「ノバルティスファーマ」より

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「不正な関与が原因とはいえ、長い間勾留され、大変お疲れさまでした」

 東京地方裁判所の辻川靖夫裁判長は、3月16日、製薬会社・ノバルティスファーマの元社員の男性に無罪判決を言い渡した後に、そう声をかけた。

 同社の降圧剤「ディオバン」に関する京都府立医科大学での医師主導臨床試験で、自社製品に有利な結果が出るようにデータを改ざんしたなどとして、元社員の男性と法人としてのノバ社が薬事法(現・医薬品医療機器等法)違反(虚偽広告)に問われた裁判だ。

 地裁判決では、論文作成行為は薬事法の規制対象には当たらないとして無罪(求刑は元社員に懲役2年6月、ノバ社に罰金400万円)が言い渡されたが、改ざんについては認定した。東京地方検察庁は控訴し、高等裁判所で再び争われるが、1年以上の公判で見えてきた医療界のあきれた実態を振り返る。

●ノバ社、大学教授に4億円近い「寄付金」提供

 処方権を持つ医師への宣伝材料にするため、有力な大学教授に自社に有利な結果を論文として発表してもらう。これは、製薬業界ではしばしば行われるプロモーション手法だ。

 ディオバン関連では、2000年代にノバ社の元社員が関わった5つの大規模臨床試験(JHS<東京慈恵会医科大学>、VART<千葉大学>、SMART<滋賀医科大学>、KHS<京都府立医科大学>、NHS<名古屋大学>)があり、「ディオバンが既存の降圧剤より脳卒中や狭心症を減少させる効果がある」などの結果が出され、「ランセット」などの国際的な医学雑誌に掲載された。

 しかし、不自然なデータが多く、その論文のほとんどが撤回されるという前代未聞の事態になった。そのうち、公訴時効の関係で、KHSのサブ解析論文のみが刑事事件になった。

 厚生労働省が告発状を出し、東京地検特捜部が手掛けた。元社員は逮捕され、ノバ社も両罰規定で起訴された。

 検察側の構図は、統計解析を一手に引き受けた元社員が、自社製品に有利な結果が出るようにデータを改ざんしたというものだった。元社員は、論文は大学教員が作成したもので、「私は一部、お手伝いしただけ」と容疑を全面的に否認した。

 法廷には、だまされた被害者として京府医大の元教授や元講師が出廷。元教授は「(統計的な部分を)何度も説明されたが、難しくて理解できなかった。解析に関与せず、もらったデータを論文にしただけ」と語った。

 データの一部を書き換えたと認定された元講師は、「横暴な教授と尊敬する元社員の指示なので、嫌で仕方なかったがやった」などと供述し、改ざんの責任はすべて元社員にあるとした。

 彼らの発言に、医療界からは「気づかなかったわけがない」と冷ややかに見る向きも多いが、統計解析に詳しいある医師は「ほんとにわかっていなかったのだろう。日本の基礎研究は世界的に優れているが、臨床研究のレベルは今でも遅れを取っており、(KHSが行われた)2000年頃は大規模な試験を実施できる力はどの大学にもなかった」と分析する。

 ノバ社から元教授には、少なくとも3億7900万円の寄付金が渡されたことが判明している。元教授も「KHSの成功はディオバン有利の結果」と証言しており、意図的な改ざんへの関与は別としても、ノバ社が気に入る結果を出そうという空気があったのは間違いない。

 実際、参加した滋賀県内の医師は、ディオバン有利になるように虚偽のデータを登録したことが明らかになっている。教授からの指示ではなく“自発的”な行動と説明したが、「ディオバン有利の症例をたくさん報告したら、人事異動で便宜を図ってもらえると思った」と証言した。

●不正論文で売上1兆円を超えたディオバン

 ノバ社の側を見ると、02年頃から社内で「100B計画」と称するディオバン売り上げ1000億円を目指す販売促進計画が立てられていた。寄付金を多くの大学に配り、ディオバン関連の論文を量産させた。

 日本高血圧学会の幹部たちが登場する座談会や講演会をたびたび企画し、「ディオバン有利」という研究結果を使ったプロモーション活動を展開。09年には売り上げ1400億円を突破、日本で1兆円以上を売り上げたブロックバスター(大ヒット薬)になった。

 元社員は有力教授と信頼関係を構築し、自社に有利なデータをたくさんつくったとして、09年11月にノバ社初の社長賞を受賞。高級時計を贈呈されたほか、1年8カ月後の定年後も、年収1500万円で2年間の契約社員として雇用することが約束された。社内講演会では「俺は失敗したことがない」などと豪語していたという。

 裁判所は、データ改ざんについては検察側の主張をほぼ認定。しかし、広告を規制する薬事法は学術論文を作成する行為には適用できないとして、無罪を言い渡した。

 だが、医薬品のプロモーションには学術論文による裏付けが不可欠で、実態としては広告材料として使われていたことが誰の目にも明らかだ。だからこそ、薬事法を所管する厚労省が同法違反で刑事告発し、東京地検特捜部も立件した。

 裁判所の判断は紙一重な部分もあり、辻川裁判長の「不正な関与が原因とはいえ、長い間勾留され、大変お疲れさまでした」という発言には、そんな意が込められているのかもしれない。しかし、前述したように検察は控訴している。

 裁判に出廷した学会幹部は、一連の問題で「日本の臨床研究は世界的に信頼をなくし、海外の医学雑誌などに投稿しても採用されづらくなった」と証言している。

 今国会では臨床研究を規制する臨床研究法案が成立する見込みだが、これは委員会を作成したり大量の書類を用意したりすることを研究者に求めるもので、現場の負担増は否めない。はたして、日本の臨床研究はどうなるのか。高裁のゆくえからも目が離せない。
(文=編集部)