鹿児島の中盤にダイナミズムを生み出す松下。押しも押されもしない中盤の中軸だ。(C)SOCCER DIGEST

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[J3リーグ4節]FC東京U-23 1-2 鹿児島/4月2日(日)/夢の島
 
 なかなか均衡が破れなかった51分、気迫でゴールをこじ開けた。FW中原優生の落としを強引に左足でインパクトすると、ボールは相手DFに当たってコースが変わり、ふわりとゴールマウスへ──。
 
 胸のエンブレムをギュッと握り締め、はるばる鹿児島から駆け付けたゴール裏のサポーターの声援に応える。Jリーグの酸いも甘いも知る歴戦のボランチ、松下年宏だ。
 
「こんな遠くまで来てくれるなんて、本当にありがたいし、感謝です。鹿児島のひとはサッカーが大好きなんですよ。そして、むちゃくちゃ熱い。その想いに僕たちは応えなければいけないんです」
 
 長らく、“ワンちゃん”の愛称で親しまれてきた。もともとは京都サンガの布部陽功監督が現役時代、プロ野球のレジェンド・王貞治氏に似ているところから賜ったニックネームだが、ガンバ大阪に入団したての松下を見た先輩連中が、「いや、松下もかなりやろ」と騒ぎ出し、瞬く間に定着してしまったのだ。先制点を挙げて顔をくしゃくしゃにしている松下を見て、ふとそんな、他愛のないエピソードを思い出した。もう15年も前の話だ。
 
 現在、33歳。鹿児島実業高校からG大阪に加入し、ルーキーイヤーから出場機会を得た。兎にも角にも、驚異的なスタミナが自慢。攻守両面に貢献できるボランチで、とりわけ右足から繰り出す精緻なキックが代名詞である。20歳前後の頃は、高校の先輩である遠藤保仁を兄のように慕い、ピッチ内外で薫陶を受けた。G大阪退団後はアルビレックス新潟、FC東京、ベガルタ仙台、横浜FCと渡り歩き、この春に郷土のJクラブ、鹿児島ユナイテッドに活躍の場を移したのだ。
 
 松下の決断を後押しした人物のひとりが、ほかでもない、鹿児島の新監督就任が決まっていた三浦泰年氏だ。
 
「自分を必要としてくれるところでやりたい。そう考えていたなかで、ヤスさんと話をして、グッとくるものがあった。まだまだ成長できるはずだから、って言ってもらえたんですよ。この年齢になってくるとなかなかそうは見られないじゃないですか。最初話したときにそんな会話をして、ヤスさんの下でやってみたい、挑戦してみたいって想いが強くなったんです」
 
 2-1の勝利に終わったJ3リーグ・4節、FC東京U-23戦のあと、三浦監督に訊いてみた。松下のどこに期待し、どんな役割を与えているのか。じつにヤスさんらしい答が返ってきた。
 
「精度の高いキックもそうだし、決定的な仕事ができる選手。それに加えて(鹿児島の)出身者としての存在価値はやはり高いですし、メンタル的にも戦術的にも要求する部分は大きいですね。ただ、今日なんかもまだイージーなミスがあった。彼は33歳ですが、僕は「もう33歳」ではなく、「まだ33歳」だと見ている。もっと成長できますよ。その成長がチームの成長にも間違いなくつながる。だから僕が期待しているところは、ものすごくデカいんです」

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 FC東京U-23戦では、4-4-2システムで2ボランチの一角を担った。前半は押し込まれる展開が続き、守→攻の切り替えの場面で苦心していたが、後半になると流れは一変。鹿児島は松下が統率するプレッシングをツボにはめ、全体のラインをコンパクトに保ち、徐々に敵陣でプレーする時間を増やしていく。松下の先制点も、果敢なフォアチェックからのショートカウンターで生まれたものだ。
 
 その後PKで加点し、敵の追撃を1点に抑えて2-1の快勝。3勝1敗で勝点を9に伸ばした鹿児島は、開幕4連勝の福島ユナイテッドに次いで2位に付けている。まずまずのスタートだ。
 
 故郷に初めて誕生したJクラブ。当然、その一報は松下のハートにも火を付けた。待ちに待った瞬間だったと振り返る。
 
「ずっと正月に帰省するたび、まだできないのかな、上手くいかないなって言ってましたから(笑)。いずれは地元のJクラブでプレーしたいと思ってましたし、その願いを叶えられて嬉しいです。僕が小学生の頃、Jリーグはテレビの中の世界でしかなかった。それがいま、こんなに身近にあるんですよ。ホント、昔は想像もつかなかったですね。もともと鹿児島はサッカーが盛んで、大人も子どもも誰も彼もが熱い。だからクラブには、すごく大きなポテンシャルがあると思うんです。サッカー少年たちのためにも、目標とされるクラブにしたい。ユナイテッドでサッカーがしたいと思ってもらえるような、そんな存在にしていきたいんです」
 
 鹿児島実、神村学園、鹿児島城西など高校サッカーの名門校に代表されるように、昔から鹿児島は全土に渡ってサッカーが盛んで、前園真聖や遠藤兄弟(彰弘&保仁)、岩下大輔、大迫勇也ら数多のタレントも輩出してきた。だが、シンボルとなれるプロクラブは存在せず、長く待望されたままだった。
 
 そんななか、県内の2大クラブであるヴォルカ鹿児島とFC KAGOSHIMAがひとつとなり、2014年に鹿児島ユナイテッドが発足。2年後、悲願のJ3昇格を果たした。クラブとチーム、そしてファンが一体となって盛り立て、地道に県内外でアピールを展開。元来、鹿児島県人は郷土愛がすこぶる強い。着実に支援の輪は広がっており、この日の夢の島競技場には地元サポーターのみならず、首都圏在住の鹿児島県人も多く詰めかけていたという。

 今年のチームには松下のほか、同じくJリーグでの実績が申し分ないDF上本大海や、キャプテンで司令塔のMF赤尾公、左サイドで突破口を開くMF永畑祐樹など、12名の鹿児島出身者が名を連ねている。理想的な“在り方”を模索中だ。
 
「いつかは浦和やガンバのように、アジアでも世界でも戦えるクラブにしたい。まずは、J2昇格。そこでまたひとつ、大きな変化が生まれると思うんです。なので今季、かならずやり遂げたい」
 しかしながら、チームにはプロの修羅場を潜り抜けてきた選手が、やはり少ない。その点を松下はどう捉え、改善しようと試みているのだろうか。
 
「うーん、たしかにまだまだ緩い部分がある。それぞれが自身に対してそうだし、もっと成長したいって想いをプレーで表わしてもいいのかなと思います。練習前の準備や筋トレ、試合の入り方とか、上のレベルでいろんな選手のいろんな取り組み方を見てきた。それこそカズさんの凄さも間近で見ていたわけで。僕や大海さんが行動で示して、これくらいやらなきゃダメなんだと気づいてもらえれば」
 
 FC東京U-23戦の試合後には、メディアからU-20日本代表の至宝、久保建英についての感想を求められた。「独特の間(ま)を持ってますよね。受けた瞬間の巧さがある。フィジカルのところを云々言われてるんでしょうけど、激しく当たられないようによく相手を見ているなと思いました。すごくいい選手ですね」と話し、その15歳のアタッカーがフル出場した一方、自身が80分で交代したことについては、「コーナー蹴ったあとに珍しくツっちゃいました。情けない」と、頭をかいた。
 
 どこまでも憎めない、真面目一徹の男。33歳で郷土に戻り、フットボーラーとしてのさらなる成長を見据えながら、充実の日々を送る。

 そんな“ワンちゃん”の新たな冒険は、まだ始まったばかりだ。
 
取材・文:川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)