終戦直後の混乱期などを除き、一見、安定して見える戦後の平和な社会において、現代ほど世の中の根底を支える価値基準が大きく揺らいでいる時代はないだろう。

 新聞やマスコミを連日賑わす報道の大半は、既存の価値観や世の中の基準では有り得なかった信頼性の喪失にまつわる事件ばかりで埋め尽くされている。そうした世相を反映してか、書店の店頭には、「品格」の二文字が付記された書物が積まれ、多くの人々が世の中の「正義」や「礼節」の消失を嘆いている。

 食の安全から、政治責任、国家や生活の安全から教育の荒廃、世界中に蔓延する拝金主義に至るまで、まことに嘆かわしい限りである。我々は、そうした現実に直面するたびに、「恥を知れ!」という言葉を心の中で呟いている。いや、もはや今の若い世代は、この言葉の意味すら教わっていないのかもしれない。

 しかし、いつの世にも、世の中の価値観がどう変ろうと、「普遍的な正義」というものは確実に存在する。それはあたかも、戦国史において、たった一度の裏切りや寝返りを行なった武将が、未来永劫にわたって卑怯者のそしりから免れない現実と表裏一体の価値観である。

 そう考えれば、我々が人生の道に迷った際に取るべき選択は自ずと決まってくることが判るだろう。

 例えば、会社生活において、企業ぐるみでの不正や背任行為は意外なほど、身近なところに存在しているのである。“郷に入れば、郷に従え”や、“長いものには、巻かれろ”という諺も、組織の中における処世術の一つだといえるだろう。

 けれども、そうした環境の中で、自分の中で違和感を覚えることや、どうしても納得できないことがあれば、自分の心の声に素直に従うことも、また一つの正道である。

 “悪の栄えた例(ためし)はない!“とは、フィクションの中で正義の側がよく口にする言葉であるが、現実の世の中というものは案外、“天網恢恢、疎にして漏らさず”であったりするものなのである。

 どうしても違和感をぬぐえない不正やアンフェアは、いずれ世の中の自浄作用により、無様な姿を露呈することになる。事実、今や多くの企業でコンプライアンスを重視する経営ポリシーが打ち出され、その相乗効果により自ずと不正や不正義は滅び去るものなのである。

 とはいえ現実社会において、「恥を知った」生き方を貫き通すのは、並み大抵の苦労ではないだろう。

 けれども遅かれ早かれ、不正は暴かれ悪は滅びるという大宇宙の予定調和的な結論が待っているのであれば、途中で寝返ることなく、当初より自分のポジションを明確にしておくことも賢明な生き方ではないか?

 “急がば、廻れ”という言葉もあるように、ゴールは決まっているのであれば、最初の時点から我々日本人に相応しく「武士道精神」に則った、どこに出しても誰に見られても恥ずかしくない生き方を選択すべきであろう。

 そうした選択を積み重ねた結果であっても、必ずしも思うようにいかないのが、世の中の常というものである。しかし、少なくとも自分の中では、堂々と「恥を知った」生き方を貫き通せた、心の清々しさを手にすることが出来るのである。