Acid Black Cherry

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 Acid Black Cherryが3月22日、ライブ映像作品『10th Anniversary Live History -BEST-』をリリースした。同作は、2017年7月18日よりソロデビュー10周年となるAcid Black Cherryの全19枚のシングルと、デビュー前に制作され、“0thシングル”としても配信されている「君がいるから」を含めた全20曲を、今まで行ってきた様々なライブの時間軸とともに振り返る内容だ。音楽ライターの武市尚子氏によるABCの10年の歴史を1年ずつ振り返る連載が3月22日よりオフィシャルFacebookで公開されている。リアルサウンドでは同連載を3回に分けて掲載しており、今回が最終回となる。(編集部)

【2013年】Project『Shangri-la』1st Season ~ 3rd Season

 2013年3月、Acid Black Cherryはニュープロジェクト、Project 『Shangri-la』を発表した。

 このProject『Shangri-la』は、「ライブで全国をくまなくまわり、なるべくファンの近くで唄い、ファンとの触れ合いの機会も持ちたい」ということを常に考えていたyasuの想いを実現するものであり、「自分の音楽を愛してくれる人が、一人でも多く笑顔になってもらえたら」という想いも込められたプロジェクトであった。

 このプロジェクトを掲げたとき、3つのことを約束した。1つ目は、ライブツアーをまわりながら、コンスタントにニューシングルをリリースすること。2つ目は、日本全国を5ブロック・5期間に分け、全国の“君”に自ら出向いて会いに行くことを目的とした全都道府県ツアーを行うこと。3つ目は、行った先々で「Shangri-la Meeting」と名付けられた触れ合いイベントを開催し、テレビやラジオの公開収録やハイタッチ会をしながら、全国の“君”と触れ合うというものだった。

 “唄で世界は変えられない 唄で世界は救えない でも君が笑顔になるなら唄いたい―――”。

 これは、2011年10月にリリースした12枚目のシングル「シャングリラ」の中で唄われている言葉であるが、このProject 『Shangri-la』は、まさにこの歌詞そのものを形にしたようなプロジェクトだったと思うのだ。

「“君が笑顔になるなら唄いたい”っていうフレーズを、そのままやれたらいいと思ったんです。本当にシンプルに、ただただその思いだけ。みんなが笑顔になるなら、みんなの街に行って唄いたいんです」

 また、全都道府県ツアーと並行して行われた触れ合いイベント「Shangri-la Meeting」もまた、yasuに強い想いを抱かせたように感じた。

「全都道府県でライブができてもちろん良かったけど、あのイベントは本当にやれて良かったし、やって良かったと思ってますね。この先、また全都道府県ツアーは出来たとしても、ハイタッチ会はなかなか出来ないと思うからね。本当にいろんな人たちの協力もあって、みんながたくさん会いに来てくれて、実現出来たことでもあったと思って感謝してますね。本当にたくさんの人と実際に触れ合えて、純粋に楽しい気持ちになれたし。すごく自分の力にもなったしね」

 特に印象深かったのはアンコールでのリクエストコーナーである。チケットの半券を入れた抽選箱から数枚を引き、当たったファンの所へスタッフがマイクを届けて、そのファンとステージから会話をするという企画だった。

「どこから来たの?何歳?今日は誰と来たの?」と優しく問いかけるyasuに、緊張しながらも楽しそうに答えるファン。思わず笑みがこぼれるようなやりとりの後、「じゃあ、何の曲聴きたい?」というyasuに、それぞれが自分の聴きたい曲をリクエストした。これも、yasuなりの触れ合いの形であり、このためにyasuはどんな曲にも対応できるように入念にリハーサルをしていたのだ。

「俺にとっては47本中の1本でも、みんなにとっては1回きりの1本やしね」

 と語るyasu。yasuはもちろん、サポートメンバーも、照明スタッフに至るまで、ライヴに関わるすべての人間が、何をリクエストされてもいいように準備していたのだという。

 “君が笑顔になるなら 唄いたい―――”、その想いのために。

「だって、笑顔は伝染するでしょ?」

 そんなyasuの言葉通り、真夏の東北での1st Seasonから、北陸・甲信・東海をまわった2nd Season、そして中国・関西地方を年末まで駆け抜けた3rd Seasonで、笑顔がどんどん広がり、そして、繋がって行ったように感じた。

【2014年】Project『Shangri-la』4th Season ~ Final Season

 Acid Black Cherryが2013年8月からスタートさせたProject『Shangri-la』は、同年の12月末までに『3rd Season〜関西・中国tour〜』を終了し、年を跨ぎ、翌年の2014年2月から『4th Season〜関東tour〜』をスタートさせた。

 大雪の影響もあり、「Shangri-la Meeting」の千葉公演が延期されるなどの混乱もあったが、yasuはただただ自分の音楽を求めてくれる人たちに、誠実に向き合っていった。

 そして。3月11日。yasuはProject 『Shangri-la』のラストを飾るシングル作品として「君がいない、あの日から…」をリリースしたのである。

 この曲はリリース直後からスタートした『5th Season〜四国・九州・沖縄tour〜』から披露されていった。

 全都道府県で行われてきたShangri-la Meetingは、 FM沖縄の公開録音とハイタッチ会を以て、すべてを終え、全都道府県ツアーも、2014年4月26日の沖縄公演で無事にファイナルを迎えた。

 ファイナル公演に集まったファンたちは、【新作のリリース】【全都道府県ツアー】【全国での触れ合いイベント】、という自分たちと交わした3つの約束を有言実行したyasuに、たくさんの“ありがとう”を投げかけ、yasuも“とにかく、ありがとうの一言しかないです”と心からの感謝を伝えていた。

 全都道府県ツアーとして届けられたライヴを無事に終えたyasuは、5月13日の大阪城ホールを皮切りに、日本ガイシホール、日本武道館の全国3ヶ所6公演で『Encore Season〜Arena tour〜』、代々木第一体育館2days、宮城セキスイハイムスーパーアリーナで『Final Season』と、Project『Shangri-la』の追加公演を行うことになる。

 このアリーナツアーでも「君がいない、あの日から…」は披露されていたのだが、中でもとても印象的だったのは最終公演の宮城セキスイハイムスーパーアリーナでyasuが、この曲を唄う前に言った一言だった。

「この日、ここで唄う為に生まれてきた曲だと思います」

 もともと「君がいない、あの日から…」は、Project『Shangri-la』の最後のシングルにしよう思って作っていた曲ではなかったのだ。

 このProject『Shangri-la』を通して、ファンの声を聴き、ファンの笑顔に触れたことで、自然と産まれてきた楽曲なのだという。

 照明で作られた満天の星空の中で、心を込めて唄うyasuの姿は、限りなく無垢なものだった。

 笑顔をくれた“君”への想いと、笑顔を見せに来ることができなくなってしまった“君”への想い。ただただ真っ直ぐに“君”に届けようとするyasuの純粋な気持ちが、痛いほどに伝わってきたのを感じた。

 また、このセキスイハイムアリーナでのライヴでもう1つ印象深かった出来事がある。Project『Shangri-la』では全公演、アンコールでファンからのリクエストに応えるコーナーを設けていたのだが、この日までオリジナル楽曲の中で唯一リクエストされなかった曲があり、それをyasu自身がリクエストして披露したことである。

 その曲は、「その日が来るまで」。

「その日が来るまで」は震災後、yasuが最初に作ったという曲。この曲がなければ『2012』が生まれることもなかっただろうし、その先に生まれたこのProject『Shangri-la』も開催されることはなかったであろう。そんな「その日が来るまで」を、この宮城の地で披露したことは、非常に感慨深かった。

「僕らが“日本中を笑顔に”って言って廻ったツアーだったんですが、僕らが笑顔にするというよりも、まさに僕らがお客さんに元気をもらって日本一周をしてきたんじゃないかと、本当に心から思うツアーでした。この『Shangri-la』というプロジェクトは、今日で終わるわけなんですけど、思い起こせば、このツアーは『シャングリラ』という曲が生まれてから『2012』というアルバムができて、本当に導かれるように今日という日を迎えたんじゃないかなと心から思います。みんながいたから僕は日本を廻って来れたんだなと今、心から思っています。人間としても、ミュージシャンとしてもすごく成長できたそんな10ヶ月でした。僕はあまり安い言葉で皆さんを励ましたりしたくないし、僕は音楽をやってて良かったって思ったことはそんなにないんですけど、皆さんが “とても感動した” って言ってくれた言葉を、今回ほど強く嬉しく思ったことはないかなと思います。今日ほど音楽をやっててよかったなと思った日はないです。これは本当に心から思ってる言葉です。ありがとうございました」

 こうして約10ヶ月に渡って届けられた【Project『Shangri-la』】は、たくさんの笑顔に包まれる中、幕を下ろしたのだった。

 どの街でも、ファンが温かな笑顔で会場を後にしていたことが、今でも心に残っている。

【2015年】Acid Black Cherry 2015 tour L−エル−

 2015年2月25日。前作『2012』から約3年の時を経てAcid Black Cherryは4枚目となるオリジナルアルバム『L−エル−』をリリースした。

 アルバム『L−エル−』のテーマは“愛”。波乱の人生を送った一人の女性が、その一生をかけて愛を求め生きる姿を描いた物語である。

 3月10日からは、このアルバムを引っさげてのツアー『Acid Black Cherry 2015 tour L−エル−』がスタート、アリーナ公演などを含めて年末まで続く、ロングツアーとなった。

 「tour L−エル−」では、『L−エル−』の物語をイメージさせる映像が差し込まれるなど、アルバムのストーリーを色濃く感じさせ、その世界観へと深く誘う構成だった様に思う。

「このときのツアーは、1枚のアルバムを10ヶ月かけてじっくりと魅せていけたツアーであったってとこが、いつもと大きく違ったとこだった。どのアーティストさんもそうやと思うけど、それなりの時間をかけて、全力をかけてアルバム制作に向き合うと思うのね。アルバムが完成したらだいたいツアーがあるけど、そこで終わっちゃう感じというか、落ち着いちゃう感じがあるでしょ。その期間って、すごく短い気がしてて。それってすごく寂しいというか、切ないというか。やっぱり長く時間をかけて一生懸命につくったから、聴く時もじっくり長い時間をかけて聴いてほしいなって思う。アルバムって、ツアーをやって初めて完成する感覚やからね。そういう意味でこのアルバムは、長く育 てられたのは良かったなって」

 ホールツアーは、長い期間をかけてまわったことから、ライヴ1本1本を分析して、次のライヴに望むことが出来た、充実したツアーであったとyasuは言う。

 じっくり時間をかけて向き合ったツアーは、アルバムの世界観だけではなく、Acid Black Cherryのライヴの魅力をさらに際立たせていたように感じた。

「ずっと最初の頃から言い続けてる、【1万人であろうが1人であろうが、全力で同じステージを演る!】っていう気持ちを、アリーナツアーでどれくらい体現できたか分からないけど、一番後ろの人まで“楽しかった〜!”とか“ワクワクしたわぁ〜!”って思ってもらえてたら嬉しいなって思う」

 そう語っていたyasuのパフォーマンスは、アリーナクラスの会場で、どこの座席にいても楽しめるエンターテインメントを作り出していた。

“人生のピークを決めるのは自分次第”

“エルちゃんの生涯を俯瞰で見てもらって、それを自分の人生と照らし合わせてもらったら、すごく共感してもらえるんじゃないかなと思う”

 「arena tour L−エル−」ファイナルの日本武道館でyasuはこう言った。

 【愛されること】だけをただただ望んだエルという1人の女性を描いた物語と、10ヶ月にも及んだロングツアーは、観るものにも“人生”とは何かということを考えるきっかけになったのではないだろうか。

 日本武道館のステージで、yasuはこんな話もした。

「僕が年を取っておじいさんになって、この『L−エル−』というアルバムとこのツアーを思い出した時、きっと、またそこでも改めていろいろ感じるんじゃないかって思ったというかね。そんなツアーになったなって思うよ」

 『Acid Black Cherry 2015 tour L−エル−』は、yasu自身をも大きく成長させた、そんなツアーだったのだと思う。

Acid Black Cherryの10年

 “まだ10年”と感じるか、“もう10年”と感じるかは人によって違うものである。

 今回、2007年の始まりから1年1年順を追って思い返してきたことで、Acid Black Cherryの10年と向き合うことが出来た。

 改めて感じたのは、yasuが1つ1つ積み重ねてきた日々が今、10年という歴史を築いてきたのだということだ。

 連載の中でも振り返ったが、ツアーの直前に喉を痛めて、ギリギリの精神状態でツアーを全部まわりきった『Q.E.D.』のツアーファイナルの武道館のステージで、yasuは声を嗄らしながらも唄いきり、最後までいつもと変わらぬ笑顔でファンたちと向き合った。

 yasuが音楽を続ける限り、彼がライヴに向き合うこの姿勢に嘘はないだろう。

 この10年間、yasuにインタビューし続けてきた。

 “1万人であろうが1人であろうが、全力で同じステージを演る”

 “一番の特効は、お客さんの近くにいくこと”

 この言葉は、10年前も今もyasuから変わらず発せられている。

 そう考えれば、yasuのライブの原点は、やはりライブハウスにあるのではないだろうか。

 それを証拠にyasuは、始まりのシークレットツアーや購入者イベントライヴ、さらには『2015 livehouse tour Sーエスー』と題した、“2015 tour L−エル−”アリーナツアーと平行して全国5ヶ所5公演で行われたファンクラブ限定ツアーでも初心を忘れない証明として自ら“ライヴハウス”という場所を選んでライヴをした。

 yasuは、ホールやアリーナという会場をソールドアウトさせる集客を持ちながらも、あえてこのライヴハウス公演を行なってきたのである。

 距離を感じさせないライヴを心がけているyasuは、ホールやアリーナでも、ライヴハウスと変わらぬ熱量でライヴを行っているのだが、インディーズの頃、お客さんを獲るために我武者らだった“あの時のあの場所での想い”を、yasuは忘れることはないのだろうと思う。

 ワンマンライヴに限らず、如何なる場所でもyasuのライヴにかける想いは変わらない。

 2011年から参加している「a-nation」のステージでも、無心でライヴに向き合うyasuの姿があった。

 そんなyasuの姿は、回数を重ねるごとに注目を集めることとなっていき、初登場時は完全な“アウェー戦”であった所から、2016年には“ホーム”と呼べるほどの場所に変えていったのである。

 今回の映像作品の中に収められている「a-nation Live History 2011-2016」にも、そんなライヴハウスでの原点を忘れていないyasuの姿を見ることができる。

 もちろん。“アウェー戦”を“ホーム”にしたのは、yasuだけの力ではない。yasuの作る楽曲を愛し、yasuを支えてきた【TEAM ABC】の力は偉大である。「a-nation」の客席を映した映像からは、出演回数を重ねるごとに、yasuを支えようと集まるTEAM ABCの姿とABCとの絆を深く感じることもできる。

「おい!TEAM ABC!俺たちの凄さ、見せて帰ろうぜ!」

 TEAM ABCと想いを重ね、真摯にライヴに向き合うyasuの姿を見ていると、この先、彼がどんなに広い場所でライヴをしようとも、ファンたちとの心の距離は決して遠ざかることはないと確信するのだ。

 10年という月日の中で成長したのはyasuだけではない。

 例えば。2007年の11月にリリースされたシングル「愛してない」をきっかけにAcid Black Cherryを知ったのが14歳だったとするならば、きっとその当時は“愛してない”という言葉の本当の意味を深く知ることもなかっただろう。しかし、そこから約2年後。2009年の7月にリリースされたシングル「優しい嘘」を聴き、16歳になった少年と少女は、この曲の歌詞の中にある“愛してた”と“愛してる”の過去形と現在形と、“大嫌い”に心をざわつかせ、yasuが歌詞として残したその言葉たちの中に“人を愛することの意味”を見つけようとしたに違いない。

 そして。「愛してない」から10年経った今、24歳になった彼らと彼女たちを取り巻く環境が大きく変化したことで、きっと“人を愛することの本当の意味”を知ることとなり、10年前に、なんとなく惹かれたyasuの唄う“愛してない”の言葉の意味を深く悟っていることだろう。

 10年という時間の経過の中で、親を慕う子供だった自分が、子供に慕われる親という立場に変化した人もいるだろう。

 そう思うと10年というのはとても長く貴重な時間である。

 “何枚売れたかじゃなく、何回聴いてもらえたかが大事”

 とyasuは言う。

 唄とは、聴く人の人生の中に刻まれ、共に歩んでいくものだと私は思う。

 多くの人たちが、yasuの生み出すAcid Black Cherryのサウンドと唄と共に、自分だけの一度きりの人生を大切に生きていってほしい。

 この先も、Acid Black Cherryが素敵な人生のBGMになってくれることを願って――――。

(文=武市尚子)