ロマン・ポランスキー監督の渡米交渉が決裂

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ロマン・ポランスキー監督が再渡米した際に、懲役刑を科せられないための交渉が決裂したようだ。

「戦場のピアニスト」「チャイナタウン」「ローズマリーの赤ちゃん」などで知られるポランスキー監督は、1977年3月11日、ジャック・ニコルソンの自宅にて当時13歳だった子役モデルのサマンサ・ゲイリーを強姦したとして逮捕され、未成年との非合法的な性交渉で有罪を主張し、司法取引によって精神鑑定を受けていた42日間を拘留期間として認められていた。

しかしその後、裁判官がこの司法取引を取り消し、実刑判決を下されることになると耳にしたポランスキー監督は、1978年にフランスへ亡命した後、母国ポーランドを含むヨーロッパ諸国で暮らしており、その後一度もアメリカには渡っていない。

月日が流れ先日、ポランスキー監督の弁護士ハーランド・ブラウン氏は、ロサンゼルス最高裁判所に対し、アメリカでの拘留期間とスイスでの自宅監禁期間を合わせればおよそ400日間もの刑期を満たしたと主張。懲役刑に科される恐れなくポランスキー監督が米国へ入国できるよう要請していた。

最高裁判所のスコット・M.ゴードン裁判官はこの要請に対し、ポランスキー監督は米国から亡命した時点で法廷侮辱罪に値するため、判決に対して不平を言う権利はまったくないと言い渡し、判決の義務を果たしたとして確信のもといかに渡米するかについて指示が欲しいというポランスキー監督の要求を退けた。

その一方で被害者であるサマンサは以前、ポランスキー監督は罪を認め刑期も過ごしたのだから争いを終わらせ、前に進ませてあげるべきだと感じていると話していた。