BRAHMAN(撮影=Tsukasa Miyoshi (Showcase) )

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 後半、満を持して、という感じで放たれたのは新曲「不倶戴天」だった。直前のMCでTOSHI-LOWが、怒りを抱えたパンクスとして生きていく、そんな自分たちのための曲だと語った直球のハードコア・パンク・ナンバー。タイトルの意味どおり、尋常ならざる怒りを叩きつける一曲だ。

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 そんな曲の途中でTOSHI-LOWは笑っていた。気持ちよくて仕方がなくて顔が自然と快楽のかたちになってしまう、みたいな表情。そしてまた、歌詞の最後にある〈赦すってことだ〉を叫びながら、彼は拳を突き上げていた。まるで今すぐ誰かをぶん殴りに行くようなファイティングポーズ。それぞれ文字にすれば矛盾だらけのように思えるが、否、すべてがちゃんと成立していた。

 シングルの発売日である4月12日から、6月23日の札幌追加公演まで続く久々の全国ツアー。初日、横浜BAY HALLは平日の夜だというのに超満員だ。みんなバンドTシャツ姿だからキッズに見えるけれど、よく観察すれば身軽なティーンネイジャーは少数派。みな、それなりに苦労や贅肉や家庭などを抱えた30代後半あたりだろう。彼らにとって、平日の会社帰りにライブハウスで暴れることはどれくらい「普通のこと」なのかと想像する。爆音のフロアで、共に全力で叫んだり跳ねたり、拳を突き上げ汗まみれのダイバーを全身で受け止めることは、少なくとも日常にはあまりない出来事。大声などまず出さないし、周りの空気を読みながらやり過ごすのが大多数の日常というやつだ。

 そこに現れるBRAHMANのメンバーは、なんというか、ほぼ社会的常識を無視した獣の集団のように見える。全員が黒ずくめ。長髪を振り乱して暴れるKOHKIとMAKOTOに、長すぎる髪の隙間から鋭い目を光らせるRONZI。そしてフロントには“鬼”の愛称もすっかり定着したTOSHI-LOWだ。スタートから好戦的なシャウト。メンバーの野太い絶叫が次々と重なっていく。これだけ激しい音の中で叫びまくることがバンドにとっては日常なのだ。そしてまた、彼らは客を威嚇しているわけじゃない。むしろTOSHI-LOWは「こっちへ来い!」というふうに何度も手を挙げる。この時間くらいは、お前らも、理性なんて捨ててみろ、と。

 こうなるとフロアに自主規制の文字はない。息つく間もなくハードなナンバーが続く前半は、頭よりも先に体が動く肉弾戦。恐ろしく原始的な身体のぶつかり合いとなる。遠目に見れば全員が拳を上げているようだが、渦中にいればよくわかる。コーラス部分を一緒に叫ぶ以外は統一感ゼロなのだ。好き勝手に飛び跳ねている女、無我夢中で歌詞を絶叫している男、おもむろに手拍子を始める誰か、そいつの肩を遠慮なく借りてダイブを試みる奴。モッシュと呼ばれはするが、これはひとつの「解放」であり「踊り」なのだと痛感した。日常のタガを外す音楽。それが鳴り続けている限り肉体が動いてしまうし、カタチは何でもいいから体を動かさないと本能がおさまらない。極端にいえば詞の内容は二の次でいいと思えるほど、まずはフィジカルが強い音楽である。

 フィジカルとは、ただ押しが強いことではない。爆音を畳み掛けているようで、プレイは複雑にして繊細。獰猛な荒々しさと同じくらい、しなやかな音楽的センスが光っている。特に目立ったのはKOHKIのギタープレイだ。いくつものエフェクターで次々と音色を使い分けながら、緻密なアルペジオを爪弾き、かと思えば即興で印象的なフレーズを繰り出し、ソロになるとぶっとい音でギュワンと切り込んでくる。音の「ひずみ」がカッコいいというよりは、ギターそのものの「うなり」に圧倒される感覚。こんなにタフなギタリストだったかと驚く箇所も多かった。特に中盤はじっくり聴かせるメロウなナンバーが並ぶため、自然とTOSHI-LOWの歌と言葉、そしてKOHKIのプレイに引き込まれていく。4人全員が一丸となるところが魅力のバンドではあるが、たとえばミックとキース、ヒロトとマーシーのような感覚で、ボーカリストとギタリストのコンビネーションを味わったのは初めてのことかもしれない。

 また、この日初披露された新曲「怒涛の彼方」も特筆すべき一曲。まずはKOHKIとMAKOTOが獣のように吠え、「これぞBRAHMAN!」というオリエンタルなフレーズがあり、直後やけに爽やかなメロディが来る。その激しさと爽やかさを行き来しながら進んでいくと、後半KOHKIの雄大なギターソロが空気をさっと塗り替えて、ラストに向けて曲がどんどん明るく開放的になっていく……という展開なのだが、考えてみれば、ここには今のBRAHMANが鳴らしている要素のほとんどが詰まっている。異国情緒豊かなミクスチャー要素とロック王道のエレキが同時に鳴っていて、獣じみた叫びとポップな歌心が同時にあって、鬼と呼ばれるパンクスでありながら、愛や希望も確かに歌っている。どれも矛盾ではなく事実なのだ。あぁ、豊かだなぁと思う。今のBRAHMANが手にしたもの、音楽技術と肉体全部を使って表現しているものは、豊か、という言葉に尽きる。

 日常の喜怒哀楽を歌うミュージシャンは多い。というかほとんどのポップミュージックはそれがテーマと言えるだろう。だがBRAHMANは日々移ろう心模様ではなく、強烈に刻まれた心の痛みや死生観をテーマに音楽を続けてきた。20年前の曲「SEE OFF」と震災後の世の中に語りかける「鼎の問」を同じテンションで演奏できるのも、根幹が変わらないからだ。

 ただ、根が同じでも枝葉は広がっていく。経験と実感が加わることで頑なさは薄れていく。震災直後に必死の形相で政治や被災地について語っていたのも嘘のない姿だったが、今MCで「ワンマンだからすぐ終わっちゃうけど……どうせ明日も仕事でしょ?」と軽口を叩くのもTOSHI-LOWだ。どちらにも嘘がないから、変わったとは思わない。単純に、言えること、やれること、ファンと共有できることが増えているのだろう。今のBRAHMANを「もはやブレないし変わらない」と評する声は多いし、もちろん同意はするのだが、一方ではっきりと思う。22年目の今も、彼らはまだ成長中なのだ。

 怒りにまみれた爆音を鳴らしながら、「赦す」と叫び、気持ちよく笑ってみせる。これが今のBRAHMANだ。日常の、というより、人生の喜怒哀楽を思いきり爆発させるハードコア・パンク。ステージとモッシュピットの熱量は確かに非日常的な狂騒だったが、「生きること」そのものを実践したようなリアリティの塊でもあった。ツアーはここから続いていく。バンドはこれからも進化するだろう。結成20年をとうに過ぎた4人組に、そんな期待ができるのもまた、なんとも豊かで嬉しいことだ。(文=石井恵梨子)