みやけ・けいすけ=1949年2月5日生まれ、東京都出身

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80年代に一世を風靡した「オレたちひょうきん族」(’81〜’89年)をはじめ、「あっぱれさんま大先生」(’88〜’03年)、「ごきげんよう」(’91〜’16年)、さらには「FNS27時間テレビ」誕生のきっかけとなった「FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島」(’87年)、20年以上を経て現在も放送中の長寿番組「はやく起きた朝は…」などなど、フジテレビを代表する人気番組を数多く手掛けてきた三宅恵介氏。常に“テレビの笑い”にこだわり続ける彼に、師匠と慕う萩本欽一から学んだことや、今のテレビに対する思いなど、独自のテレビ哲学を語ってもらった。

「FNS27時間テレビ」(フジ系)の名物企画「ビートたけし中継」も三宅氏の担当。「ことしも火薬田ドンの登場にご期待ください(笑)」

■ ドリフとは正反対の番組作りに徹しました

──まずはやはり「オレたちひょうきん族」のお話を伺いたいのですが、この番組はどのような経緯で始まったのでしょうか。

「まず『THE MANZAI』(’80年)という番組が大人気になって、そこからスターになったツービート、B&B、(島田)紳助・(松本)竜介といった芸人さんを、毎日日替わりでMCに迎えて、お昼の番組をやろうということで、『笑ってる場合ですよ!』(’80〜’82年)が始まったんですね。で、当時はプロ野球の全盛期で、うちの局も土曜の夜にナイター中継をやっていたんですが、そのナイターの試合が雨で中止になったときの、いわゆる“雨傘番組”を、僕ら『笑ってる場合ですよ!』のスタッフが作ることになって。そして出来上がったのが『オレたちひょうきん族』なんですよ。その後、晴れて毎週土曜の夜8時に放送されることになったわけです」

――最初から、番組のスタイルは変わらず?

「ええ。というのも、『笑ってる場合ですよ!』が生放送の公開番組だったので、プロデューサーの横澤(彪)さんが、『今度は“作り物”の番組をやろう』と。そこが出発点ですから。おまけに当時、土曜の夜にはザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』(’69〜’85年TBS系)が栄華を極めてて、そんなオバケ番組の裏で何をやったって勝てっこないんだから、自分たちの好きなことをやろう、と(笑)。とはいっても、ただ好きなことをやっただけじゃ、番組の存在価値は生まれない。そこで考えたのが、ドリフとは正反対の番組作りに徹しよう、ということだったんです。“人と同じことをやるな”というのは、僕の師匠の萩本欽一さんから教わったことでもあるので、その教えを守って…と僕が勝手に思ってるだけですけど(笑)」

――“「全員集合」と正反対の番組作り”というのは、具体的には?

「例えば、『向こうが公開生放送だったら、こっちはスタジオ収録だ』とか、『向こうは小学生とオジサンにウケてるから、こっちは中高生とOLをターゲットにしよう』とか。あと、ドリフはいかりや長介さんを中心にチームプレーでコントを作っているので、ウチは個人プレーで行こう、というのも意識してました。漫才コンビも、あえてバラして一人ずつキャラクターを立てたんです。そこから、(ビート)たけしさんのタケちゃんマンとか、(明石家)さんまさんのアミダばばあ、島崎(俊郎)くんのアダモステ、そういった名物キャラも生まれてきて。すると、だんだん『全員集合』よりも人気が出てきちゃったんですよ(笑)。だから、『ひょうきん族』という番組は、『全員集合』があったからこそ存在価値を打ち出すことができたんです。でも、それは見方を変えれば、たまたまの流れで人気番組になれただけ、とも言える(笑)。僕は、その“流れ”こそが、バラエティーを作る上で最も大事なことだと思ってるんですけどね」

■ “面白いことが生まれる環境を作る”のがディレクターの仕事

──“流れ”といえば、「ひょうきん族」では、番組内で起きたハプニングが、翌週にはコーナー化されている、なんてこともよくありましたよね(笑)。そんなライブ感も大きな魅力でした。

「やっぱりバラエティー番組というのは、その時その時の“流れ”で作っていくものなんですよ。もちろん基本的には台本通りにやっていくんだけど、その中で突発的に何か面白いことが起こったときに、そのまま脱線してそっちの流れに乗っかるのか、流れを台本に戻すのか、ディレクターはいつも悩まされてる(笑)。でも、笑いを作っている人たちは絶対に面白い方に向かうんですよ。そして、そこで偶然に生まれた笑いを、さらに次につなげていこうということで、番組がどんどん面白くなっていく。だから、僕はやっぱり、番組を作るときの“流れ”は大事にしたいんです」

──ただ、そういった“流れ”を意図的に作り出すことは至難の業なのでは…?

「その意味では、ディレクターの仕事というのは、“面白いものを作る”ことではなく、“面白いことが生まれる環境を作る”ことなんだと思います。これもさんまさんの口グセですけど、『番組は戦場だ』ってよく言うじゃないですか。僕もまさにそう思うんですよ。優れた作家と、自分で台本を書けるくらいの力を持った演者がいて、その面白さをいかに引き出すかを、僕らが考える。いわゆる“面白い番組”というのは、そういう切磋琢磨から生まれるものだと思うから」

──とはいえ、「ひょうきん族」では、三宅さんも「ひょうきんディレクターズ」という“演者”として出演もされていましたが…。

「三宅“デタガリ”恵介っていう名前でね(笑)。ただあれはね、たまたま収録が深夜まで掛かったりしたときに、スタッフが脇役をやっちゃったほうが、お金も掛からないし、収録の雰囲気も心得ているからということで出始めただけなんですよ。あと理屈を言えば、当時はテレビのディレクターってモテるとか花形職業だとか言われてたから、そんなヤツらが芸人さんと一緒になってバカをやるっていう落差も面白いのかなって。まぁ実際は、バラエティーのディレクターなんて全くモテなかったんですけどね。ドラマのディレクターはけっこうモテてたみたいだけど(笑)。まぁともかく、決して“デタガリ”だったわけじゃなく、あくまでも戦略だった、ということです」

■ テレビマンにとってはおいしい時代。絶好のチャンスだと思う

――(笑)。ところで、先ほど萩本欽一さんのことを“師匠”とおっしゃっていましたが、三宅さんにとって萩本さんの存在は大きいんでしょうか。

「それはやっぱり大きいですよ。僕は、入社して間もなく『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(’75〜’80年)にチーフADとして参加させてもらって。そこで萩本さんから番組作りのノウハウを全部教わりましたから。萩本さんって、ロケ中に時間が空いたときなんかに僕らスタッフを集めて、よくトランプ大会をやってたんですけど、そんなときでも、あの人は“どうやったら面白くなるか”ということをずっと考えてる。『欽ドン!』という番組は公開収録だったんですけど、ある日、ゲストの和田アキ子さんが本番中にせりふを全部忘れちゃって、それがお客さんにバカウケしたんですね。それまでテレビの現場では、そういうNGシーンは編集でカットするのが常識だったんだけど、萩本さんはお客さんがウケてるんだからと言って、NGの部分もどんどん使っていった。その頃、萩本さんがよく言ってたのは、台本通りにやると80点だけど、想定外のことが起こると120点になるんだ、と。それを今テレビの最前線で実践しているのが、さんまさんだと思うんだけど(笑)。さっきの“流れ”の話の繰り返しになりますけど、やっぱり、そういった“予定不調和の笑い”、言わば“ドキュメントの笑い”というのは、普遍的だし、テレビの最大の武器だと思いますね」

――その意味では、「はやく起きた朝は…」で松居直美さん、磯野貴理子さん、森尾由美さんが繰り広げているトークにも、ドキュメント的な面白さが感じられます。

「おかげさまで、あの番組も20年以上続いてるんですけど、3人ともこの20年でいろいろあったからなぁ(笑)。だから3人のトークには、それぞれの実人生がそのまま反映されてると思うんです。視聴者の方からの悩み相談に対する答えも、そのときの状況で発言も変わってくるだろうし、だからこそ番組も、20年以上飽きられずに続いてるんじゃないかな。まさにドキュメントですよね(笑)」

──最後に、巷では昨今「テレビメディアは衰退の一途をたどっている」などといった言説もありますが、三宅さんはどのように考えていらっしゃいますか。

「確かにリアルタイムで番組を見る人は減ってるかもしれないけど、地上波以外にもBS、CS、ネット配信とコンテンツは増えている。テレビの作り手にとってはおいしい時代だと思うんですよ。絶好のチャンスだと思う。要は、テレビが持つ影響力を僕ら作り手がもっと信じることが大切なんじゃないかな。ただ、若い人間が自由にやれる場が少ないっていう問題はあるんだよね。だからこそ僕は今、若いスタッフと組んで、一緒に番組を作ってみたいんです。まぁ、教えられることは何もないんだけど(笑)」