毎週水曜日に掲載している徹底解説自衛隊。今回は3回目となる。前々回は終戦後に自衛隊がなぜ創設されたのか、その経緯を詳しく述べた。

 また朝鮮戦争を契機として、我が国の防衛産業が産業として確立、世界トップレベルの実力を手にするところまでを見てきた。

 そして前回は、冷戦期から中国軍の海洋進出が激しくなるまで、航空自衛隊と海上自衛隊が果たしてきた役割を解説した。ソ連と中国の圧力をはねつけてきた実力に迫った。

 今回は自衛隊が国内で果たしてきた重要な役割、災害派遣について徹底的に振り返る。ドクターヘリの登場までは離島や山間地での病人搬送は自衛隊にほぼ頼りっきりだったと言っていい。

 ドクターヘリが各都道府県で導入されても、実は自衛隊の役割は減るどころか増えている。災害大国日本にとって、自衛隊が担っている役割は極めて重い。

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自衛隊の国内災害派遣

 自衛隊の主たる任務は、直接および間接の侵略に対して我が国を防衛することにあるが、災害派遣は治安出動および海上警備行動と共に従たる任務の位置づけである。

 災害派遣は自衛隊法の定めるところに従って行われるが、派遣の目的には様々なものがある。地震災害救助、原子力災害救助、水害救助、山岳或いは海上遭難救助、離島などからの急患空輸、不発弾処理など極めて多岐にわたる。

 自衛隊創設以来今日まで自衛隊が行ってきた国内災害派遣について、その実績を概観する。

災害派遣延べ件数

 昭和29年に発足した自衛隊は、昭和29年において延べ88件の災害派遣要請(九州および近畿地方の台風災害並びに洞爺丸沈没事故など)に対して延べ5万8291人の隊員を派遣して派遣要請に応えた。

 以後、自衛隊の部隊、人員、装備、資機材などの整備・充実ならびに派遣要請権者側の認識の深化などに伴って自衛隊の災害派遣件数は徐々に増えていった。

 自衛隊発足から昭和30年代初頭までは年間100件前後の災害派遣であったが、昭和33年から急激に増え始め昭和45年には年間災害派遣延べ件数が590件に達している。

 その後昭和47年5月の沖縄返還による防衛範囲の拡大に伴って、災害派遣延べ件数は昭和47年度に年間706件に達し、その後増減を繰り返しながら平成8年度にピーク値である898件を記録する。

 続いて平成18年度まで800件代で推移し、そこから減少に転じ平成21年度に559件となり、以後平成27年度まで年間500件代半ばの件数で推移している。自衛隊発足以来今日までの自衛隊による災害派遣件数全体の推移を見てみると、次のように言える。

(1)昭和29年度から沖縄返還前年の昭和46年度まで

 部隊の編成・装備の充実などを図りつつ従たる任務への対応を図っていった時期であり、年間100件前後の災害派遣から年間600件近い件数へと急激に増加して行った時代である。言うならば災害派遣の初期慣熟期である。

(2)昭和47年度の沖縄本土復帰から平成20年度までの37年間

 沖縄の本土復帰による防衛範囲(災害範囲対処範囲)の増大により、災害派遣延べ件数が一気に年間700件代へと増加し800件代そして900件に近いピーク値を記録したり、600件前後の時期があったりなど、災害派遣延べ件数の変動が激しい時期であった。

 しかしながら年間の災害派遣延べ件数は700件代および800件代が大多数を占めており、平均すると1年間あたりおよそ760件の災害派遣に自衛隊が従事していたことになる。

(3)平成21年度から平成27年度まで

 災害派遣延べ件数の内訳をみると急患輸送が最多であって全体の6割〜8割を占める。しかし、平成13年度から始められた地方自治体におけるドクターヘリ導入事業の促進により自衛隊による急患輸送件数が徐々に減少した。

 ことに急患輸送件数の多い長崎県、沖縄県および鹿児島県に、平成18年度、同20年度および同23年度にそれぞれドクターヘリが導入されたことにより、平成21年度以降の自衛隊による急患輸送件数は着実に減少し、災害派遣全体の延べ件数が減少する要因となっている。

 この期間における災害派遣延べ件数のうちの急患輸送延べ件数は、1年あたり概ね400件である。

 災害派遣の延べ件数という点から見ると、全体の6割から8割を急患輸送が占めている。

 自衛隊にとって災害派遣は従たる任務であるが、急患輸送は、国民の生命財産を直接的に守るという意味において、また有事における隊員の救命・救助のための能力向上に資するという両方の意味において、極めて重要なやり甲斐のある任務である。

 沖縄の本土復帰から地方自治体のドクターヘリ態勢の整備が進展した平成20年度までの期間は、災害派遣延べ件数全体が最も多かった期間である。

 仮にその7割が急患輸送であったとすると、1年あたりの延べ件数がおよそ530件(760件の7割)ということになる。これは自衛隊の救難部隊が年中休みなく2日で3件の急患輸送に従事していることになる。

 ドクターヘリの導入が促進された直近の7年間の実績(平成21年度から同27年度まで)からは、自衛隊の救難部隊が年中休みなく毎日1件強の急患輸送に従事していることになる。

災害派遣延べ人員数

 自衛隊の災害派遣は、件数的には急患輸送が最も多いが、派遣人数から言えば全体の9割以上が急患輸送に関わる人員以外の災害派遣の人員である。

 それらは、地震災害、台風被害、豪雨豪雪被害、火山噴火・山林火災などの自然災害、航空機事故・海難事故など、原子力災害、地下鉄サリン事件などの特殊災害など極めて多種多様な事案に対して災害派遣が発動され、これに対処するものである。

 具体的な活動内容としては、被害者あるいは遭難者の捜索・救出、人命救助・患者空輸・防疫などの医療支援、給食・給水・入浴支援などの生活救護支援、人員・物資輸送、除雪・倒壊家屋処理・ごみ処理、火災消火支援などがある。

 災害派遣延べ人員数は、災害発生の有無、災害の種類・規模などによって著しく変動している。

 ここでは自衛隊発足(昭和29年)から平成27年度までの61年間に、年度ごとの災害派遣延べ人員数を見てみる(注:一部集計データの不備なものが4箇年度ある)と、次のことが明らかである。

 1年あたりの災害派遣延べ人員数が、(1)1万人未満の年度はなく、すべての年において延べ1万人以上の隊員が何らかの災害派遣に従事している、(2)1万人以上〜10万人未満の年度が44か年あり最多である、(3)10万人以上の年度は14か年あるが、中でも平成6年の阪神淡路大震災と平成23年の東日本大震災ではいずれも100万人を超えており突出している。

 延べ派遣人員数が10万人以上の災害派遣においては、派遣期間が概ね1か月以上となっている。

 平成7年に起きた阪神淡路大震災では、3か月強に及ぶ災害派遣となりピーク時人員が1万8600人、延べ164万人が災害派遣に従事している。これは、およそ毎日1万6000人が3か月間にわたって災害派遣に従事していたことになる。

 さらに、平成23年の東日本大震災においては、派遣期間がおよそ半年に及び、その間ピーク時10万7000人という全自衛隊員の半数に近い隊員が災害派遣に従事し、延べ人数では1070万人に上る。

 これは過去最大規模の災害派遣であって、毎日約6万人の隊員がおよそ半年間災害派遣に従事していたことになる。

 これらを総じて言えることは、1つには、眼前にある住民や市民の生命や財産を守るという充実感・誇りが、隊員たちの行動の支えとなっているということ。

 2つ目には、自衛隊の本来任務である武力攻撃事態に対して我が国を防衛するための日々重ねてきた訓練、および着々と進めてきた防衛力整備の成果が、災害派遣の現場で生かされているということ

 3つ目には自衛隊の本来任務の遂行と災害派遣との兼ね合いを国のハイレベルで適切に判断する必要があるということである。

自衛隊による国内不発弾などの処理

 不発弾などは先の大戦で我が国の陸上に投下された爆弾あるいは海に敷設された機雷などで、何らかの理由で爆発せずに地中に埋もれあるいは海底に沈んだ爆発物であって、自衛隊法に定められたところにより自衛隊がこれらの処理に当たることとされている。

 これらは信管を取り外して自衛隊の演習場に運び、さらに機雷などであれば安全な海洋に運んで爆破処理する。また発見した際にわずかな衝撃でも爆発する恐れがあって、現場から動かすことが危険なものについては、周辺の安全を確保したうえでその場で爆破処理する。

陸上における不発弾などの処理

 陸上における不発弾などの処理については、陸上自衛隊の不発弾処理隊が実施する。この部隊は関東、中部、西部および沖縄にそれぞれ配備されており、各隊は特殊な専門教育を受けた資格を有する20人の隊員により構成されている。

 防衛省の統計資料(昭和50〜平成27年度)によれば、陸上における不発弾などの処理件数は、昭和50年度から平成元年度までの間、全国で年間およそ4500件から2000件へと徐々に減少していき、平成2年度から27年度まで年間およそ2000件から増減を繰り返しながら1400件へと減少していっている。

 ただし近年(平成19〜27年度)では概ね1400件前後を維持しながら推移している。このうち沖縄県の処理件数は最も多く、昭和50年度から平成元年まででは沖縄が全体の約3割を占めていたが、平成19〜27年度の間では約5割が沖縄である。

 不発弾処理は命がけの危険を伴う作業であり、不発弾処理隊すべてに共通することであるが、特に沖縄にあっては、年間およそ700件もの不発弾処理をわずか20人の隊員で実施している事実は、国民に広く認識してもらう必要があると思う。

海上における機雷などの処理

 海上における機雷などの処理は、地上における不発弾の処理と同じように命懸けの危険な作業であるので、特殊な艦艇と装備そして専門的な教育を受けた隊員とからなる海上自衛隊の掃海隊群がこの任務に当たっている。

 掃海隊群は4個の掃海隊を擁し、呉に2個隊と佐世保及び横須賀に各1個隊がある。

 機雷などとは、海上、海中あるいは海底に敷設された機雷、およびその他の爆発性危険物(魚雷、爆雷、爆弾、砲弾など)のことである。

 記録のある昭和50年度から平成27年度までの機雷などの処理実績を見ると、機雷については最も多い年で年間12個を処理した年があるが、集計すると41年間で193個の機雷を処理している。

 機雷以外の爆発性危険物については、阪神・淡路大震災に伴う港湾復旧工事およびその他の港湾工事などにおいて大量に発見されるケースや極めて少ないケースもあり、年度により処理実績に開きがある。引き続き処理に対するニーズは存在し続けると思われる。

 いずれにおいてもこれら機雷などの存在は海上航行の危険要因であり、これらの処理は海上航行の安全にとって欠くことはできない。

筆者:田中 伸昌