今季のシーズンインの頃は、まだひとりで黙々と走る姿も。ようやく復帰の目途が立った今、サッカーができる喜びを強く噛み締めている。写真:徳原隆元

写真拡大 (全3枚)

 奇しくも、東日本大震災からちょうど6年が経っていた。
 
 その日は、リーグ戦(3節・甲府戦)の翌日だったため人数は限られていたが、梅崎司はミニゲームを終えると、思わず涙を流していた。
 
「焦りとかは一切なかったんですけど、自分の中で本当に戻って来たんだなって感覚を抱いたんですよね。この大好きなピッチで、大好きなサッカーができたって。それに久々だったのに、本当に自分らしくプレーできたんですよね。
 
 ミニゲームが終わって、トレーナーとか、ドクターとか、コーチとかと握手をしたら、なんだろう、嬉しさが込み上げてきて、思わず泣いてました。怪我をしてから6か月と11日ですか。自分としてはひとつも無駄なことはないと思ってやってきましたけど、それまでの日々がフラッシュバックしたというか。やっぱり、長かったのかなって」
 
 梅崎が左膝前十字靱帯を損傷する大怪我を負ったのは、2016年8月31日に行なわれた神戸とのルヴァンカップ準々決勝第1戦。久しぶりの先発出場を果たした試合終了間際のことだった。
 
 09年にも右膝前十字靱帯を損傷し、復帰した2010年にも右膝半月板を痛めた過去がある。それだけに、三度目とも言える大怪我は、さぞや彼の心を切り裂いただろうと思っていた。だが、二度の試練に打ち勝ってきた梅崎は、精神的な逞しさを身につけていた。
 
「怪我をした時はすぐに逆足を鍛えられるチャンスだ、身体の使い方を一から学び直せる良い機会だ、と思ったんですよね」
 
 強さを得る契機となったのが、偶然にも今回、チームの練習に合流する日となった、6年前に起きた東日本大震災だった。
 
「(当時は)浦和に加入して3年目で、また怪我をして、試合に出られない状況に不安が募って怖かった。自分がこのまま終わるんじゃないかと思って、そのストレスに耐え切れず、追い込まれていたんです。その精神状態のまま年が変わり、東日本大震災が起きた。
 
 あの震災では、多くの方が亡くなったし、被災した方たちが苦しんでいた。自分は何をちっぽけなことで悩んでいるんだろう。生きているだけで、サッカーができるだけで、幸せなんだなって思ったんです。そこから考え方が変わりましたよね」
 
 自分自身が勇気であり、希望を与えられる存在にならなければ--―その思いが彼を人間的にも大きく成長させた。だから、三度目の大怪我にも落胆することなく、好機に変えようと、挑戦と捉えることができた。
 
 ただ、復帰に向けてリハビリを続けていく日々は、否が応でも自分自身と対話する時間が多くなる。梅崎は自分自身に問い掛けた。
 
「お前は何がしたいんだ?」、と。
 
 きっかけは、周囲の声だった。

【神戸 1-3 浦和 PHOTO】神戸出身の柏木が2得点・1アシストの大爆発!

「ある方にお会いした時に、昔の印象について言われることがあったんですよね。(07年の)U-20ワールドカップのことや、それこそ大分時代に活躍していたこととか。そう言ってもらえるのはすごく嬉しい反面、どこかあの時の自分は別物だと思ってしまっている自分もいたんですよ。
 
 でも、考えていくうちに、もっと悔しがらなければダメだと思った。昔のプレーを褒められて喜んでいる自分は、過去に浸っているだけじゃないかって。すごく悔しくなって、今が凄いよねと、言わせたいと思うようになった」
 
 思い出したのは、周囲が言う若い時の自分だった。
 
「昔は常に“いちばん”を目指していた。無鉄砲に、無我夢中に、がむしゃらに、ただただ高いところを目指していました」
 
 わずか19歳にしてフランスのグルノーブルへの移籍を決めた時には、テレビ番組に生出演して「バロンドールを獲るために行ってきます」と言えてしまう大胆さ、豪快さがあった。
 
 ところが今はどうだ。心を問いただせば、「気がついたら現実志向というか、ヘタなことを言わないようにしている自分がいた」。
 
「若さって凄いですよね。当時は、現実なんて見えていなかったけど、だからこそエネルギーに満ち溢れていたんでしょうね」
 
 リハビリメニューが、室内での体幹や筋トレから、外に出てランニングができるようになった頃には、自分自身の考えは整理され、決意も固まっていた。
 
 それを梅崎は「自分軸」と表現する。
 
「何を最初に考えてプレーするかという自分自身のベースですよね。僕にとっての自分軸とは、やっぱり仕掛けることだったり、ゴールに向かって行くことだなと思った。過去を振り返った時、何が一番楽しかったかって、やっぱり自らチャレンジしてゴールを決めたり、ゴールに結びつくプレーをした時だった。
 
 去年、(怪我をする前に)鹿島戦(第2ステージ5節)で久々に先発したことがあったんですけど、2-1で勝っていて、落とせない状況だったこともあり、仕掛けたい、自分を表現したいと思いながらも、チームのバランスを最優先に考えたり、守備の意識が強くなりすぎてしまうところがあった。
 
 1点差を守り切って勝てた嬉しさはあったけど、自分がゴールやアシストした時の嬉しさと比べたら、やっぱり後者のほうが好きだと思った。それがもう、自分自身への答えでしたよね」
 離脱している間にはスタンドから試合を見る機会も多く、後輩たちのプレーに刺激を受けた。
 
「駒井(善成)とか関根(貴大)とかのプレーを見ていたら、自分が仕掛けるとか、結果を残そうとしか考えていないように感じたんですよ。だから、あいつらは、ベンチでミシャ(ペトロヴィッチ監督)が控えの選手を呼んでいたりして、交代かなと思った瞬間に、点を取ったり、アシストしたりする。それってきっと、自分のことを最優先に考えている証拠ですよね」
 
 30歳になり、いつしか角が取れ、丸くなっている自分に気がついた。
 
「自分軸でプレーすることが、結果的にチームのためであり、人のためになる。自分自身が強気の選択をして、気持ち良くプレーできた時は、ゴールにもつながるし、チームも勝っている。サポーターの喜んでいる顔を見ることもできる。
 
 それは自分勝手とは違うんです。怪我をしてからも、多くのサポーターから、『また“キレサキ”見せてください』とか『アグレッシブな仕掛けが見たいです』って言われて、嬉しかったんですよ。求められていること、自分がしたいことって、そういうことだなと思えたんです」
 
 決して独りよがりなプレーをしようというわけではない。チームの輪を乱そうと思っているわけでもない。プレーのベースがチームという軸から自分という軸に変わるだけだ。
 
 それだけで、瞬時におけるプレーの選択が違ってくる。
 
「トラップひとつとっても、ボールを置く位置が変わりますよね。常にゴールに向かってチャレンジしていく。チャンスがあったら逃さない準備をする。今は、それを頭に入れながらプレーしています。
 
 まだ、練習試合も含めて、数回しか11対11はやっていないですけど、動きの連動性や動き出すタイミングは、身体が覚えていると思った。頭で自分がイメージしていたことと、自分の身体もリンクしているって感じられた」
 
 朧気ながら夏だと思っていた復帰の時期は、本人も驚くほど順調に近づいてきている。
 
「いつ(試合のメンバーに)呼ばれてもいいと思えるところまで来ています」
 
 春の陽射しが降り注ぐ、大原サッカー場で再会した梅崎の表情を見れば、その自信は嫌でも伝わってくる。
 
「うちは凄いメンバーだし、凄い個性を持っている選手が多いことも分かっている。そんな人たちと争えて、チャレンジできることもまた嬉しいですよね。マジで(チームメイトに)勝ちたいって思ってます。ギラギラしてますよ。まさに30歳のルーキーですよね(笑)」
 
 3月11日に頬をつたったのは、悲しさや辛さから流れた涙ではなく、これから挑む未来への決意である。浦和の背番号7がピッチに戻ってくる日は近い。
 
「僕のファーストタッチに注目してください」
 
 別れ際、彼はそう言った。前に向かうのか、それとも……その選択が楽しみで仕方ない。
 
取材・文:原田大輔(SCエディトリアル)