2016年8月にシャープを買収し一躍時の人となった台湾・鴻海(ホンハイ)精密工業の創業者、郭台銘(テリー・ゴウ)会長。経営危機に陥った東芝の半導体事業への出資も「真剣に検討している」と述べ、その一挙手一投足にさらなる注目が集まっている(3月1日付「日本経済新聞」)。

 鴻海はEMS(電子機器受託製造)の世界最大手である。だが郭氏はめったにメディアに登場することがなく、特に日本では郭氏の“正体”に関する情報がほとんどなかった。

 今や世界で100万人以上の従業員を擁する巨大グループを一代で築き上げ、日本の電子機器業界に「進駐」してきた郭台銘とは一体いかなる人物なのか?

『』(安田峰俊著、プレジデント社)


『野心 郭台銘伝』(プレジデント社)は、ノンフィクション作家の安田峰俊氏が丁寧な取材で鴻海の奇跡的な成長の秘密や郭氏の人物像を描き出した一冊だ。

 著者は郭氏の生地に足を運んで生い立ちをたどったり、鴻海グループに会社を買収されて苦汁をなめた経営者、過酷な労働を強いられている社員などへのインタビューを織り交ぜ、郭氏の経営者としての実力や人となりに迫っている。

 なお、著者の安田氏はかつて鴻海グループの「フォックスコン」に部品を納める会社で働いたことがあり、鴻海の社風を肌で感じた経験の持ち主である。

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「身の丈に合わない」投資で業容を拡大

 郭氏は1950年に台湾で生まれた。1974年に台北で2人の友人とプラスチック成型の町工場を創業。当初はテレビのつまみなどを製造していたが、80年代初頭にパソコンのコネクター製造を手掛けたことをきっかけに、ハイテク部品メーカーに変貌を遂げる。

 パソコン市場の世界的な拡大と軌を一にして、他社ブランドの製品を受託生産するEMSビジネスは急拡大。2000年代に入るとデル、アップル、ノキア、ソニーなどの大手顧客を獲得し、倍々ゲームのように売上高を伸ばしていく。電子部品製造会社のM&Aを繰り返して怒涛の勢いで業容を拡大していく様は、周辺諸国を次々と討滅して一台帝国を築き上げたチンギス・ハンにもなぞらえられる。

 2015年の連結売上高は約16.9兆円。本書によると、日本企業のなかで鴻海の売上高を超えたのはトヨタ(28.4兆円)だけである。鴻海は大方の日本人が思い描く以上の巨大企業であり、時価総額や売上高の数字を見れば「鴻海がシャープを丸ごと買収できる実力の持ち主であることはだれの目にも明らか」だという。

 鴻海が30年にわたってひたすら成長と拡大を続けられたのは、郭氏の強力なリーダーシップ、決断力、実行力のたまものに他ならない。

「(郭氏は)数年の一度の以上のペースで、『身の丈に合わない』ような投資を躊躇なくおこなう。そしていずれの判断も、決定した途端におそるべきスピードで実行に移していく」。それは「石橋を叩いて渡るような日本人の価値観から見れば、危なっかしい経営判断の連続」なのだが、「一連の投資はいずれも郭の強引なリーダーシップのもとで進められた結果、それぞれ目論見がピタリと当たり、鴻海の急成長を導くことになった」と著者は記す。

 シャープは「経営危機に陥った後に内紛が激化し、効果的な打開策を打ち出せず、傷口が広がった」(『シャープ崩壊』、日本経済新聞社編)とされる。リーダー不在のために経営が迷走し、ついに力尽きたシャープとは対照的である。

同一人物とは思えない身内への深い愛情

 本書はそうした鴻海の成長の軌跡を追うと同時に、郭氏の複雑な人間性も浮き彫りにする。

 郭氏の経営スタイルは徹底的に合理的で、“効率化とコストダウン”最優先である。情け容赦なくコストを削り、人を切り、従業員には過重労働を強いる。中国の子会社「フォックスコン」で従業員の自殺者が相次ぎ、“ブラック”な職場環境だとしてメディアから強い批判を浴びたことは記憶に新しい。

 だが、郭氏はそんな冷徹な顔を持つ一方で、自分の出身地や身内に対しては多大な愛情を注ぎ込む。本書で示される強烈な家族愛は、自殺に追い込むほど従業員にハードワークを強いる経営者とは、とても同一人物と思えないほどだ。

シャープ買収の成否は?

 さて、鴻海グループの傘下に入ったシャープは再建できるのか。また鴻海は、シャープをグループのさらなる成長に生かすことができるのか。

 鴻海がシャープを買収し、東芝の半導体事業にも触手を伸ばそうとしているのは、EMS事業があまりにも利益率が低く、グループの将来に暗雲が漂っているからだ。著者は「実のところ、鴻海は2015年現在においてすら、粗利益率だけを見るならば『死に体』であるシャープよりもさらに低いのだ」と指摘する。鴻海は経営上の大きな曲がり角に差し掛かっており、その打開策の1つがシャープの独自技術とブランドを手に入れることだった。

 とはいえ、シャープ買収の成否について本書で紹介している意見は悲観的だ。『覇者・鴻海の経営と戦略』(ミネルヴァ書房)の著者である熊本学園大学商学部の喬晋建教授は、本書の中で著者の取材にこう答えている。

「鴻海にEMS以外のビジネス分野における未来があるかと言えば、いまのところ、私には思い当たりません」

 喬教授は、「日本には安い労働力はないし、日本政府が応援してくれるといったこともあり得ない。鴻海には自社ブランドを持つ企業の運営経験もほとんどない。・・・個人的な見解を言えば、シャープ買収の結果はあまりうまくいくようには思えませんね」と分析している。

 現在の世界の電子機器業界においてシャープに技術的優位性があるのか、という問題もある。鴻海に買収されたことでシャープから中国に技術が流出するのではないかと懸念されているが、著者は「世間で心配されるほどの大きな問題にはなりえない」とみる。その理由としては、「シャープの液晶工場はこの4年間、まともな設備投資をしてこなかったせいで、かなり時代遅れになっている」(ジャーナリストの大西康之氏、「日経ビジネスオンライン」)、「いまや技術の種類によっては、中国や韓国、台湾メーカーに抜かされている」(シャープの現役幹部、「週刊朝日」)といった記述や証言を引用している。

 ただし、今のところシャープでは、鴻海から派遣された戴正呉社長による経営改革が着実に成果を出しているようだ。すでに伝えられているように、原材料購入の契約条件見直し、徹底したコストダウン、商品構成の改善などによって、2016年10〜12月期には液晶部門(ディスプレイデバイス)が四半期として2年ぶりに黒字化した。シャープは2017年3月期の連結経常損益も3年ぶりに黒字に転換する見通しを発表している。無駄なコストを削り意思決定をスピーディーにする“まっとうな経営”が行われれば、業績はきちんと改善するということだろう。

「普遍性のある夢や理想」はないのか

 著者は郭氏の人物像について、「非常に怖い人間ではあるが、『悪人』だとは言い切れない─」と総括している。一方で、「私は経営者としての郭台銘にはまったく好感を持っていない」と打ち明ける。

 苛烈な経営方針や狡猾すぎる交渉術への忌避意識に加え、「自己のビジネスの社会的な意義を示すような普遍性のある夢や理想が、彼の背中からはほとんど感じ取れない」というのが、その理由だ。著者が取材した、郭氏と面識のある台湾人によると、これまでの鴻海の成長は、会社を無限に成長させようという郭氏の野心だけが推進力になってきたという。

 だが、事業を黒字化させる、業容を拡大させるという点に限って言えば、郭氏が傑出した経営者であることは間違いない。

 鴻海はシャープを買収したことで、これまでの「水面下」から浮上し、一躍その全貌が社会の目にさらされることになった。表舞台に姿を現した鴻海に社会貢献の意識や崇高な経営理念が芽生えるのか。もしくは、このまま独裁的かつ威嚇的な経営で拡大路線を突き進むのか。本書を読んで、ますます郭台銘という人物に興味がわいてきた。

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筆者:鶴岡 弘之