村山 昇 / キャリア・ポートレート コンサルティング

写真拡大 (全5枚)

〈じっと考える材料〉

高校2年生になった由佳(ゆか)は、勉強への興味をなくしはじめていた。

勉強はもともと好きなほうだが、「勉強って、結局、頭のゲームみたいなものかしら。試験のやり方を覚えて、いい点を取る。いい高校に合格し、次はいい大学をねらう。そんな繰り返し。いい成績を取れば、それは気持ちいいし、親や先生にもほめられる。でも、それが勉強をやる理由? 勉強ってほんとうはなんのためにやるの?……」と思うようになってきたのだ。

由佳は、夏休みのボランティアプログラムに参加した。「フェアトレードを体験しよう」という活動だった。フェアトレード(公平貿易)とは、発展途上国の人たちが作ったものを適正な価格で継続的に取引することで、彼らが適正な収入を手にし、生活の自立ができるよう助ける仕組みである。彼らに一方的に寄付金を与えるような形では、彼らがいつまでたっても自立できないおそれがあるからだ。

その会場には、ある発展途上国から1人の社長Gさんが来ていた。

Gさんは自国で綿製バッグを製造する会社を経営している。40人の作業員を雇い、手製で1つ1つバッグを作って日本に輸出している。独特な民族調のデザインと素朴な味わいが人気だ。そのバッグが日本で安定的に売れると、40人の作業員は安定的に収入を得ることができ、家族を養い、子どもを学校に行かせることができる。また、バッグが1個売れるごとに、地元の学校に図書が1冊増えることにもなっている。

由佳たちのボランティア作業は、日本の高校生や若者が気に入るバッグのデザインやアイデアをまとめて、Gさんに英語でプレゼンテーションするというものだった。Gさんは自国に戻り、それらのアイデアをヒントにして、さらに日本で人気の出るバッグを作るのだ。由佳はどんどんアイデアを出した。

由佳はこの日のボランティアに活動して、国際語である英語の未熟さを痛感した。また、経済の仕組みやデザインにも興味を持った。さらに、自分が教科書で習っている世界史は、Gさんの国の立場からながめるとまったく違う世界史になるだろうなとも思った。いずれにしても、由佳のなかではなにか大きな変化が起きていた。「勉強はなんのためか?」という疑問にかすかな光が見えたようでもあった。


きょうは2つのことを考えてみましょう。

 □ 目標と目的の違い
 □ 坂の上に太陽をのぼらせること

目標と目的は同じような意味に思えますが、厳密に考えるとちがいがあります。まず目標とは、めざすべき数量・状態・しるしをいいます。たとえば、「練習目標は1日20kmの走りこみです」「○○検定で1級合格するのが目標」「今週の目標は参考書の50ぺージまで終えること」など。

それに対し、目的とは、目標の先にある最終的にめざすことがらで、かつ、なぜそれをめざすのかという意味を含んだものです。簡単にまとめると───

 〈目標〉=めざすべき数量・状態・しるし
 〈目的〉=目標の先にある最終的に目めざすことがら
      +意味(〜のためにそれをやる)

先の例でみてみましょう。1日20kmの走りこみを〈目標〉にしてがんばっている人の〈目的〉はなんでしょう。半年後のマラソン大会で優勝して、自分の能力を証明するためかもしれません。また、○○検定で2級合格するのが〈目標〉という人はどうでしょう。その資格を取って、将来なにかの職業につくためというのが〈目的〉かもしれません。

あるいは、ある体操選手の例で説明してみましょう。彼は国内の大会で優勝したとき、インタビューで「いえ、この先がまだありますから」と答えました。彼にとって、国内優勝は〈目標〉の1つであって通過点にすぎない。さらなる大きな〈目標〉は世界選手権で優勝することです。彼にとって、そうした国内外での優勝の先にある〈目的〉とはなにか。それは4年に1度のオリンピックで金メダルを取り、みなに感動を与えるアスリートになりたいということです。


このように力強く自分の道を進んでいく人は、めざすべき状態を目標1、目標2、目標3と段階に分けて設け、その先に目的をすえています。逆に見れば、大きな目的を抱き、そのもとに目標を段階的に置いているとも言えます。

目的とは繰り返しますが、「〜のために」という意味を含んだものです。自分がめざすことに意味を感じているというのは、とても大事なことです。なぜなら、人間は意味からエネルギーを湧かす動物だからです。

たとえば、あなたのクラスが、5日間、学校近くの川岸の空き缶拾いをすることになりました。クラス全体で1キログラムの缶を集めることが目標で、その量に達すれば1日の作業を終えることができます。このとき、最初の1、2日はがんばれるかもしれません。しかし、なんのためにその作業をするのかという意味を感じなければ、みな続けるのがいやになるでしょう。

ところが、その空き缶の収益が学校の設備充実に使われたり、近隣の人たちがきれいな川岸になってよろこんでいるという事実を知ったりすれば、やる気が出てきます。その作業に意味を感じる、つまり目的を持つようになったからです。

このように、目標と目的の両方がそろうと、人は具体的に、そして持続的にがんばることができます。しかし現実は、とりあえず目標に向かってがんばるけれど、とくに目的はないという場合が多いものです。そうすると、「結局、自分はなにをやりたい人間なんだ?」という根本的な問題がわいてきます。自分の努力はなんのためということがわからないので、迷いが出てくるのです。

由佳はおそらくその状態に迷い込んでいたのでしょう。これまで試験ごとに目標を決め、それをクリアすべく真面目に勉強してきた。ところが、勉強の目的、つまり勉強をする意味が見あたらないので、それへの意欲がなえていたわけです。

もちろん、勉強はその人を豊かにしていくのでそれ自体が目的となりえます。けれど、人は学んだことをなにかの役に立てたいと願うものです。自分がいま努力して勉強していることがどこにつながっているのか。それがわかると意欲がぐっとわいてきます。

そこにきて、由佳はボランティア活動に参加し、フェアトレードに強い関心を持ちました。彼女はフェアトレードのような仕事を通して社会に役立つことが、自分の人生のひとつの目的になりえるのではないかと感じたからです。そしてその目的を成しとげるには、英語や世界史をもっと学ばなければならない。こうした目的意識が心のなかに芽生えたことで、由佳は、がぜん、勉強に対しやる気が出てきました。


私たちは坂の上に立っています。坂の傾斜は、人生における試練や挑戦といった負荷です。私たちはその坂の途中にいろいろと目標を立てます。けれど、目標をただこえていくだけではしんどいので長続きしません。そこになにが必要か―――それが「坂の上の太陽」です。

「坂の上の太陽」とは目的であり、それをなぜやるかという意味です。太陽は坂道を照らし、エネルギーをくれます。フェアトレードに参加した由佳の心に生じた大きな変化は、実はこの太陽がのぼったことでした。坂の上にどんな太陽をのぼらせるか―――これは生きるうえでけっこう大きな問題です。

[文:村山 昇|イラスト:サカイシヤスシ]