17日、京都を訪れた中国人観光客が、京都大学を見学した際の感想を旅日記につづった。

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2017年3月17日、京都を訪れた中国人観光客が、京都大学を見学した際の感想を旅日記につづった。

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京都では比較的時間に余裕があったので、今日は夫の願いをかなえるべく、夫が憧れていた梅小路蒸気機関車館へ行くことに決めた。これまでの人生でいったい何があって、夫がこんなにも乗り物が好きなのか私はよく知らない。飛行機の型番、列車の時刻表など、日本に来てからはその症状が悪化して、駅の看板を見るたびに写真を撮る始末だ。だから、博物館見学はこのおじいさんに対する慰労になるだろう。

でも、不幸なお知らせがやってきた。蒸気機関車館は改装工事中で、4月にならないと再オープンしないのだという。仕方がない、秀才くんの次の願いをかなえるとしよう。それは京都大学訪問だ。この男の脳みそにはいったいどんな世界が広がっているのだろうか?私にはまったく理解できないけど、理解できない中で理解を深めることにしよう。

ついに秀才くん念願の京都大学にやってきた!ちょうど冬休みで学校はやっておらず、学生のいない学校は魂が抜けたような抜け殻だった。有名な吉田寮は、築100年を超えていまだに現役で使用している。そのおんぼろさは想像を超えるが、無数の若者たちがここで青春を過ごしてきたのだ。

中国では教育の大躍進に伴い、どれだけの大学が誰もいない田舎に高楼の建物を建て、学生たちは学校の食事や宿舎を比べ、恨みつらみや文句やらを言ってきたことか。学校は人とお金を使ってサービスに徹し、積極的に学生たちの生活環境を改善してきた。まあ、お偉いさんたちの検査対策でもあるのだが。でも学校の本当に意義はどこにあるのだろうか?誰か質問したことがあるのだろうか?中国の多くの学校はもはや学府としての威厳はなく、サービス業へと成り下がってしまった。

この中国の現状と比べると、京都大学の設備は貧乏くさいと言える。100年以上前の宿舎を今でも保存し、使用しているのだ。でもこのことから、学者としての余裕と自信がよく分かる。率直に言って、観光の角度から見れば京都大学には見るに値するものは特にないが、学府という観点からすると、学問の積み重ねによってできた風格が感じられる。

このような大学を痩せた学者に例えるなら、中国の多くの大学はぶくぶく太った成金だ。京都大学は「自重自敬、自主独立」を理念としているが、考えてみると学者たるものは、まず身をもって体験し努力実行することで、実践することを会得するのだと思う。

京都大学で心清らかな気持ちになったとはいえ、旅行客としての私にとって、せっかくの1日を冬休みの学校と駅で過ごすだけではもったいないということで、夜の伏見稲荷大社へ行くことにした。夕闇が空を覆い、京都大学の外にある小さな書店から静かで温かな光が漏れていて、この温かさの中に本の香りが漂うかのようであった。(翻訳・編集/山中)