三菱ケミカルホールディングス会長 小林喜光氏

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■簡潔なメモならばスマホでも十分

この数年、手帳や付箋にメモを書くことがほとんどなくなりました。その代わりに使っているのがスマートフォンです。いまどき「紙とペン」でメモを取るのは時代遅れではありませんか?

私もかつては常に大きめの付箋を持ち歩き、手帳に付箋を貼り付けて、アイデアを練っていました。しかしスマートフォンなら付箋は散らかりませんし、「あ、ペンがない」と慌てる必要もありません。

紙の手帳がメーンだったときには、自分の関心領域に近い新聞記事をみつけると、内容を書き写すこともありました。いま各紙の電子版にはクリッピング機能があり、参照したい記事はボタンを押すだけで保存できます。手元で検索もできますから、分厚い資料を持ち歩かずにすみます。いまも手帳は持っていますが、メモは会社や家族の緊急連絡先くらい。そして念のため秘書が日程を書き込んでくれています。

会議中にメモを取るときも、スマートフォンを使っています。次に自分が何を発言するべきか。忘れないようにキーワードを入力します。

スマートフォンの画面はそれほど大きくありませんから、一度に多くの情報をみることはできません。長い文章を入力するのも面倒です。私が「デジタル人間」に変わってしまった理由を考えると、どんなことでもキーワードやキャッチコピーといった短い言葉で表現することを心がけているからかもしれません。

■わずか7文字に事業を凝集する理由

私は大学時代には放射線化学を研究し、この会社にも研究者として入りました。物理や化学では、どんなに複雑な現象でも、わかりやすい数式に置き換えられなければ評価されません。そのためか、私は「定量的に表現できないものは本物ではない」と考えるようになりました。複雑な事実についても、できるだけ短い言葉で表現しようと試みるのは、研究者としての癖でしょうか。

たとえば当社では「KAITEKI」という言葉を掲げています。これには「時を越え、世代を超え、人と社会、そして地球の心地よさが続く状態」といった意味を込めました。全社の売上高が約4兆円に上り、製品も石油化学から医薬品まで多岐にわたるなかで、我々はどこに向かうべきなのか。環境・社会課題の解決に貢献し、持続可能な社会を築いていくには、何をすべきなのか。オリジナルな言葉で表現したいと考え、私自身が知恵を絞りました。

どんなに複雑な事実でも、ポイントを凝集させれば、短い言葉に置き換えられるはずです。散文的な表現や冗長な文章はわかりにくいですし、人に訴えかける力も弱い。短文で表現しようと頭を巡らせることは、情報の整理や理解にも役立ちます。

必要な情報を凝集させたキャッチコピーは、普段の仕事にもたいへん役立つものです。そのことを実感したエピソードがあります。

2000年ごろ記録メディアを扱う子会社の社長だったとき、売上高約500億円、毎年約50億円の赤字事業の再建を命じられました。再建の条件は「1年後までに売上高利益率5%以上」。「達成できなければ事業から撤退する」とも言われました。そのとき私は10項目の事業計画をまとめ、旧約聖書の故事になぞらえて「十戒」と名付けました。

旧約聖書では軍隊に追い詰められたモーセが、海を割ってエジプトを脱出する故事が語られます。モーセがその後、シナイ山で神から授かるのが「十戒」です。モーセが海を割って危機を脱するシーンは何度も映画化されており、みなさんもイメージが湧きやすいと思います。

私が打ち出した事業計画「十戒」も、まさに絶体絶命の危機からの脱出を目論むものでした。幸い、外部への生産委託などを核にしたこの再建はうまくいき、収益は好転。利益率は目標の5%を大きく上回る15%にまで上昇しました。「倍返し」ならぬ「三倍返し」です。自分たちの置かれた状況を「十戒」という言葉でわかりやすく表現したことで、現場が奮起し、事業計画が滞りなく実施されたのだと思います。

またこの数年、スピーチをする機会が増えたのですが、その際にも事前に骨格となるキャッチコピーを書き出すようにしています。

■原稿を読まずに30分で話すコツ

私は原稿を読むようなスピーチは好きではありません。ただ、いまは経済同友会の代表幹事を務めていることもあり、発言には責任が伴います。事前の準備は欠かせません。まずは箇条書きで複数のキャッチコピーを書き出し、秘書に事実関係の確認や話題の肉付けを頼みます。何度かやりとりを重ね、スピーチ原稿をまとめます。30分間では、A4用紙で7〜8枚分になるでしょうか。

スピーチの前、原稿のなかからキーワードを拾って、話題の漏れや抜けがないようにメモを準備しておきます。気軽なスピーチでは原稿は読まずに聴衆の表情や反応に応じて、アドリブで話を進めます。キャッチコピーを軸に準備しているので、小さなメモをみるだけでも、話したいことをしっかり伝えられるのです。

最後に、いま私が提唱している“z=a+bi”という方程式について説明させてください。これは本来、「複素数」という数学の概念を示すものなのですが、私は現代社会を表現するキーワードとして読み替えられると思うのです。「a」は重さのある原子(atom)、「b」は重さのないデジタルデータ(bit)、そして「i」はインターネット(internet)。つまりこの式によれば、現代社会「z」とは、重さのある実物経済と重さのないネット経済の組み合わせとして捉えられます。

複雑な物事をいかに凝集させるか。キャッチコピーを考えることは、情報整理にも役立ちます。ぜひ取り組んでみてください。

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三菱ケミカルホールディングス会長 小林喜光
1946年、山梨県生まれ。71年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了。海外留学を経て、74年三菱化成工業(現・三菱化学)入社。96年記憶材料事業部長兼三菱化学メディア社長、2007年三菱ケミカルHD社長。15年より現職。同年より経済同友会代表幹事も務める。理学博士。
 

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(山川 徹=構成 遠藤素子=撮影)