優勝」と絶賛した賜杯は、ファンのために自らの相撲をささげた真心の優勝だった。

 今回の優勝に重なるのは、当時の小泉純一郎首相が「感動した!」と絶叫した2001年夏場所での横綱・貴乃花(現親方)の優勝だ。14日目に武双山に敗れて右ヒザを負傷した夜、師匠で父親でもある二子山親方(元大関・貴ノ花)から休場を勧告されたが、「ファンの方が待っていますから」と出場を決断した。

 迎えた千秋楽では、本割で武蔵丸に敗れたものの、優勝決定戦は気迫の上手投げで勝利し、22回目の優勝を決めた。勝った瞬間の鬼の形相は、今でも色あせない伝説として相撲ファンの記憶に残っている。そんな歴史に残る優勝の根底にあったのは、やはり「ファンのため」という一念だった。

 共通して流れているのは「土俵の鬼」の魂だ。稀勢の里が入門から薫陶を受けてきたのは、先代の鳴戸親方(元横綱・隆の里)。その鳴戸親方の師匠は、貴乃花のおじにあたる、初代若乃花の二子山親方だった。1956年の秋場所前に、大関だった若ノ花(当時のしこ名)は、ちゃんこ鍋をひっくり返してしまった長男を火傷で亡くしていた。精神的に苦境に陥りながらも、若ノ花は出場を決断。数珠をさげて場所入りし、鬼気迫る相撲で12連勝を果たした。

 13日目に高熱を患い、最後の3日間は土俵に上がることはできなかったが、常人では計り知れない状況でも土俵を務めた責任感。この魂を、貴乃花親方は父の貴ノ花から、そして稀勢の里は隆の里から継承したのだ。

 稀勢の里は、平幕時代の2008年秋場所の前に腸の病気にかかって休場の危機に立たされたことがあった。この時、先代師匠が稀勢の里にかけた言葉は、「出なさい」だった。入院先の病院から場所入りする毎日だったが、5日目には白鵬から金星を獲得した。当時、先代師匠はこう話していた。

「力士たるもの、多少のことで休んではいけないんですよ。できる限りのことをやって、それでもダメなら仕方がないかもしれない。でも、少しでも出られる状態なら出なければいけないんです。お客さんが待っているんですから」

 師匠自身も、現役時代に糖尿病に苦しみ、インスリンを打ちながら場所を務めていた過去がある。何度も休場の危機に立たされたが、それでも懸命に土俵を務めて横綱まで昇りつめた。後年、稀勢の里は2008年の秋場所を「絶対に出るのは無理だと思った。でも師匠から言われて出ると、動ける自分がいた。あの時の教えは正しかったと思います」と振り返っている。

 誰もが休場すると思っていた春場所。ただ、稀勢の里本人だけは、休むことなど頭の片隅にも浮かばなかった。その決断の裏には、今は亡き先代の教えがあったのだ。
  

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