琴奨菊は1敗もできない状況で14日目を迎えていた(写真:時事通信フォト)

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 稀勢の里が大逆転優勝で2連覇を果たした大相撲春場所は大いに盛り上がった。だが、稀勢の里が初場所後に横綱昇進を決めるまで、上位は長くモンゴル勢に独占されてきた。ガチンコ力士として知られる稀勢の里が横綱になったことにより、何が変わったのか。相撲協会関係者はこう語る。

「終盤の直接対決はモンゴル横綱・大関陣同士ばかりで、10日目あたりまで取りこぼしがない力士がそのまま優勝する構図が続いていた。それが今場所は全勝で突っ走った稀勢の里が13、14日目に敗れ、1敗の照ノ富士(大関)が逆転。さらに、千秋楽で本割の直接対決と優勝決定戦で連勝した稀勢の里が再逆転を果たしたのだから、これまでと全然違いますよ」

 構図が一変しつつあっただけに、稀勢の里や同部屋の弟弟子である高安(関脇)が勝ちっ放しを続ける状況に、上位陣の危機感は相当なものだったという。

「幕内には3横綱、1大関、1関脇を含む10人のモンゴル力士がいますが、白鵬の休場が決まった5日目以降、稀勢の里と高安を潰そうという意思統一が図られたそうです。

 ただ、2011年の八百長事件ではモンゴル力士も5人が処分を受け、引退に追い込まれた。いずれも番付下位の力士ばかりで、それだけに平幕のモンゴル勢には祖国の大先輩でありながら、横綱・大関への反発が強い。一枚岩にまとまるというわけにはいかなかったようです」(担当記者)

 それでも13日目には日馬富士が稀勢の里を土俵下に叩き落とし、1差で追う同部屋の照ノ富士を援護。しかも、この一番で土俵下に転落した際、稀勢の里は左腕から胸にかけて強打。支度部屋に戻った後、三角巾で左腕を固定する姿が大々的に報じられ、救急車で病院に搬送された。

 稀勢の里の容態は国民的な関心事となったが、直後からその症状が厳重に秘匿された。

「稀勢の里本人はもちろん、親方や付け人もケガの状態を外部に話さない箝口令が敷かれていた。鶴竜(横綱)、照ノ富士戦を残して、“情報を与えたくない”という考えがあったのでしょう。当日夜になって強行出場という話だけは出回ったが、どのくらい深刻なのかはわからないまま。

 対戦を残す陣営は翌14日目、稀勢の里の支度部屋の様子や土俵入りの時の状況をつぶさに観察していたが、痛そうな表情は見せない。テーピングはあるものの普段と同じように左腕は動いている。鶴竜との結びの一番が行なわれるまで、情報は全くなかった」(後援会関係者)

 この箝口令によって影響を受けたとみられているのが、14日目の結びの2番前、照ノ富士と琴奨菊(関脇)の取組だ。

 大関を陥落し、春場所で10勝を挙げての返り咲きがかかる琴奨菊は、14日目までで8勝5敗。1敗もできない状況だった。

「琴奨菊は序盤に日馬富士、鶴竜の2横綱を破ったものの、ガチンコ平幕たちに土をつけられた。

 対する照ノ富士は1敗同士で稀勢の里と並んでいた。仮に稀勢の里の容態が非常に悪く、2連敗や千秋楽の休場が濃厚であれば、2敗力士はいないのだから、相手を思いやる“物わかりのいい相撲”になってもおかしくない。ただ、稀勢の里の左肩の容態が全くわからないままだった」(同前)

 結果、ガチンコの取組は照ノ富士が立ち合いで右に変化し、琴奨菊の頭を押さえてそのままはたき込んだ。前出の担当記者がいう。

「大関になってからの優勝がない照ノ富士はなりふり構わず勝ちに行った。2015年7月場所で、カド番の千秋楽を7勝7敗で迎えた琴奨菊が、新大関だった照ノ富士相手に立ち合いで変化してカド番を脱したことがある。その意趣返しとみる向きもありますが、実際は照ノ富士も相当痛んでいたからでしょう。6日目に高安に敗れて以降、豪風(前頭1)、御嶽海(小結)、勢(前頭1)、正代(小結)、荒鷲(前頭4)、遠藤(前頭5)とガチンコ勢との取組が続いたことが、古傷の右膝にかなり堪えていた。だからああいう相撲になったんじゃないか」

 照ノ富士への批判の声があがった一番だったが、背景にはガチンコ場所が生んだ数々のドラマがあった。

 結びの一番では稀勢の里が鶴竜に立ち合いでもろ差しを許すと、いいところなく完敗。

「もし、稀勢の里と鶴竜の取組が先だったら、照ノ富士と琴奨菊の一番も違う内容になっていたかもしれない。そんな想像をしてしまいます」(同前)

※週刊ポスト2017年4月14日号