【木村沙織・涙の引退報告 前編】

 2012年のロンドン五輪にエースとして出場し、28年ぶりに日本にメダルをもたらした木村沙織が、3月25日に行なわれたVリーグオールスター戦で最後のユニフォーム姿を披露した。


妹の美里から花束を受け取り、涙を見せる木村沙織 次世代のエース・古賀紗理那とのスパイクの打ち合いなど見せ場を作り、試合後にはチームメイトである妹の美里から花束を受け取って、人生2度目となる胴上げで宙を舞った。会場となった埼玉県深谷市のビッグタートルに詰めかけたファンへの挨拶では、すぐに言葉が出てこずに「えっと、えっと……。すみません、やり直してもいいですか?」と、サオリンらしさは最後まで全開だった。

 オールスター戦に先立って行なわれた引退報告会では、「一番思い出深い試合は?」と聞かれ、ロンドン五輪準々決勝の中国戦を挙げた。

「(思い出深い試合は)ありすぎるんですけど、どれかひとつだけと言われたらこの試合です。(当時監督だった)眞鍋さんが『絶対に準々決勝は中国と当たる』とずっと中国を研究していましたし、その1戦にかけてみんな集中して練習してきました。その通りに中国と当たって試合はフルセットまでもつれたんですが、全セットでほとんど点差が開かなくて、総得点でも2点しか上回ってないんです。長くバレーをしてきて、あんなに1点の重みを感じたことはありませんでした」

 銅メダルを確定させたのは3位決定戦の韓国との試合だったが、木村は「韓国戦ではなく、やっぱり中国戦。あの試合がなかったら、メダルにつながらなかったと思います」と振り返った。

 選手とスタッフが一体となったことで手にした勝利は、「やりきった」というこれまでにない達成感をもたらした。ロンドン五輪後、木村は東レアローズを退社してトルコリーグに移籍し、そのまま引退するつもりだったという。

「トルコリーグで試合に出られないことが続くうちに、『悔しい』という想いが薄れてきました。こんな状態のまま現役を続けちゃダメだなって。人それぞれだと思うんですけど、思うようにプレーができなくなってから辞めるというよりは、『悔しい』という気持ちがなくなったら、辞めようと思っていましたから」

 しかし、眞鍋政義監督は現地まで足を運び、「全日本の主将として現役を続けてくれ」と頼み込んだ。思わぬ要請を受けた木村はすぐに答えを出すことができなかったが、眞鍋監督からは帰国後も何度もメールが届いたという。

「まさか、『代表のキャプテンに』と言われるとは思っていなかったんですが、今までと違った役割を与えてもらったのに、それに挑戦せずに終わるのは、私らしくないなという想いになりました。何かを選択するときには、必ず厳しいほうを選択してきたので。考える時間は長くなりましたけど、バレー人生初のキャプテンを引き受けて、自分としてはよかったと思います」

 日本代表のキャプテンになった木村は、「代表に初めて招集される若い選手を、いかに世界で勝てるようなチームに巻き込めるか」を常に考えていたという。それでもなかなか結果がついてこなかったことに関しては、「私が一番苦手な『厳しさ』が足りていなかったなと。自分に対してはいくらでも厳しくできるんですけど、人に対して厳しくするのが難しくてできなかった。キャプテンとして、一皮むけきれなかったですね」と、少しほろ苦い笑顔で振り返った。


引退報告会では、何度も涙を拭いながら質問に答えた 3月5日の最後の公式戦では、「絶対泣かないと決めていた」と終始笑顔だった木村だが、この日は何度も大粒の涙を落とし、声を詰まらせた。その胸に蘇ったのは、成徳学園高校(現在の下北沢成徳高校)を卒業してからも実業団でバレーを続けるか迷っていた時に、母の朋子さんにかけられた言葉だった。「そっち(実業団でプレーする道)もあるけど、大学っていう道も普通ならある。バレーボールが全てじゃないから、大学を選んでもいいよ」と言われ、木村はハッとしたという。「あ、そういう道を選んでもいいんだ」と。

 最近になってそのことを朋子さんに聞いた際には、「そうは言ったけど、絶対バレーに進むと思ってたから」と笑われたらしい。その通りに東レアローズでバレーを続けることになった木村。「バレーが人生の全てではない」と気づいたことが、逆に「いつ辞めても後悔しないように全力を尽くそう」という気持ちにつながった。

 高校の先輩で、日本代表でも共にプレーした大山加奈や荒木絵里香などには、「こんなに沙織が長くやるとは思わなかった。『この大会が終わったら辞める』って何度も言ってたよね」と笑われるそうだ。ロンドン五輪の後も、2015年のワールドカップ終了後に辞めようと思っていたことを明かしたが、それは、木村が目標に向かって常に全力を尽くしていた証(あかし)でもある。

 今後の日本女子バレーについては、「私は、全然(日本女子バレー界を)支えていなくて、逆に支えてもらってきたので、どうなってほしいと言える立場じゃないんですが……。スタッフや選手も新しくなって、女子バレーの形がまた変わってくると思うので、いちファンとして観ることを楽しみたいですね」と語り、後進の指導などについても「今は全く考えていません」と言い切った。

「私はスパイクがすごいとか、レシーブがすごいとか、何かが飛び抜けた選手ではありませんでしたが、運だけは強かったと思います。人との出会いの運、そしていざという時の勝負の運。その運の強さを、これからは家族に向けて使っていきたいです」

 そして何度も繰り返していたのは、「家族と過ごすことを大事にしたい」という言葉だった。「子どもが好きなので、2人か3人は欲しいですね。その子がバレー選手になって『オリンピックに出たい』と言ったら……。大変なことかどうかはその子にしか分からないことなので、やりたいならサポートするだけです」と、はにかんだ。昨年に結婚したことも引退を決意した要因であることを認めたが、「結婚していなくても引退はしたと思います。そうしたら『今後やりたいことは、婚活でーす!』って言っていたと思います」と、記者たちを笑わせた。

 この日、報道陣には水が配られたのだが、そのペットボトルのラベルには木村の手描きイラストが印刷されていた。飼っている3匹の犬と共に描かれた自身の顔の横には「またね」という言葉が添えられていた。

 すぐさま、「『またね』ということは帰ってこられるんですか? もちろん大歓迎ですけど」という質問が飛び、「あ、そういえばそうですね……。『さよなら』にしておけばよかったかな?」と最後もサオリン節で締めくくった。気が変わって、本当にひょっこりと帰ってきてくれたらいいのだが。

(後編につづく)

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