2017年のMotoGP開幕戦は、マーベリック・ビニャーレス(モビスター・ヤマハ MotoGP)が制した。まったく危なげのない優勝で、誰もが想像したとおりの結果といっていいだろう。


トップに立ったビニャーレス(右)は「横綱相撲」で開幕戦を制した ポールポジションからスタートしたビニャーレスはスタートで5番手まで下がったものの、序盤周回でしばらく様子を見たあとペースを上げはじめ、一気に前との距離を詰めた。終盤近くの14周目でトップに立つと、ラスト2周目で2番手のアンドレア・ドヴィツィオーゾ(ドゥカティ・チーム)と若干の駆け引きを演じたものの、圧巻の走りでそのバトルをかわしきり、全20周を終えてトップでチェッカーフラッグを受けた。

 日本風にいうならば「横綱相撲」というような喩え方をしてもいいくらいの、安定感の高いレース内容だった。

 だが、22歳のビニャーレスがヤマハのファクトリーチームでレースをするのは、実は今回が初めてである。スズキからの移籍後初レースにもかかわらず、このチームとマシンで長年戦い慣れたかのようなこの勝ち方は、まるで老練なベテラン選手のような趣(おもむき)さえも感じさせる。

 実際、昨年の最終戦終了後にヤマハYZR-M1に初めてまたがって以来、開幕前に行なわれた3回のプレシーズンテスト(マレーシア、オーストラリア、カタール)では、すべて総合トップタイムを記録してきた。今回の開幕戦のレースウィークでも、走行が始まった木曜のフリープラクティス1回目から、他の選手たちよりも頭ひとつ抜け出したラップタイムで、一貫してトップタイムを記録した。

 移籍初年度であることを考えれば、この安定感の高さは驚嘆すべきことだ。

 一般に、選手が異なるバイクメーカーのマシンに乗り換えた場合、その特性を把握して意のままに操れるようになるまでには、世界トップクラスのライダーといえども、ある程度の時間を要するものだ。メーカーを移った初戦で勝利を挙げた希少な例では、バレンティーノ・ロッシ(ホンダ→ヤマハ:2004年)、ケーシー・ストーナー(ホンダ→ドゥカティ:2007年/ドゥカティ→ホンダ:2011年)などがあるが、これらのケースと比較しても、ビニャーレスの資質の高さは容易に推し量ることができる。

 さらにいえば、今回のレースウィークは不安定な天候に翻弄されて、土曜の走行スケジュールがすべてキャンセルになり、決勝日もスタート直前に雨が降り始めたためにレース進行が遅れる、といった想定外の攪乱要因がいくつも発生した。

 砂漠の国カタールの首都ドーハからクルマで30分ほど走ったところにあるロサイル・サーキットは、砂漠の真ん中に位置している。走行初日の路面はけっして理想的な状態ではない。

 また、今年はレースウィーク前週や最中に何度も豪雨に見舞われたために、せっかく改善されたコンディションがまた振り出しに戻るようなことが幾度も続いた。これらの要素は、別のメーカーに乗り換え、チームを移ったばかりの選手にとって、かなり厳しい条件であることは間違いない。

 にもかかわらず、この勝ちっぷりである。

 ラスト2周でドヴィツィオーゾと繰り広げたバトルを振り返ったビニャーレスは、「少し差を開いておかないと、ドゥカティは直線が速いので抜かれるかもしれないと思った。アンドレアのほうが速いセクターもあって、向こうはそこでコンマ数秒を詰めてきた。自分もできるかぎりスムーズに走って、最終ラップに自己ベストタイムを刻むことができた。ポールポジションから優勝というこれ以上望めない結果になり、ヤマハ移籍初勝利はまるで夢のようだ」と話した。

 ビニャーレスはスズキ在籍時代、あるいはさらにその前のMoto2クラス時代から、次代のMotoGPを担う逸材であると見なされてきた。最高峰クラス3年目の今年は、この開幕戦優勝により、チャンピオン争いの一角を占めることが万人の目にも明らかになった。

 とはいえ、シーズンはここから先17戦の長丁場である。少年時代からの好敵手であるマルク・マルケス(レプソル・ホンダ・チーム)や、あるいは他の有力選手たちを相手に、果たしてどんな激戦を繰り広げるのか。一瞬の隙が命取りになって状況が逆転する緊張感に満ちた戦いになるのだろうが、少なくともレースを観戦する側にとっては、充実した1年を堪能できることは間違いなさそうだ。

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