毎年1月に開催され、2週間かけて9000キロの荒野を走破する「ダカール・ラリー」。三菱自動車は1984年からワークス参戦し、多くの好成績を残してきたが、2009年を最後にワークスでの参戦は行っていない。(イメージ写真提供:123RF)

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 毎年1月に開催され、2週間かけて9000キロの荒野を走破する「ダカール・ラリー」。三菱自動車は1984年からワークス参戦し、多くの好成績を残してきたが、2009年を最後にワークスでの参戦は行っていない。

 中国の自動車産業は往々にして「パクリ」と批判されてきたが、中国では「日本の自動車産業だって当初は模倣から始まった」という意見が少なからず存在する。中国メディアの今日頭条は4日、三菱パジェロをはじめとする日本車について「中国と同様、模倣から始まったはずなのに、日本人がダカール・ラリーをなぎ倒すことのできる車を作れたのはなぜだ」と題して記事を掲載した。

 記事は、三菱自動車の中国市場における販売は決して好調ではないとしながらも、WRCのランサーエボリューションと並んで三菱を代表する自動車が、「ダカールの覇者として最もよく知られた」パジェロだとした。パジェロは、米国のJEEPをベースにして開発したもので、記事はこれを「模倣でのし上がったという点では中国車と同じ」と主張する一方、残した成績は中国車と大きく違うと論じた。

 ダカール・ラリーは完走できれば勝利したのも同然と言われるほど過酷なレースだが、パジェロはプライベーターとして初参戦した1983年に総合11位という「素晴らしい成績」を残した。翌年から「ダカール・ラリーを統治」したと言わせるほど上位入賞の常連になり、1992年には1位から3位までを独占、翌年も再び優勝を飾った。その後も優勝、もしくは、2位か3位という上位を常にキープし、2001年には初の女性優勝を成し遂げ、2001年から2008年まで7年連続優勝、2002年にいたっては1位から8位までを独占するという偉業を達成したと紹介した。

 その後、2009年を最後にレースには参戦していないが、記事は最後に、「いつになったらあの鮮やかな赤のレースカーを見ることができるのだろうか」と、三菱のラリー再参戦を期待して結んだ。中国でもパジェロは警察車両などによく使用されており、よく知られた車種だ。記事は「パジェロを始めとする日本車は模倣から始まった」と主張しているが、仮に当初は模倣や参考があったとしても、パジェロがダカール・ラリーで品質の高さを証明したように、中国の模倣とは大きく異なると言わざるを得ないだろう。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)