「努力は報われる」は幻想? 経済学者が考える「運」の大切さ

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「努力と運。成功するために、どちらの方が必要か?」

こう問われたときに、あなたはどう答えるだろうか。
努力の積み重ねが大切だということは、子どもの頃からさんざん言われてきたことだし、大きな実績をあげた人が執筆したビジネス書を読んでも、やはり努力の重要性が書かれている。

しかし、H.J.ルイス講座の経営学教授であり、コーネル大学の経済学者でもあるロバート・H・フランク氏の『成功する人は偶然を味方にする』(月沢李歌子訳、日本経済新聞出版社刊)に書かれていることに目を通すと、努力や才能よりも運に着目すべきだということがわかる。

■ビジネス書に書かれている「努力話」は話半分に聞く



なんらかの大きな実績を残した人の発言は説得力がある。
成功は努力と才能によってもたらされるものだと思っているし、成功している経営者が執筆したビジネス書を読んでも、努力の積み重ねが大切だと説かれていることが多い。

では、成功者と同じ努力をすれば自分もまったく同じ成功ができるのか?

もちろん、それに近づくことはできるが、同じようになることはできないだろう。
「運」が必要だからだ。

生まれつき持っている資質も違えば、育ってきた環境も違う。成功を手に入れられるか否かを左右するのが「運」である。

経済学者のアラン・クルーガー氏は、アメリカにおける親の所得と子どもの所得の相関関係は0.5を示し、これは親と子どもの身長の相関と同程度であると指摘した。

つまり、稼げる人になりたいのであれば、親を選ぶことが近道になるということが。
しかし自分の親を選ぶことはできない。
これは「運」としかいいようがないものだ。

才能と努力だけで経済的成功が保証されるとしても(実際はされないのだが)、運が不可欠であることに変わりない。才能豊かで、まじめに働く意欲が高いこと自体が、そもそも大きな幸運によるものなのだから。
わたしは運・不運が個人の資質の違いにつながると訴えたいわけではない。近年の研究で明らかになった、偶然のできごとや環境的要因が――個人の資質や欠点とはまったく無関係のものが――人生を左右するという事実をみんなにも知ってほしいのだ。
(『成功する人は偶然を味方にする』P32より引用)

環境的要因といえば、不動産王として知られるドナルド・トランプ米大統領は一代でその名を成したわけではない。

彼の父親であるフレッドも実業家であり、ニューヨークの不動産開発で財を築いていた。トランプが実業家としてあれほどの辣腕をふるえるのは、その下地の要因が大きいはずだ。

■「運」を創り出す環境を作るにはどうすればいい?



しかし、「運」はそう簡単にコントロールできるものなのだろうか?

フランク氏は「運」を享受できる環境を創り出すことは可能だと述べている。
一つは個人の行動や生き方、姿勢によるもの。そしてもう一つのアプローチは、経済学者ならではの視点といえる、政策的な側面――公共投資である。

例えば前者においては、イタロ・カルヴィーノの小説『パロマー』を引き合いに出し、他者からの称賛や好意が、成功の可能性を高めると指摘している。

まわりから称賛されたり好意を寄せられたりする人は、ただ幸せを感じられるだけはない。成功する可能性も高くなるのだ。理由のひとつは、経済的に大きな成功のほとんどがチームの取り組みによるものだからである。
(中略)
才能や一生懸命に働こうとする意志はチームの一員としてプラスの資質であり、すぐれたメンバーには必ず備わっている。だが、それだけでは足りない。チームの成功には、仲間への信頼――たとえ人に見られていなくても、個人よりチームの利益を優先するだろうという信用――が必要である。
(『成功する人は偶然を味方にする』P183より引用)

結果を出し、成功できるチームにいることが、自分の成功につながる。いくら才能が豊かでも、チームそのものがイケてなければ成功はできない。

ただ、成功できるチームに入るのは容易ではない。あなたが周囲から魅力的な人間だと思われていないとスカウトすらされないだろう。

では、他者からの評価を上げるにはどうすればいいのか?

フランク氏は「はっきり言うのは難しい」とした上で、「自分の成果に対して過大な名誉を求める人は魅力的ではないのでは」と指摘する。

自分の成果は実力によるものだけではなく、すこし幸運だったことにあると認め、感謝する。これは日本語の「謙虚さ」に通じるものがある。

もう一つ、後者の政策的な側面については。公共投資」が人々に成功のチャンスを与えるという考えの元に自論を展開している。たしかに生まれ育った環境そのものが成功を左右するのであれば、元の水準を上げることは成功者を多くする大きな近道である。

成功は社会のあり方にも大きく作用されるということだ。

ともあれ私たちは、幸運なのかもしれない。
本書の冒頭にオルダス・ハクスリーの「5番目の哲学者の詩」という詩が引用されている。

何十億という精子はすべて生きている。
その大洪水のなか、ひとり粗末なノアだけが、生き残った。

こう考えれば、私たちが生まれたのも幸運だったということだ。その幸運を人生で感じるために、何ができるのか考える義務があるのではないだろうか。

(新刊JP編集部/金井元貴)

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