キャリア教育・支援は、このまま進んで問題ないのだろうか。


 これまでの記事では、大学における「就職支援」が、2000年代以降、「キャリア支援・教育」へと拡張し、急速に普及してきた様子を明らかにした。

 変化の様相をもう一度整理しておくと、以下のようになる。

 変化の転換点は、2000年頃であるが、現時点に近くなればなるほど、多くの大学が「変化後」の取り組みに乗り出すようになり、支援そのものが分厚くなっていった。

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キャリア支援・教育の花盛り?

 かくして、今日の大学においては、学生に対する「キャリア支援・教育」が花盛りなのである。

 試みに、文部科学省による「大学における教育内容等の改革状況について(平成26年度)」を見ると、学部段階で「キャリア教育を教育課程内で実施している大学」(=単位化された「キャリア教育科目」を設置している大学)は、715校(全大学の96.8%)に上り、「キャリア教育を教育課程外で実施している大学」(=少々紛らわしいが、本稿の用語では、教育課程外で「キャリア支援」を実施している大学)も、693校(93.8%)である。

 まさに「キャリア支援・教育」の拡張は、飛ぶ鳥も落とす勢いで進んでいるわけであるが、はたしてそこに盲点はないのか。――いや、ないどころではなく、大いにあるというのが、筆者の見立てである。以下、この点について述べてみたい。

「キャリア教育科目」が学業を圧迫

 第1に、キャリア支援・教育が、あまりに肥大化してしまっているのではないか。

 学生たちが、大学時代に活用することのできる時間やエネルギーは、無限にあるわけではない。有限である。しかも、今日の経済状況の下においては、多くの学生は、学費や生活費に当てるためのアルバイトの時間を削ることができない。残りの時間を、サークル活動や趣味などの個人的な時間、そして、授業外の学習なども含めた「学業」に割り当てるわけである。

「学業」に当てられる時間は、そもそもそれほど高い割合ではないのが実情であるのに、その学業のうちの少なくない時間が、「キャリア支援」という名のセミナーや講座など、「キャリア教育」という名の科目群に費やされるのである。

 これが、大学教育の本体である教養教育や専門教育を圧迫しないわけがない。大学設置基準が定める卒業所要単位は、最低124単位であるが、「キャリア教育科目」を多く履修すればするほど、その分だけ大学教育本来の教養科目や専門科目を履修しなくても卒業できるという図式が、少なくとも一般論としては成り立つわけである。

*もちろん実際には、卒業所要単位数は、大学や学部等が独自に決め、履修上の条件を設定することもできるので、事情はそれぞれ異なる。しかし、「大衆化の衝撃」を被った中・下位ランクの大学ほど、上記のような図式が成立しているのではないか。

 ここ数年、経団連のガイドラインに関連して、大学生の就職活動の「解禁日」が話題となってきた。その際に、つねに論点とされたのは、就活が学生の学業を圧迫しているという点である。

 しかし、事実に目を向ければ、学生の学業を圧迫しているのは、就活の期間中の活動だけではない。就職活動の準備に向けられた、大学入学時からの系統的な「キャリア支援・教育」もまた、学生たちの学業を圧迫していることが危惧されるのである。

大学の本音は「就職支援」?

 第2に、肥大化したキャリア支援・教育の内容は、結局のところ、就職支援寄りに傾斜しているのではないか。言い方を変えれば、ライフキャリアも含めて、学生たちがどう自律的にキャリア形成をしていくのかについての幅広い支援や教育ではなく、ワークキャリアを軸にした支援・教育に偏っているのではないかということである。

 そうなる理由は、2つある。

 1つめの理由は、前回の記事でも指摘したように、拡張された「キャリア支援」や新設された「キャリア教育科目」を主要に担ったのは、もともと大学にいた職員や教員といった専任スタッフであるよりは、新たに導入された「外部からの人材」であったからである。ここで言う「外部からの人材」とは、人材ビジネス系の業者から派遣された者や、人材会社や企業の人事部などの出身者のことを指す。

 これらの人材は、ライフキャリアを含めたキャリア支援の専門家であるわけではなく、ワークキャリアを軸にした支援や教育を得意としていたという事情である。いや、もう少し率直に言ってしまえば、今でこそキャリア教育科目の実践事例も蓄積され、幅広い観点を持ったテキストなども発行されるようになったので、参考にすることもできるが、当初は、ワークキャリアを軸にした支援や教育しかできなかったのである。

 2つめの理由は、大学側の「本音」である。キャリア支援・教育についての「建前」は別としても、少子化による大学間競争が激化する中、大学としては何としても就職実績を上げたいわけであり、そのためには、キャリア支援・教育がワークキャリアに偏り、実質的には就職支援に近いものになったとしても、それはそれで、好都合だったわけである。

 その意味で、担い手の側(=外部からの人材)の力量や傾向性と雇う側(=大学)の本音の間には、緊張関係は存在していなかった。だからこそ、学生募集に苦労しているような大学の「キャリア教育科目」をシラバス(講義要綱)のレベルまでよく見ると、低学年次から、これはほとんど「面接対策」や「SPI対策」の講座ではないかと見紛うような科目が並んでいたりもするのである。

「キャリア教育科目」は本当に必要なのか?

 第3に、「キャリア支援」はもともと正課外活動であるが、正課課程にある「キャリア教育科目」も、大学の教育課程全体の中に有機的に位置づけられてはおらず、教養科目や専門科目との連携が図られていない。つまり、キャリア教育科目は、大学教育に「外付け」されているのである。

 例えば、経済産業省が提唱した「社会人基礎力」という概念がある。「前に踏み出す力」「考え抜く力」「チームで働く力」の3つの能力が、それである(それぞれの能力のもとに、さらに12の能力要素が設定されているが、ここでは省略する)。これらは、確かに学生が社会人となる前に身につけておくべき能力であるかもしれない。

 しかし、こうした能力は、キャリア教育科目として特設された授業でしか身につかないものなのかと言えば、そんなことはない。課題解決型の学習形態をとる授業を通じても、ゼミでの学習活動を通じても、十分に獲得を見込めるものであろう。

 実は、現在、「キャリア教育科目」を通して教えられていることの多くは、そう意識し、工夫をしていけば、大学教育の本体である教養教育や専門教育を通じても身につくことである。にもかかわらず、それはキャリア教育として特設され、外付けにされている。だから、キャリア教育科目が肥大化していくのである。

「キャリア支援・教育」栄えて「大学教育」滅ぶ?

 見てきたような意味で、大学における「キャリア支援・教育」は、大学教育の本体から遊離して「外付け」にされ、肥大化している。その一方で、大学教育本体の教養科目や専門科目の改善や改革は進まない。

 これが、現在の姿なのだとすれば、それはやはり相当に歪であると言わざるをえないのではないか。

筆者:児美川 孝一郎