「圧倒的な天才を描きたかった」。マンガ大賞2017の授賞式で『響〜小説家になる方法〜』を描いた柳本光晴(やなもと・みつはる)はそう言った。受賞作に描かれているのは、まさしく「圧倒的な天才」。誰もが憧れ、嫉妬すら諦めるほどの才能だ。


ストーリーは文芸誌『木蓮』編集部に応募規約を無視した手書きの小説が送りつけられるところから始まる。書かれているのは、『お伽の庭』というタイトルと本文、そして「鮎喰響」という本名かペンネームかもわからない名前だけ。住所、年齢、職業、性別、電話番号もない。だが、それは後に世の中を震撼させる圧倒的な傑作だった――。

『お伽の庭』を書いた「鮎喰響」は、15歳の女子高生。文芸誌への投稿は、まだ確信しきれない自らの才能を確認するためのものだった。そして天才は、世の大人たちを驚愕、震撼させていく。天賦の才に恵まれた者だけが開けられる扉を、枠ごとなぎ倒すかのような勢いで次々に開けていくことになる。

ちなみにマンガ大賞2017の自分の投票コメントを見直したところ「世の常識をひっくり返すほどの圧倒的な才能と、無軌道な振る舞いには憧れすら覚える」と書かれていた。そう、「鮎喰響」という強烈なキャラクターは天才的文才とともに、何者にも束縛されない"無軌道"な性格も持ち合わせている。

"天才"につきまとうもの


そういえば、現代の数学者である藤原正彦は著書『天才の栄光と挫折』で「天才の峰が高ければ高いほど、谷底も深い」と記している。

古今東西、天才の奇行にまつわる逸話は数限りない。"発明王"トーマス・エジソンは、物が燃える理由を知るため、藁を燃やして自宅の納屋を全焼させた。稀代の天才ピアニスト、グレン・グールドは、動物園の象にむかってマーラーを歌い、ふたつのラジオで同時に違う番組を聴くのを好んだという。ゴッホは画家仲間のゴーギャンから「自画像の耳の形がおかしい」と指摘され、自分の耳を切り落とした――。

話の真偽はともかく、天賦の才は人格に狂気じみた「偏り」を漂わせる。そして往々にして、本人に狂気を宿している自覚はない。自らの探究心や欲求に忠実に振る舞っては、「おかしい」と思われてしまう。他方でその"狂気"は奔放さの象徴でもあり、あこがれの対象にもなりうる。

鮎喰響は、情も思考も深い。「だが」なのか「それでいて」かはともかく、他者の浅薄な思慮や我欲は受け入れない。そのキレ味のいい筋の通し方、通り方は、爽快を通り越して痛快ですらある。才能と一体になった「正義」や「直観」は、常人の思考や勇気では届かない高みにあり、周囲の気苦労をよそに、響は清廉な頑なさで周囲を振り回す。

もしも現実世界でその頑なさが自分に向けられたら、自分はその痛みに耐えられるだろうか――。そう思えてしまうほどの圧倒的な才能は、どんなものとして描かれているのか(※以下、多少のネタバレを含む)。

天才は無邪気である。


この天才は、42歳の芥川賞受賞作家のコンプレックスを笑顔でえぐる。腫れ物に触るように接し続けられた大人は、いったんは気遣いなしに傷をえぐられた(≒理解された)ことに対して喜び、安堵する。しかし天才はニッコリ微笑んで無邪気に新たな傷をつけ、その傷をえぐる。空気を読むことなど期待してはならない。

天才は手段を選ばない


自分に害をなそうとする相手には徹底して恐怖を植えつける。そっと後ろに立ち、突然自らの存在を誇示し、相手の領域に乗り込んで脅迫すらいとわない。徹底的に屈服させ、手出しをする気がなくなるほど、物理的にも精神的にも叩きのめす。相手に「まともじゃない」と思わせるまでが天才の仕事である。

天才は正しい


大物作家が響の友人に罵詈雑言を浴びせる光景を見て、「暴力行為は今後絶対にやらないで」と担当編集者に叱られた直後にも関わらず、大物作家の顔面(しかも鼻)に渾身の回し蹴りを入れる。理由は「友人がいじめられてたから」。シンプルな思考と行動原理に正しさとやさしさがにじむ。

天才には男気がある


小説家を蹴り飛ばした日の深夜、相手の行きつけのバーを探し当てて単身乗り込む。目的は蹴った理由を「(友人とは)あまり関係ない」「文句があるなら私にどうぞ」と告げるため。自分の行動の責任が自分にあることを強調するいっぽう、世の中が自らと同じ理屈で動いていないことは知っている。

天才はかわいい


自らに対する愛情を実感したとき、好きな動物と戯れたとき、好きな作家を目の前にしたとき、響は相好を崩す。デレるのだ。普段は鋭利な刃物のごとく鋭く、大木のように揺るがず、ゲリラのごとく手段を選ばず、裁判官のように正しい。そんな響がデレるシーンがコミックス1巻につき、1度くらいのペースで登場する。張り詰めたようなシーンの後に用意された強力な弛緩ギャップ。惹かれるな、というほうが無理な話だ。

主人公のキャラクターに見え隠れする作者の天才性


柳本光晴本人からも似たような「デレ」感は伺える。先日の【速報】決定!マンガ大賞2017は『響〜小説家になる方法〜』でも書いたように、マンガ大賞にノミネートされて以来、作者のブログは連日の妄想マンガ大賞祭り状態。

それがある日を境にピタリと更新が止まった。どうやら内々に受賞の連絡を受けた前後のことらしい。ノミネート以降のブログエントリーを見た、担当編集者が「授賞式まではブログを更新しないでください」と念を押していたという。

授賞式の深夜(というか未明)、久しぶりにブログは更新された。「マンガ大賞2017受賞」。タイトルはそっけない。だがその内容は喜びにあふれていた。

授賞式でもそうだった。事前のブログでのシミュレーションでは型通りのあいさつが想定されていた。だが、実際には「とにかくうれしい」「ようやく本当だったんだなあって」「過去の受賞作は全部読んだ作品ばかり。でも誰一人面識はなくて……」など初々しいコメントを連発。

受賞の第一報は、いつもどおり仕事場で『響』を描いていたときに受けたという。担当編集者から「朗報です。マンガ大賞を受賞しました」とい連絡が入った。しかし受け止めきれず、「誰が? えっ。響が?」「ドッキリでしょう?」「モニタリングされてるんですか!」などと何度も何度も食い下がったという。編集者がうんざりするほどの押し問答の末、ようやく納得し、仕事場でアシスタントと歓喜のハイタッチ。

「そこでうちのアシスタントの子から名言が出たんです。『先生! マンガは絵じゃないってことが証明されましたね!』って(笑)」

同人誌時代の作品が『ビッグガンガン』(スクウェア・エニックス)の担当者の目にとまり、読み切りで商業誌デビューすることになった。好評を受けて連載の話が持ちかけられたが、「本格的な連載の前に、1巻で終わる短期集中連載をやりたい」と本人は希望する。だが、その要望は受け入れられず、『月刊アクション』(双葉社)へと移籍。2013年から2014年にかけて『女の子が死ぬ話』を短期集中連載。その後、2014年『響〜小説家になる方法〜』をスタートさせ、同作でマンガ大賞2017を受賞した。

こうして整理すると柳本光晴というマンガ家のキャリア自体、あたかもマンガのように順調に見える。そして無軌道ではないものの、授賞式での天真爛漫なコメントに、ついその天才性をひもづけたくなってしまう。だが光の当たらぬキャリアもあったろう。

果たして、天才は鮎喰響か柳本光晴か。そして彼らはどんな名作をつむいでくれるのか。まずは作中のほうの天才キャラクター、響(ひびき)に目を凝らしたい。