60年以上の歴史があるモータースポーツの「Formula 1(F1)」は、ドライバー同士の競争の場であると同時に、世界最速の自動車を作る技術競争の場でもあります。テクノロジー系ニュースサイトのArs Technicaが、「Renault Sport Formula One Team」(ルノーF1)のファクトリーを訪れて、世界最高速を目指す開発現場に触れています。

Formula 1: A technical deep dive into building the world’s fastest cars | Ars Technica

https://arstechnica.com/cars/2017/04/formula-1-technology/

静止状態から約10秒で190mph(時速310キロメートル)に到達し、わずか0.7秒で60mph(時速100キロメートル)まで減速できるF1マシンは、毎年ゼロから完全な新車として設計されます。F1マシンを開発するコンストラクターは世界でわずかに10チームほどで、そのほとんどがイギリスに拠点を構えており、60年以上にわたって多くのチームが参戦し、最速マシンの開発にしのぎを削ってきました。



F1マシンの開発は、F1-GP開始から30年ほどの間は「ドライバー」「タイヤ」「パワートレイン(エンジン)」が重要視されていましたが、1977年にロータスが「ダウンフォース」という空力の概念を持ち込んでウイングを採用して以降、マシンの開発競争が激化しました。優れた技術的アイデアはすぐに他のチームにも採用されるため、他のチームを出し抜いて速いマシンを開発するためには、簡単には思いつかないようなアイデアを取り入れることが求められています。しかも、毎年のように変わるレギュレーションの隙間を突くような、生き馬の目を抜く競争が繰り広げられています。

これは、ブラバム BT46で実現したいわゆる「ファン・カー」。フロア下の空気を強制的に後方に排出することで強力なダウンフォースを生み出すデザインでしたが、あまりにも強すぎるためわずか1レースのみで禁止されました。



1982年のジル・ヴィルヌーブや1994年のアイルトン・セナなどの天才ドライバーの事故死などを経て、レギュレーションはより安全を重視する方向に舵を切られた結果、パワートレインやタイヤ、空力などに制限をかけることでF1マシンには「遅くなる改良」が強制されることがよくあります。しかし、全体的に遅くなったマシンの中でも、他のチームから抜きん出ることを目指す開発競争は終わることがなく、コンピューターを駆使した戦いは激しさを増しています。

F1チームはFIAが定めるレギュレーションに従ってマシン開発を行いますが、技術の進歩にレギュレーションの改定が追いつかない面は多々あります。例えば、空力性能を向上させるためのシミュレーションをするために使うコンピューターの性能は、「浮動小数点演算で25テラフロップス以下」と定められているとのこと。この数値はNVIDIAのMaxwellアーキテクチャ採用のGeForce GTX TITAN X程度の演算性能であり、世界最速のマシンを開発するためのコンピューターとしては低い性能だと言わざるを得ません。



しかも、FIAの規則ではシミュレーションのためにGPUを使う事は許されておらず、CPUのみ使える状態だとのこと。このため、ルノーF1では2000基のIntel Xeon CPUを搭載する1万8000コアのコンピュータークラスタを導入しています。ルノーF1のインフラマネージャーのマーク・エベレスト氏によると、各チームはみなファクトリー内にハードウェアセットアップを所有しており、いまだにクラウドのスーパーコンピューターに移行するチームはないとのこと。これは、前述のCPU縛りが原因で不可能なため。ただし、空力データの詳細はクラウドストレージに保管しているそうです。

ルノーF1のエアロダイナミクス・シミュレーターは航空機メーカーのボーイングとコラボレートして作られています。



また、近代F1にとって最重要項目の一つである「空力性能」を高めるための風洞試験にも厳しい制限が設けられています。F1チームが空力特性を調べるために風洞試験を行う時間は1週間に25時間までに制約されています。エベレスト氏によると、2007年ころはレギュレーションの縛りが異なっていて、シミュレーターのテラフロップス制限も、風洞試験の時間制限もなかったとのこと。「私たちは3交代制で24時間休みなしに風洞試験をしていたものです。そのうち、さらにテストを行おうと第2の風洞を建設しようと検討するチームが出始め、実際にウイリアムズは第2の風洞を作りました」と、エベレスト氏は述べています。コンピューター性能や風洞試験などに巨額の資金を投入できる裕福なチームと小規模なチームとの格差が広がり、技術開発競争として成り立たないことを懸念してFIAは厳しい制約を設けているというわけです。



ルノーF1の風洞試験では、実際のマシンの60%の大きさのマシンで空力特性が調べられています。



マシン開発のためのサーキットでのテスト走行の期間や距離も厳しく制限されています。そのため、各チームは専用のシミュレーターを導入してテスト不足を補っています。



ドライバーは新しいコースレイアウトを覚えたり、ERSなどの新レギュレーションで登場する新しい技術に慣れるためにシミュレーターで走行します。もちろん走行データはエンジニアが収集し、実車の開発にフィードバックされます。



シャシー(車体)の開発には厳しい制限が設けられているF1マシンの開発現場ですが、それ以外の部分については驚くほど規制がないとのこと。例えば、マシンの部品を設計するソフトのCADやCAMに制限はなく、各チームは好きなソフトを自由に使え、ローカルだけでなくクラウドでも実行できます。それらのソフトは、風洞試験の結果やラピッドプロトタイピングなど組み合わせられたオリジナルのソフトウェア群として利用されているそうです。

2週間ごとに新しいマシンが開発されるという製造現場は整理整頓が行き届いており、とてつもなくキレイです。



モノコック製造などカーボンファイバーを使った工程は比較的遅いプロセスに位置するそうです。



世界中の都市を転戦するF1では、なんと1年のうち約230日もチームは本拠地のイギリスから離れた場所で過ごすとのこと。マシンはレースごとにバラバラに分解され、スペアのパーツ、燃料、工具、コンピューター、食料など約50トンの機材を別の都市に輸送するのに約36時間かかるそうです。例えば、ヨーロッパ内を移動するベルギーGPとイタリアGPの移動の際には編隊を組んだトラックで移動しますが、それ以外はすべてコンテナに詰めてジェット機で移動します。



サーキットの特性に合わせて持ち込む部品は異なるとのこと。例えば、狭いコーナーが多くダウンフォースとタイヤのグリップ力が求められるモナコと、ストレートが長いモンツァではマシンはまったくの別物と言ってよく、マシンはサーキットごとに完全に組み立て直されるとのこと。ルノーF1のジェフ・シモンズ氏は「すべてのレースでマシンは異なります」と述べています。

V6ターボエンジン用のエキマニ



シーズン中もマシンの改良は行われ、サーキットの走行データがフィードバックされます。チームのファクトリーにはCNCフライス加工機や焼結機が完備されており、新デザインのカーボンファイバー製ウイングは10日ほどで製造できるとのこと。

カーボンファイバーを高温・高圧で焼く「オートクレーブ」



本拠地のイギリスから世界中を転戦するチームに、各パーツは空輸されます。極端な例では、「バルセロナから最終便でイギリスに戻ってきたクルーが新しいパーツをスーツケースに詰め、翌朝の午前9時25分に空港から飛び立つ」ということもあるとのこと。ちなみに、この空路を手配するのに専用のツールではなく航空会社が用意するモバイルアプリが使われているそうです。また、「(ルノーF1の拠点の)エンストンからバルセロナまでバンで移動するのに以前は20時間もかかっていたのに、今では道路情報のおかげで18時間に短縮できているなど、モバイルアプリの恩恵を受けています」とレースチームコーディネーターのジオフ・シモンズ氏は述べています。

F1チームでは約1000人の従業員が働いていますが、各レースに直接関われる人員は60名に制限されています。この制限を回避するために、各チームは高速なネット回線を利用しています。ピットでのネット回線の速度は約80Mbpsだとのこと。いくつかの決定はサーキットにいるエンジニアによって行われますが、コース戦略などの大半の計算は遠隔地にいる技術者が処理して、高速回線を通じてピットに届けられます。

なお、コースを走行するF1マシンからのリアルタイムテレメトリーはFIAによって厳格に規制されているとのこと。ピットとの回線速度は2Mbpsに制限されており、約200個のセンサーを取り付けたマシンからの高精度のデータはマシンのエンジンコントロールユニット(ECU)に保存されていて、レースが終わるまでデータに触れることは許されていません。今のレギュレーションではピットクルーができるのはドライバーと無線で話すことだけです。



とはいえ200個のセンサーからの生データから有意義な情報を得ることは完全にデータ科学の領域だとのこと。2台のマシンから週末に得られる情報は350億データポイントにもなり、データ分析のプロが解析することが不可欠で、ルノーF1ではMicrosoftと提携してAzureの機械学習によってデータを分析しています。各チームが異なるクラウドコンピューティングプロバイダと契約して、異なるモデリングで膨大なデータ解析を行っているそうです。なお、Ars TechnicaがルノーF1のメカニックに、「機械学習で強化したい領域は?」と聞いたところトップシークレットとして教えてもらえなかったとのこと。これらの情報は、今後数年のうちにマシンのパフォーマンスや信頼性の向上をもたらす可能性のあるセンシティブな領域だそうです。

世界で最も速いマシンを開発するF1チームでは、企業秘密とされるものだらけですが、実際には完全に秘密にすることは不可能です。その原因は、ほとんどのチームがイギリスに本拠を構えているという地理的な近さがある上に、メカニックやドライバーなどのF1関係者が互いに顔見知りで、情報交換が盛んだから。さらに、優れたエンジニアのチーム間の移籍も活発なので、大切な情報を長時間秘密にすることは困難だとのこと。シモンズ氏は「とにかく重要なものは『時間』です」と述べる通り、他チームを出し抜く技術の開発のために各エンジニアが独自のタイムラインで切磋琢磨するのがF1開発チームであり、「先に進むためにはひたすら改良し続けるしかない」とシモンズ氏は述べています。