「○○さん、素敵だったなあ。しかも、話してて楽しかった。もし付き合ったら……なんてね」――前の晩、例の○○さんと食事に行ったのを思い出しては、ひとりでムフフと妄想し始める私。自分の脳内でいくらイメージしようと自由だものね、と開き直り、想像は広がっていく一方。
少し気になっていた人とふたりで食事→満足感を得る→妄想して楽しむ→2回目の誘いを検討……という流れが、自分のなかで定番化しつつあります。客観的に見たときに、それがイタいかどうかは置いておくとして、気づいたことがあります。それは、この流れに至る相手がすべて「仕事に関わるなにか」を通じて出会った人物(以下、仕事関係者)である、ということです。逆に言うと、仕事が関わらない場で出会う相手には、深く心を入れ込めない、ということ。

スタートしてもいないのに、“終わり”を想像しても意味がない

「仕事が関わる相手とは絶対に付き合わないし、好きにならないようにしている」と宣言し、その誓いを固く守ってきた友人がいます。理由を聞くと「別れたときに気まずいから」という、ド定番ともいえる答えが返ってきました。
やっぱりそう、なのね……という返事しかできませんでしたが、なぜ付き合う前から別れを想定しているのか、なぜ破局を前提とした思考をするのかは、けっこう疑問です。純粋に誰かを好きになったとき、「いつか別れるかもしれないけれど」と思い浮かべますか? 入籍を決めたとき、「いつか離婚するかもしれないけれど」と想定しますか? 多分、しない。
始まってもいないときから、悲しい・寂しい未来を想像して、そうなると決めつけるのはもったいない。はなっから可能性の芽をつぶして楽しい? と思うのです。

その人の仕事に、その人の生き様を見ることができる

前出の友人のように、仕事関係者を恋愛相手候補から除外する人は少なくありません。しかし、その人の仕事には、その人の「生き様」があらわれるからこそ、じっくり見つめたほうがいい。その生き様に惚れたなら、パートナー候補にすればいい、というのが私の持論です。
多くの人は仕事を通してお金を稼いでいます。それを「食っていく」と表現することもあります。つまり、仕事とは、働くとは、生きることそのもの。だからこそ生き様――その人の生き方、生きるスタイル――が反映される、というわけです。
私が愛してやまないプロレスで説明させてください。プロレスラーはリングという、彼らがもっとも輝く「試合」をする舞台(仕事場)で、それぞれのプロレスを魅せてくれます。
ひとつひとつの試合からは、彼らがどういう思いやスタンスでプロレスと向き合っているか、自分のプロレスを通して観客になにを伝えたいか、なにを持ち帰ってもらおうとしているか、これからどうしていきたいのか、といった過去〜未来までの生き様があらわれているのです。

生き様に惚れさせてくれる人と、人生をともに歩みたい

相手の仕事っぷりを見たり、仕事観について話したり、過去〜未来の話をしたりすることで、「こんな素晴らしい仕事をするのか」「そんな使命を持って仕事をしているのか」と感動し、心震え、なんてカッコいい生き様なのか……と惚れる。私はそんな調子で人を好きになり続けています。
だからこそ、インターネットを介した出会いのような、仕事とは無縁の出会いだと、相手の条件がどんなによくても(よさそうであっても)感情移入できず、あまり興味を持てなくて、発展していかないのだなと気づきました。「年収1,500万円〜」「身長180cm〜」のような数字的な条件や、奇跡の1枚かもしれないプロフィール写真を見ても、心がうんともすんとも動かないのです。そこに惹かれることができれば、さっさと再婚していたのかもしれませんが。
条件うんぬんよりも、生き様に共感し、人として尊敬し、好きになった人と、人生をともに歩みたい。これまでの人生、生き様で惚れさせてくれる人と、たくさん出会ってきました。だからこそ、本気でそう思うのです。

仕事関係者は恋愛相手候補から除外する、と決めている方へ。仕事を通じて出会う相手はいいものですよ。20代後半以降、付き合ってきたのは全員、なんらかの形で仕事が絡む相手で、その中のひとりと結婚・離婚したけれど、懲りていません。次もきっと仕事関係者の生き様にベタ惚れし、恋に落ちるのだろうなと予想しています。