元仏空軍パイロットの「KODAWARIラーメン」、期間限定でNYに登場

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空軍のジェット機の操縦とラーメン作りの違いは──?退役後にパリでラーメン店を開いたジャン・バティスト・ムニエによれば、さほど大きな違いはないという。

1990年代にパリのオペラ座近くにある店でラーメンに心を奪われたムニエは、2009年に初めて日本を訪問。「日本に行って初めて、ラーメンとは何かを本当に理解することができた」「これこそラーメンだ、と感激した」という。

ムニエは4月1日から1か月間、ニューヨークの「ラーメン・ラボ(Ramen Lab)」で、自ら経営する「こだわりラーメン(Kodawari Ramen)」のラーメンを提供している。

独学で技術を習得

フランスにラーメンが登場したのは1980年代。欧米では当時、アジアからの輸入食材は一般的ではなく、シェフたちは材料に地元の食材や保存食品を使っていた。日本を訪れ、いかに質の高い独自性のあるラーメンが数多くあるかを知り、その可能性を目の当たりにしたムニエは、「いつかフランスで同じラーメンを作りたいと思った」。

フランスに戻り、独学でラーメンの作り方を学ぼうとしたが、料理本も、教室などもなかった。そのため、時間ができるたびに日本に足を運ぶことになり、その回数は十数回に上った。ラーメン作りは「とても難しく、作れるようになるまでに何年もかかった」という。

ムニエがパイロットを辞めたのは、2015年12月。2つの仕事を同時にこなそうとしていた当時を振り返り、「死にそうになった。正気ではなかった」と語る。だが、ムニエがそれまでに空軍パイロットとして働く中で身に付けたスキルは、ラーメン店でも役に立つものだった。「空軍の将校として、人材や組織を管理することを学んだ。(それらによって店の)業務を取り仕切ることができた」。

ムニエが考える「ビジネスに不可欠なもの」はたった2つだ。ばかげた失敗をしないための「常識」と、働き続けるための「意欲」だ。「その両方があれば、間違いなく成功できる」。

キャリアを変更したことについては、「パイロットとしての生活は申し分なかった」「その快適な生活を、単に駄目なものを作るためだけに手放したくはなかった」と話す。

そして、ムニエは2016年4月、パリのサンジェルマン・デ・プレ地区に「こだわりラーメン」をオープンした。それから1年、ビジネスは順調だ。

おいしいラーメンを作るのは簡単なことではない。フランスでは生麺を手に入れることができなかったため、ムニエはまず畑を購入。小麦を栽培し、ラーメンの麺用に製粉してくれる製粉所を探した。製粉といえばパン用というフランスで、協力者を見つけるのは困難だった。ようやくたどり着いたのは、バーガンディーで創業から150年以上がたつ古い製粉所を経営する一家だった。

ムニエの店には、彼が「製麺機のロールスロイス」と呼ぶ日本製の製麺機がある。大型車が買えるほどの値段だが、それを買うのが「夢だった」という。自家製麺に合わせて使う食材は、ミシュランの星を獲得している多くのレストランが使うものだ。三つ星シェフのアラン・デュカスなども、同じ店から食材を仕入れているという。

提供するのは、風味が良く濃厚で、この店ならではのラーメンだ。店の外には毎晩のように行列ができる(パリでは非常に珍しいことだ)。ラーメンは伝統的に、手早く済ませる食事とされているが、フランス人は食事の後も気が済むまでおしゃべりをしたり酒を飲んだりするのが習慣であるため、なかなかテーブルが空かないのだ。

だが、並んでいる客には悪いと思いながらも、ムニエは店内の客に席を立つよう促すことはない。「それが、私たちの文化だから」だ。

ニューヨークのラーメン・ラボでも、大勢の客がムニエのラーメンのために列を作るかもしれない。それに対応できるようにと、十分な量の醤油や黒ゴマ、ビーガン向けの「かぼちゃ」のラーメンも用意している。

終わることのないラーメン作りの道についてムニエは、「調理するごとに、ラーメンに対する理解が深まる」と語る。「ラーメンの進化は止まらない」のだ。