又吉直樹作、第153回芥川賞受賞作品「火花」。

夢路いとし・喜味こいし、大阪市が指定無形文化財に指定した大御所中の大御所の漫才師だ。そのいとしこいしが何十年にも渡って披露し続けた名作“ジンギスカン”を、火花で徳永(林遣都)と神谷(波岡一喜)が再現した。このシーンをドラマ版と、小説版で見比べてみたい。


ドラマ版“ジンギスカン”


ある日、主人公の徳永は、“夢路いとし・喜味こいし”の夢路いとしの訃報を耳にする。少年時代にテレビでいとしこいしの漫才を見て、いてもたってもいられなくなり、雨の中家を飛び出した事を思い出す。同じようにテレビを見ていた現在の相方である山下(井下好井・好井まさお)と出くわし、その場でいとしこいしの漫才“ジンギスカン”を合わせたのだった。

大人になった今も徳永の衝動は変わらず、ネタ合わせをしようと家を飛び出す。しかし、急に呼び出された山下はどこかやる気がない。「俺の言葉を聞いてから反応しろ」「何回もやっているネタだからムリ」。ケンカに発展してしまう。

ムシャクシャした徳永は、神谷に電話をかけた。すると、神谷は「好きな食べ物なんや?」いとしこいしの漫才のネタ振りをしてきた。最初は戸惑う徳永だが、途中で気づき「鍋です」と返す。二人は電話越しでニヤニヤしながら漫才“ジンギスカン”を始める。

「現実は上手くいかないけど、やっぱり漫才っていいなぁ。神谷さんはわかってるなぁ」というシーンだ。

小説版“ジンギスカン”


このシーン、原作ではかなり内容が違う。まず、いとしこいしの名前が出てこない。「テレビで大師匠の訃報が報じられた」とだけしか記されていないのだ。さらには少年時代の回想シーンもない。

訃報を聞いた徳永は、いてもたってもいられなくなり、山下を呼び出すがドラマ版と同じようにケンカをしてしまう。そして、神谷に電話をかけた。ここは同じだ。

「一番好きな食べ物なんや?」と電話口から神谷が問う。しかし、徳永はこれがなんだかわからない。現実的に家でこれから食べられるものをと考え、偶然にも“ジンギスカン”と同じように「鍋です」と答えた。

原作の徳永は“ジンギスカン”を知らないのだ。しかし、元ネタを知っている神谷と知らない徳永のやりとりは、「あんた鍋食べんの?」「よう食べてますやん」「えらい丈夫な歯してんねんな」「いや、違いますやん」、まるで漫才のように続いていった。

これは、偶然にも徳永が山下に言った「話を聞いてから返せ」という言葉の本質を意味している。漫才とは、ちゃんと相手の話を聞いて答えるもの。それを徳永が体現しているのだ。つまり“徳永は間違っていなかった”というシーンだ。

ドラマと原作でニュアンスは変わっているが、これはドラマ制作陣が作者・又吉直樹の夢路いとし・喜味こいしへの思いを組み取り、あえて直接的な表現にした結果ではないだろうか。このシーンを作ったことによって、相方とのすれ違い、神谷を敬う気持ちは、より強くわかりやすく表現出来ている様に思う。そしてなにより、久しぶりの“ジンギスカン”は、ちょっと泣けてしまう。
(沢野奈津夫)