『笑いのカイブツ』ツチヤ タカユキ 文藝春秋

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 又吉直樹さんが執筆した『火花』(文藝春秋刊)の芥川賞受賞を皮切りに、小学館が「よしもと新書」という芸人専門の新たな新書レーベルを立ち上げたり、文藝春秋が数多の芸人を執筆陣に揃えた『文藝芸人』を発売したり、書き手としての芸人にかつてないほど注目が集まっている。そんな中、吉本の劇場で作家を務めた経験があり、一部のラジオリスナーの間で"伝説のハガキ職人"として知られるツチヤタカユキさんが、自身の壮絶なまでの笑いとの闘いを記した『笑いのカイブツ』(文藝春秋刊)を上梓した。

 現在、29歳のツチヤさんがお笑いにのめり込むキッカケになったのは、当時絶大な人気を誇っていたNHKの「着信御礼!ケータイ大喜利」。放送のたびに30万通を越える投稿があったという同番組は、採用されたネタの評価によって投稿者をランク付けするシステムを取っており、最高評価を得続けた者には"レジェンド"の称号が与えられる。1度の放送で採用されるネタは30個ほどであったため、レジェンドになることがいかに狭き門であったかは想像に難くない。

 「お笑い以外に、やりたいことなんか何もなかった」(本書より)というツチヤさんは、高校1年生のときにレジェンドになることを決意。それからは番組で紹介されたネタを全てノートに書き起こし、ボケのパターンを13に分類。自らをシド・ヴィシャスに重ね、21歳で死ぬと思い込み、生き急ぐようにボケを量産し、その数は多いときには日に2000個にまで達したそうだ。朝目が覚めると、一刻も早くボケを考えられる脳の状態にするため、「壁に自分の頭をガンガンと打ちつけた」(本書より)。念願のレジェンドになったのは、奇しくもシド・ヴィシャスが死んだ21歳のときだったという。

 もともとお笑いの才能など皆無だったと自認するツチヤさんは、この経験をもとに吉本の劇場作家になり、深夜ラジオや雑誌のハガキ職人を経て、ラジオ業界にも見習い作家として入り込んだ。しかし、どちらもほどなくして離脱。その理由は、以下の言葉に集約されている。

「僕から見えたその世界は、端的に言えば、『おもしろいが一番じゃない世界』だった」(本書より)

 笑いの実力だけを信じ、人間関係を構築することに意味を見いだせなかったツチヤさんは、こうして、カート・コバーンが死んだ27歳のとき、お笑いの世界から足を洗うことを決意する。

 本作は、「お笑いは同情されるようなったら終わりやねん」(本書より)と語るツチヤさんが、自らの苦悩を赤裸々に綴った笑いの教科書であり、"遺書"だ。一見、華やかに見えるお笑いの世界の片隅で、狂ったようにもがいた1人の男の記録。お笑いファンの方は言わずもがな、何かをひたすらに追い求めている人に是非読んで頂きたい傑作だ。