福島県いわき市にある「ポレポレいわき」

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 「地元に対する愛着なのかもしれないです。やっぱり好きですから。将来『ここにあってよかったね』と言えるものをひとつ作りたかったんです」。福島県いわき市で映画館・ポレポレいわきを営む福田まり子さんは、自らを支えるものについてそう話す。東日本大震災から6年が経ったいわき市で、被災者の気持ちに寄り添い続けてきた映画館を取材した。(編集部・海江田宗)

いわき駅前に佇む“古き良きシネコン”

 JR常磐線が通るいわき駅の目の前に位置する「ポレポレいわき」は、7つのスクリーンを持つシネマコンプレックスだ。シネコンでありながら名画座のような雰囲気が漂い、全体の座席数が700席弱だったり、座席数30席のスクリーンがあったりと少々かわった作りをしている。

 それもそのはず「ポレポレいわき」がある地下1階地上5階のビルは元々、映画館のほかに美容室、ライブハウス、パブなどが入っていた雑居ビル。テナントが出て空いた場所を改装して設備をいれ、映画を観る場所につくりかえてきた(3階は現在も居酒屋が営業中)。同館の取締役を務める福田さんも「定義的にはシネコンですが、キャパシティー的には場末の映画館です」と謙遜する。

 映画館を経営する福田さんの会社も元々はビルの管理会社で、別の映画館がビルを出て行くことになった際に「いわきの映画の灯を消したくない」と営業を引き継いだ。改修作業を行って引き継ぎを済ませ、「ポレポレいわき」として営業を開始したのは2010年の7月。東日本大震災の8か月前だった。

震災3週間後の営業再開と「葛藤」

 「ここはほとんどもう震災の爪痕は残っていなくって。強いて言えば前の道路の色がかわっている部分は、震災の時に全部陥没したんです」と福田さんは話し始める。震災直後は神奈川県に避難して映画館を休業したが、それでも3週間後には営業を再開した。その理由を福田さんは「駅前に(定点撮影の)テレビカメラがあってメインの通りと駅前が映っていたのですが、誰もそこにいなかった。それで映画館が再開すれば少しは人が戻るんじゃないかという商工会議所さんからのご依頼があったんです」と語る。

 ガラスが割れてしまったので入口のシャッターは閉じたまま。一見すると休業しているような状態に、「営業中」と書いた紙を大きく張り出して再オープンした。20人くらいのお客さんが来てくれたという。地震で倒れて壊れた映写機を直しながら1スクリーンずつ映画を上映していった。当時のことを福田さんは「電話に出たら『あっ、やってたんですか』という方もいれば、当たり前のように『明日の〇〇は何時からですか?』っていう方もいたんですよ」と笑顔で回顧する。

 再開からしばらくは自分の中に葛藤があったという福田さん。館内ではしゃぎ過ぎてしまう子どもたちをどこまで叱っていいのかわからなかった。息子を神奈川に避難させていた福田さんには、「自分の子どもを避難させながら、いわきに残って映画館に来てくれる子どもたちからお金をもらっているというジレンマがあった」そうだ。「避難した方と残った方のヒズミみたいなものは私だけでなくいろんな人にあったと思う」と述懐する福田さんは今も心にそのヒズミを抱えていて、「そういう部分をいまだに感じている人たちが(被災地には)多くいます。でもそういったギクシャクもどこかで捨てていかないといけないと思います」と思いを明かす。

映画を必要とする人たちがいた

 原子力発電所の危機的な状況や余震がおさまらない中での営業は、どれだけ大変だったのだろうか。そこにいた人にしかわからない恐怖や苦労があったはずだが、「つらいと思っている余裕がありませんでした。だってどうにかしないといけなかったから」と福田さん。「おかげさまで次々といろんな人たちがイベントに来てくださって。あっと言う間でした」と振り返る。

 「震災のような事態になると映画館は公民館にならないといけないというのがすごくあって。最初はたしかに物資がなくて大変な時期もあったんですが、それがそろうと今度は気持ちの問題になってくるんです。だからそういう意味でお手伝いができればと思いました」と映画館が被災地で果たした役割について説明する。

 そんな福田さんが映画館に人々が戻ったと思ったのは震災から約2か月後のゴールデンウィークだった。震災以降で初めて1日の観客数が1,000人を超え、「あっやれるかもしれない」と手応えを感じたそうだ。「みんな気持ち的に、現状からの逃避が必要だったのではないでしょうか」と当時の人々の心の中を推察した。

これからの映画館のあり方

 原発の問題で人々が不安を感じていた際に、「ポレポレいわき」では原発に関するシンポジウムを開催したという。原発に関連する映画を2週間上映し、上映後には原発推進派や反対派といった人たちを招いて討論を行ってもらうなど情報を得られる場所を用意した。シンポジウムに参加した人たちが自主的に始めた原発に関する勉強会にも、館内のカフェブースを提供した。

 その場所を、震災後にいわき市に移住して起業したものの、周りに知り合いがいない人たちのために貸し出したこともあった。ネイルサロンやマッサージ店、ボディーアートのお店などを営む人たちが、映画館のカフェスペースでお客さんを迎えた。「映画館は人が来なくても電気はつけていないといけないですから」と福田さんは話すが、被災者のために何かをしようという思いがそこにはあったはずだ。

 また、映画館を訪れる人の中には「『父親も漁師で15歳の時から船に乗っているから他のことが何もできない。これから先どうしたらいいのかわからないけど映画を観にきました』という人もいます」と福田さん。「このスペースを被災者のためのサロンにしようとしています」と明かし、「みんな被災者だから。お互いに。その中で支えあっていかないといけないんです」と続ける。「少しですが、映画館は町のにぎわいを創出することを担えると思います。映画館はやれることがいっぱいあるんです。だから楽しいです」と前を見据えていた。

人生を変えた震災。でも「忘れないと」

 福田さんはインタビュー中、「人生にとって大変な出来事」「物の考え方が変わった瞬間」といった言葉で震災について触れていた。生活の中でフラッシュバックすることは今でもあり、常にあの時の怖さは残っているそうだ。その記憶は「だんだん、自然とメインの気持ちの後ろ側にいっています」と言いつつ、「(心のどこかに)一生あり続けると思います」と説明する。

 それでも「そこを引きずっていたら生きていけないんです」という福田さんは「被災者じゃない方には覚えていてほしいですが、私たちは忘れなきゃいけないんです」と続ける。「自分自身のことだから。忘れないといけない」と話すその姿は、震災と正面から向き合いながらも、それを忘れようとしているようだった。

 福田さんは映画館を訪れている人たちについて「ここにいる人たちも、忘れようという気持ちを共有していると思います。(地震の記憶を)消し去れるかといったら、そうではないですが、みんな映画を楽しんでいて地震のことを忘れている時間は長くなってきているのではないでしょうか」と語っていた。「ポレポレいわき」を訪れて福田さんの話を聞いたのは3月11日。震災から6年が経過した映画館には、映画を楽しみながら前に進む多くの人々の姿があった。