誰もが必ず経験する、家族や友人の死。

近しい存在であれば、故人の家や部屋の整理をすることになります。

海外掲示板に「故人の家で何か見つけてはいけないものを見つけた経験はありますか。どんな気持ちになりましたか」と質問されていました。

回答を抜粋してご紹介します。

 

People who had to clean out rooms of someone who had died.

●ちょっと、しめっぽい話になるけど……。
父親は寡黙な人だった。私のためなら迷わずに命を投げ出すタイプだったけれど、決して言葉には出さない人だった。
ガンで亡くなったあと、父親のオフィスを整理しに行った。それまでオフィスをしっかり見たことがなかった。めったにないけど会社で会うときも受付で会っていた。
オフィスはもう神社のようだった。全ての証明書、写真、新聞の切り抜きなどが壁中に貼ってあった。
オフィスにいた数名が何度も何度も、整頓をしている私たちのところへ来ては敬意を払ってくれた。
「お父さんはあなたたちを本当に誇りに思っていました」
「あなたたちのことは何度も聞かされていましたよ」
「直接お会い出来てよかった」
「父上にとって、あなたたちは特別でしたよ」
正直、最もビタースイートな経験だった。パパ、恋しいよ。

●15歳のときに親友が交通事故で亡くなった。彼の両親には自分も同じくらいかわいがられていた。数週間ほどしてから、彼の母親が部屋の掃除を手伝って欲しいとお願いしてきた。僕らはお互いの洋服ダンスを共有していたので、彼のタンスには僕の服が半分、僕のタンスには彼の服が半分入っている感じだった。
部屋に行ったとき、彼の母親は「10分あげるから、私に見てほしくないものを取り除いてちょうだい」と言った。そうしてダッフルバッグを渡された。
部屋に入ってドアを閉め、靴下の引き出しから自分が隠していたダイム(コイン)袋を取り出した。それからマットレスを持ち上げて、2冊のペントハウス雑誌とうちの兄貴がくれたビデオを取り出した。
そうしてバッグのファスナーを閉めてドアを開けた。それから2人で彼のものを順番に整理し始めた。自分が置いていた服を取ったり、頻繁に着ていた彼の服を母親が僕にくれたりした。数分したら音楽をかけたくなってきたので、オーディオの再生ボタンを押した。するとジャーニーのFaithfullyが流れてきた。
その数秒後に親友の声が流れてきて、彼が中2の頃から好きだった女の子に対する安っぽいメッセージだった。1分くらい聞いてから僕は笑い出した。あんまりにキザで笑いが止まらなかったのだ。僕が笑いだすと、彼の母親も笑いだし、同時に泣いていた。
事故以来、初めて彼女が笑った。後に、そのときが悲しみのターニングポイントだったと語ってくれた。僕にとっての親友は、どこかの女の子に対して間抜けな男だった。あれから31年経つけど、今でも彼のことを毎日考えるよ。

●おばあちゃんがガンで亡くなったのは16歳のとき。おじいちゃんが小さなアパートに引っ越すので、いとこたちと掃除に出かけた。12〜26歳まで9人いた。
家の中には20ほどの包まれたプレゼントやお金の封筒が、それぞれに名前を宛てて残してあった。大きなイベントまで生きていられないと事前に準備したものだった。
21歳になっていない私たちのために21歳の誕生日プレゼント、婚約プレゼント、結婚プレゼントなど。すべてのカードは手書きで。ぐっと感情的になったのを覚えている。本当にすばらしい女性で、家族を深く愛していて孫のお祝いをしたかったのだと思う。

●おばあちゃんが血栓で亡くなった。それ以外にもいろいろ問題を抱えていたけど、それが原因の1つだったことは確か。
おばあちゃんの死後、父、おじ、そして私たち姉妹がアパートの掃除に行った。そこにはたくさんの腐った食べ物などがあった。ケチャップなんかは完全に真っ黒になっていた。また、彼女が元気な時に作ったキルトやハンドメイドの石けんなどもあった。全員の名前が入ったキルトはとてもきれいだった。
ところがある日、自分と父だけで行ったときにベッドの横に彼女の日記を見つけた。最後のほうはとても寂しいことがつづられていた。孫に年に2回しか会えないこと、自分の子供でさえ何か必要なものがあるときしか来ないこと。死にたいことなど。父親はおじが見ないようにそれを捨ててしまった。
だから、うん、みんな祖父母にはハグをしてあげて。

●父親から聞いた話。彼の祖母はゴミ屋敷に住んでいた。亡くなったときに父が掃除に行ったが簡単な作業ではなかった。
まったく家の壁が見えず、床には物が山のように積まれていたと父は語っていた。小さな祖母は埋もれながら物の間を動いていたらしい。何日も掃除をしてようやく祖母の寝室にたどりついた。そこもぎっしりといろいろな物で埋まっていた。20種類のほうきや、ヨーロッパ旅行で買ったいくつかのハープまであった。その中で最もクレイジーなものは手紙だった。
寝室のベッドの横のテーブルで見つけたのだが、ワックスで閉じられ、そこには「私の死後、娘しか開けてはいけない」と書いてあった。父は母親(私から見て祖母)にすぐに電話した。一人娘だった彼女の了解を得て、父が手紙を開けた。すると、手紙と出生証明書が出てきた。
手紙の内容は、自分が子供を持てなかったこと、そのことを夫婦で(時代の関係で)恥じていたこと、いつも子供が欲しかったこと。そして夫婦でヨーロッパへ長い旅に出て、赤ちゃんと一緒に帰ってきたこと。その赤ちゃんが父の母親であり、彼女はいつも他の家族とちょっと違う感じだったことなどがつづられていた。
フランス北部の修道院が経営する孤児院の子だったらしく、ひと目で気に入って養子にすることにしたらしい。その当時は養子は大変なタブーだったので、彼らはヨーロッパで妊娠し、子供を授かったことにした。すでに何歳かだったが、メキシコで自分の新生児として登録したそうだ。
彼女はそれまで自分が本当の子供だと思っていて、45歳のときに手紙によって養女であったことを知り、実際の年齢より年上であることもそのとき知った。そしていつもメキシコ人だと思っていたが、実際はフランス人だった。
父はこれらのことを電話で伝え、出生証明書はフランス語で書かれていることを伝えた。彼女は最終的に探偵を使ってフランスの家族を探したけれど、それはまた別の話。

↑うわ、それはもっと聞きたい。


人に歴史ありと言いますが、亡くなった後でしかわからないストーリーもたくさんあるようです。

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