安倍昭恵氏(写真:ロイター/アフロ)

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 森永製菓と森永乳業の経営統合する方針と伝わり、両社の株価は急騰した。森永製菓は3月30日に過去10年来の高値となる5440円をつけ、統合の情報が流れてから株価は15%近く上昇した。同日の終値は5300円である。一方、森永乳業も3月30日に10年来高値の995円となり30%暴騰した。終値は976円だった。海外展開や研究開発の強化が期待されて買われた。

 しかし3月30日、両社は「経営統合に向けた検討を終了する」と発表した。生産や物流部門での合理化で両社の溝は埋まらず、計画は1カ月余りで白紙に戻った。

 これまでの経営交渉の流れを見てみよう。

 両社は2月24日、「経営統合に限らず、さまざまな可能性について検討している」とのコメントを発表した。2018年4月をめどに、持ち株会社方式で経営統合する案を中心に、統合比率などは今後つめるとした。持ち株会社の会長には森永乳業の宮原道夫社長、社長は森永製菓の新井徹社長が就く方向で調整していると報じられたが、関係筋によるとトップ人事に関しても思惑の違いがあったという。

 両社とも業績は好調で、純利益は過去最高を更新する。森永製菓の17年3月期の連結業績は、売上高が前期比6%増の1920億円、営業利益が44%増の165億円、純利益は42%増の115億円の見込み。ゼリー飲料が好調で、カカオの含有量が多いチョコレート「カレ・ド・シヨコラ」がよく売れた。

 森永乳業の17年3月期の売上高は前期比1%減の5930億円だが、営業利益は43%増の205億円、純利益は14%増の120億円の見通し。高濃度ヨーグルト「パルテノ」が伸びた。

 森永製菓は製菓4位、森永乳業は乳業2位で、統合すれば新会社の連結売上高は7850億円、営業利益は370億円の規模になる見込みだった。

 皮肉なことだが、業績が好調なことが、「身を削って経営統合しなければならない」という意識が薄れる原因ともなった。

 ライバルである、明治製菓と明治乳業が統合した明治ホールディングス(HD)は、17年3月期の連結売上高は前期比2%増の1兆2510億円、営業利益は9%増の845億円の見込み。高機能ヨーグルト「R-1」が大ヒットした。

 時価総額(3月30日終値時点)は、森永製菓が2872億円、森永乳業が2430億円。合算すると5302億円だが、明治HDは1兆4291億円で、2.7倍の大差がついている。

 いち早く経営統合した明治グループと、なかなか経営統合できなかった森永グループ。製菓・乳業で独走する明治HDを「大森永連合」が追撃する構図が、もろくも1カ月余で崩れてしまった。

●安倍晋三首相の昭恵夫人は森永一族

 森永製菓と森永乳業の統合話が出て、そして壊れたのは今回が初めてではない。08年12月にも、森永製菓と森永乳業の統合交渉が報じられた。明治製菓と明治乳業の統合が発表された直後で、いよいよ「大森永」の誕生か、と受け取られた。しかし、統合交渉は進展せず、両社の根深い確執が露呈した。そして今回、あらためてその確執の解消が困難であることが明らかになったといえる。

 両社の歴史を振り返ってみる。

 1899年8月、洋菓子の製法を身につけた森永太一郎氏が米国から帰国し、東京・赤坂溜池にわずか2坪の菓子工房を建て、森永西洋菓子製造所の看板を掲げた。

 創業から6年後の1905年、大きな転機を迎えた。元駐日米公使アルフレッド・バック氏の妻に相談して、羽をはばたかせ大空を翔るエンゼルを商標にした。エンゼルマークは好評で、太一郎氏は「これでいこう」と決めた。

 同年、10歳年下の松崎半三郎氏を支配人に招いた。このとき松崎氏は「あなたは製造に専念し、私は営業に専念すること」「個人商店では限界があるので、近い将来、株式会社に改めること」という条件を出した。約束に従い、1910年に株式会社森永商店を設立。2年後に森永製菓に改称した。「製造の太一郎」と「販売の松崎」のコンビにより、森永のお菓子はエンゼルの翼に乗って大いに売れた。「森永翁と私とは、表と裏、形と影の関係であった」――。松崎氏は晩年、2人の関係をこう語っている。

 両家が縁戚関係になるのは孫の代だ。太一郎氏の孫、恵美子氏と松崎氏の孫・昭雄氏が結婚した。草創期のパートナーであった森永・松崎両家は血縁で結ばれた。昭雄・恵美子夫妻の長女、昭恵氏は、安倍晋三首相の夫人になる。奔放な行動で知られる昭恵氏は、森友学園が新設する予定だった「瑞穂の國記念小學院」の名誉校長に就いていたことが明るみに出て、いまやスキャンダルの渦中の人となった。ファーストレディーは、実は森永・松崎両家の固い絆の結晶なのである。

●乳業のドンの退任で、統合の動きが表面化

 太一郎氏の孫、森永剛太氏は97年、昭雄氏の後を継いで森永製菓の第6代社長に就いた。2006年からは会長となっている。創業家直系の3代目の剛太氏は「大森永」を実現するための統合への意欲を隠さなかった。森永製菓は森永乳業の10.5%の株式を保有する親会社だが、両社は微妙な関係にあった。

 森永乳業は1917年に森永製菓が設立した日本練乳が前身。20年に製菓と合併後、49年に森永乳業として分離独立した。55年に森永ヒ素ミルク中毒事件が起き、森永乳業が乳業トップの座を滑り落ちた。だが、それだけではなく、グループ企業である森永製菓の菓子の不買運動にまで発展し、森永製菓の経営に大打撃を与えた。これが、森永製菓が森永乳業に不信を抱くきっかけとなった。

 さらに、関係を悪化させたのが、創業家の扱いの違いだった。ヒ素ミルク事件以後、乳業では森永家以外の人物がトップに就いてきた。事態を収拾し、再建を果たしたのは大野勇氏だ。森永乳業の“中興の祖”と呼ばれている。

 85年、勇氏の二男の大野晃氏が乳業の社長に就き、世襲した。だが、昭雄氏が「オーナー家でもないのに、なぜ(世襲)なのだ」と異論を唱えた。これに対して晃氏は「製菓でも番頭の松崎が社長になっているではないか」と反発したという。このことが両社の感情的な軋轢を生み、現在に至るまで解消されていないのだ。

 そんななか、ライバルの明治製菓と明治乳業が統合し「大明治」が誕生した。これに刺激された創業家の剛太氏は「大森永」結成に意欲を燃やしたが、晃氏の目の黒いうちは大同団結は難しいというのが、業界の見方だった。

 森永乳業のドンとして30年間君臨してきた晃氏が2015年6月、会長を退任したことで障害が消え、経営統合へ向けて動き出した。しかし、難問が立ちはだかった。売上高は森永乳業が森永製菓の3倍だが、逆に時価総額は森永製菓が森永製菓を上回っている。この複雑な関係を解くことができれば、恩讐を超えた統合劇は成就しないわけだ。

 今回、統合を見送ったのは、協議を進めるなかで、「現時点では統合による相乗効果より、単独で経営基盤の強化を図っていくべきだとの結論に至ったため」だという。

 統合によって「大森永」が誕生し、森永ブランドが強化されるとの見方から、両社の株価は急伸した。統合の見送りで、株価がどうなるかも注目点だ。統合しないという経営判断が正しかったかどうかは、株価が示してくれるだろう。

 ちなみに、3月31日の両社の株価は、森永製菓が一時、420円(8%)安の4880円まで売られ、終値は4940円(360円安)。乳業は150円(ストップ)安の826円のまま終わった。前日比15%安の水準である。

 次に経営統合の話題が俎上に上るのは、両社のどちらかの業績にかげりが出たときとなる可能性が高いが、それでは遅いだろう。今後も明治HDの一人勝ちは続くとみられる。
(文=編集部)