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銀座ソニービルは開業から半世紀を迎えた今春、大規模なリニューアル工事のため一時閉館となった。最終営業日の3月31日にはフィナーレイベントを開催。ソニーの平井一夫社長が感謝の言葉を述べるとともに、東京スカパラダイスオーケストラと一緒にサックスの演奏を披露して会場を盛り上げた。

○人をINVITEできるソニーパークにする

銀座ソニービルで2月22日から開催されていた「It's a SONY展 Part-2」も、この日が最終日。小雨の降りしきる中、平日にも関わらず多くの来館者で賑わっていた。フィナーレイベントにはソニー 社長 兼 CEOの平井一夫氏が登壇。同氏が「高校、大学、会社、そして人生の先輩」と慕うジョン・カビラさんがMCを務めた。

銀座・数寄屋橋にソニーの広告塔が設置されたのは1957年のこと。その2年後にショールームがオープンし、1966年にはソニービルとしての営業を開始している。そんな銀座ソニービルの歴史を紐解いたカビラさんは、ここでソニー創業者の言葉を引用。「ニューヨークのロックフェラー・センターのようなオープンなスペースを銀座につくりたい。さすがにアイスリンクは無理だけれど、クリスマスツリーが立つくらいのスペースは欲しい。かつて盛田昭夫氏は、そのように話していた。銀座ソニービルはそうした想いで建てられ、以後、銀座を象徴する建物として人々に親しまれてきた。創業者の想いは現在まで連綿と続いている」として、営業半世紀の偉業を讃えた。

平井社長は「中学生の頃、銀座に遊びにいくときは必ず銀座ソニービルに立ち寄っていた」と青年時代のエピソードを披露。その頃から"ソニー好き"は加速していたらしい。ちなみにその後、同氏はCBS・ソニー(現在のソニー・ミュージックエンタテインメント)に入社する。このビルにも仕事で度々訪れることになるが「このビルに入るときは、いまでも新入社員の時代を思い出して緊張するんですよ」と話し、はにかんだ笑顔を見せていた。

現在のソニービルは取り壊され、2018年夏から2020年秋まではビル跡地に"街に開かれた施設"をコンセプトにした「ソニーパーク」が設置される。どのような施設になるのだろうか?

平井社長は「お世話になった銀座の皆さんをはじめ、世界の皆さんにスペースを提供したい。2020年には東京オリンピックが開催され、世界中の方が訪れる。そうした方々も含め、人をINVITEできる空間になれば。憩いの場でもあり、イベントスペースにもなり、ミニコンサートも行えるような。色んな面白いことができそう。エレクトロニクス、エンターテインメント、音楽、映画、ゲームなどソニーの様々な側面を活かした"ワンソニー"を体験して頂ける、皆さんにWow! と言っていただけるようなスペースにしていきたい」と期待を膨らませていた。

また、ジョン・カビラさんは「敷地は700平方メートルを超えており、銀座の地価総額を考えると、とてつもなく価値の高いスペースになる。元沖縄県民としては、(これまでもソニービルで開催していた)美ら海水族館とコラボしたアクアリウムのようなイベントを、今後も継続して開催してもらえたら嬉しい」とリクエストしていた。

○サックスやってたの?

イベントのフィナーレには、平井社長がサックス演奏で華を添えることになっていた。しかしトークセッションも終盤、カビラさんに「サックスやっていたんですか? 」と聞かれた平井社長は「実は1ヶ月前まで触ったこともなかった。あまり練習もできていない」と心もとない回答。話によれば、この日のために会社の会議室で練習してきたという。「当初は『誰だ会議室でサックスなんて吹いているのは』とクレームがあった。でも社長がやっていることが分かると、それ以降はシーンとしていましたね」と報道陣を笑わせる平井社長。果たして、どんな演奏を披露するのだろうか?

カビラさんに「では、試しに音を出してみてくださいよ」と促され、2つの音を交互に吹き始める平井社長。すると、それをベースのリズムにして東京スカパラダイスオーケストラのメンバーが演奏に加わっていき、賑やかなナンバー「Paradise Has NO BORDER」を披露した。その後、メンバーと平井社長はビルの4階から1階まで演奏しながら巡回。フロアを下るにしたがって近隣の中央区立泰明小学校の金管バンドや、ソニー・フィルハーモニック・オーケストラのメンバーらが演奏の輪に加わっていった。

東京スカパラダイスオーケストラのメンバーと平井社長は、屋外のフリースペースでもスペシャルライブを披露。夜の銀座のビル街に、サックス、トロンボーン、トランペットをはじめとするバンド演奏が鳴り響いた。この日は雨が夜まで降り続く生憎の天気だったが、小雨もビルを取り壊すという湿った雰囲気も吹き飛ばして余りある、晴れやかなフィナーレとなった。

(近藤謙太郎)