Acid Black Cherry

写真拡大

 Acid Black Cherryが3月22日、ライブ映像作品『10th Anniversary Live History -BEST-』をリリースした。同作は、2017年7月18日よりソロデビュー10周年となるAcid Black Cherryの全19枚のシングルと、デビュー前に制作され、“0thシングル”としても配信されている「君がいるから」を含めた全20曲を、今まで行ってきた様々なライブの時間軸とともに振り返る内容だ。音楽ライターの武市尚子氏によるABCの10年の歴史を1年ずつ振り返る連載が3月22日よりオフィシャルFacebookで公開されており、今回リアルサウンドでは同連載を3回に分けて掲載する。(編集部)

・【2007年】 Acid Black Cherry 2007 FREE LIVE

 yasuがAcid Black Cherryとしてソロ活動を始めたのは2007年。ソロ活動をスタートさせる上で、yasuが選んだ始まりは、予想外のものだった。

 事前告知一切なし。全国15ヶ所のライヴハウスで、地元バンドの前座として出演するという、前代未聞のシークレットライヴツアー。

「いきなりワンマンじゃなく、イベントで対バン相手が居る環境でやってみたかった」

 そんな想いのもと、Acid Black Cherryは敢えて、過酷な道からのスタートを選んだのである。

 日本武道館や大阪城ホール、さいたまスーパーアリーナなどを即完させる実力を持ったバンドであるJanne Da Arcのボーカリスト・yasuのソロプロジェクトであれば、最初からホール規模でのライヴも可能だったに違いない。しかし。

「ライヴ会場に行けば、ライヴに必要なものはなんでもたくさんのスタッフが揃えてくれてるっていう状態が当たり前になってきていたから、そういうのに慣れ過ぎてるんちゃうか? って思ってた時期でもあって。せっかくソロで活動するなら、いい機会やから1からやりたいと思って、最初のライヴは、ほんまにまっさらな状態で、インディーズ時代に経験してきた環境でライヴしてみたいなって思って」

 yasuは、この言葉どおり、2007年の5月6日〜6月10日という期間に、ライヴハウスの通常ブッキングの前座として、15本のライヴを敢行した。PAも照明も全て現地のライヴハウスの人に託し、メンバーと機材車を運転するマネージャーだけで全国をまわる。走行距離は5,000キロ。お客さんは現地の対バン相手のお客さんのみで、場所によってはゼロに近い、そんな状況だった。

 ただ、その状況の中でもyasuのパフォーマンスは、いつでも全力だった。お客さんがいようがいまいが、全く変わらない。yasuはyasuのスタイルのまま、シークレットツアーをやりきったのだ。

 このツアーの終了後、Acid Black Cherryの名前は正式に告知され、7月にデビューシングルを発表することが告げられた。

 その後に行われた新宿ステーションスクエアでのゲリラライヴには、実に5000人もの観客が集まり、2曲を演奏したところで警察からの指示を受け、ライヴの中止を余儀なくされた。

「もちろん、結果を求めてないって言うたら嘘になるけど、それよりも、それよりも………なんやろね、ほんまにただガムシャラやったと思う。なんとか形にしなくちゃっていう気持ち1つだけやったと思うな。俺にはこれしか出来へんから」

 やるからには全力でその物事に向き合っていく。

 そんなyasuの姿は、このプロジェクトに関わるスタッフやサポートメンバーの心をも一つにした。
 Acid Black Cherryはこの時、一つのプロジェクトが本格始動するためのスタートラインに立ったような想いだったのではないだろうか。
 そして、そのシークレットツアーを終えたyasuの視線の先にあったもの。それが、2007年に行われたフリーライヴだった。

 「Acid Black Cherry 2007 FREE LIVE」は実質、Acid Black Cherryをファンにお披露目するという、いわば初めてのライヴである。

 このプロジェクトを始めるにあたり、yasuは何よりもファンのことを強く思ったという。

 そこで改めて感じた“ファンの人がいたから、僕は音楽をやれているんだ”という想い。その想いは、このライヴを入場料を設けずFREE LIVEというスタイルにしたところにも表れていた。

 また「Acid Black Cherry 2007 FREE LIVE」では、シークレットライヴツアーで演奏してきた曲の他に、yasuはもう1曲、大切な想いを乗せた曲を披露した。

「君がいるから」ーーー。

“君がいるから 僕がいるんだよ”と唄われるこの楽曲は、yasuがAcid Black Cherryを始動させるにあたって、最初に作った曲だという。

 ファン(=君)がいるから、自分(=僕)がいる。

 君が笑顔になるなら、僕は唄うよ。

 このツアーで唄った「君がいるから」には、ファンへの感謝の想いと、これから唄い続ける意志を込めていたように思えた。

 こうして第一歩を踏み出したAcid Black Cherry。

 大切な「君」に唄を届け続ける物語が、ここから始まったのである。

・【2008年】Acid Black Cherry 2008 tour “ BLACK LIST ”

 2008年2月20日。Acid Black Cherryは初めてのオリジナルアルバム『BLACK LIST』をリリースした。

 『BLACK LIST』は、主にカトリック教会において《傲慢》《物欲》《嫉妬》《肉欲》《憤怒》《貪食》《怠惰》という感情が人間を罪に導く可能性があるとする、いわゆる【七つの大罪】をモチーフとし、「人は生まれながらにして罪人なのか」というテーマを掘り下げた作品である。

 ソロとして、初めてのオリジナルアルバムを作り上げる過程でのyasuは、一切の妥協も許さなかったという。

「『BLACK LIST』のコンセプトは、ソロを始めた直後くらいからなんとなくあった。シークレットライヴツアーをするために、ある程度曲を作り溜めていたから、それもあって、なんとなく絵が見えていたというか。ボヤッとなんとなく頭にはあったかな。曲を作り溜めていく流れの中で、なんとなく自分の中でもストーリーが見えてきた感じやったというか。だから、結構早い段階から構想はあったね」

 アルバム『BLACK LIST』で、yasuは自分自身を再発見したこともあったという。

「自分がこんなにこだわりがあるとはね。俺って、結構めんどくさいヤツなのかもしれないね(笑)」

 そして、このアルバムを引っさげ、全国26ヶ所27公演の『Acid Black Cherry 2008 tour “ BLACK LIST ” 』がスタートする。

 このツアーは、3月6日の京都MUSEを皮切りに全国20都市20公演のライヴハウスツアーと、5月2日の福岡市民会館を皮切りに全国6都市7公演(※4月30日に三郷市文化会館で行った公開ゲネプロも含む)のホールツアーという、Acid Black Cherry初の単独ツアーとなった。

 やるからには、その物事に一生懸命立ち向かうyasuだからこそ、『BLACK LIST』を届けるツアーにも人一倍のこだわりと熱意があったに違いない。

 だからこそ、そこにはそれなりの不安もあったという。

 しかし、ファイナルの日本武道館で、13,000人を目の前にするyasuのパフォーマンスは、そんな不安など微塵も感じさせないほど圧倒的なものであった。

 ツアー中、Acid Black Cherryの音を再現してくれるサポートメンバーたちとも、積極的に向き合って、その人間性や音楽性も深く知ったyasuは、ツアーを回る中で“曲が育っていく”という感覚も実感したと言う。

 そしてこのツアーでは、シークレットライヴツアーの時から披露し、『BLACK LIST』に収録されていない「20+∞Century Boys」も演奏している。

 今ではAcid Black Cherryに欠かせない代表曲の一つであるこの曲もまた、このツアーで大きく育った楽曲となった。

 今作の映像でもそうなのだが、アンコールで届けられることが多いこの曲の中で、“分かるか?”と叫び、ライヴの最後には必ず会場内を隅々まで見渡すyasu。

 この曲に込められた想いを、ダイレクトに感じるような、そんな瞬間である。

 こうして『BLACK LIST』ツアーは、大盛況のうちに終了した。

 この当時のyasuは、“動き出した今”をしっかりと見つめて向き合い、ただただ真摯に唄っていた様に思う。

・【2009年】『Acid Black Cherry 2009 tour Q.E.D.』

2008年のtour“BLACK LIST”終了後、Acid Black Cherryは、2ndのアルバム制作に向けて動き始めた。

 11月には、6thシングル「ジグソー」を発表。この「ジグソー」の歌詞ができたことで、のちのアルバムのストーリーが明確になっていったのだという。

 そして、2009年2月には「眠り姫」をリリース。購入者特典として、恵比寿LIQUIDROOMでライヴを行うなど、精力的に活動を行なっていった。

 7月には、シングル「優しい嘘」を、そして、8月26日にはついに、2ndアルバム『Q.E.D.』を発表した。

 このアルバムに描かれたのは、真実が明かされることのないまま、犯人に見なされ、事件が迷宮入りし、Q.E.D.(=証明終了)とされてしまった男の物語である。

【人は人を裁けるのか】をテーマにしたこの物語は、人間の業や、内面に潜む深層心理を深く抉っていたところも特徴的であった。

 Acid Black Cherryはこの年、このアルバム『Q.E.D.』を引っさげ、9月16日から11月2日まで全国15ヶ所15公演でライヴをすることを発表したのだが、やはり、このツアーで印象深いのは、初日の数日前に声帯のう胞が発症したことだ。初日であった公開ゲネプロの突然の中止報告には驚きを隠せなかったが、ツアーの中止も懸念された中、予定どおりツアーは決行された。

「俺の喉の調子が悪いことは、お客さんには関係ないから。ベストな状態で唄えないことを、しかたないとは思えなかったし、それを言い訳にしたくない。ほんまはベストな状態のときを見てほしいから、本当のことを言えばツアーを中止にして改めてスケジュールを切りなおしたいって思ったけど、そういう訳にもいかない状態やったから、もう選択すべき道は1つだったというか」

 そんなyasuに対して事務所も、ツアーが始まる段階から、“あまりにも辛かったら中止を考えてもいい”と伝えていたのだが、yasuはその言葉をバネに、不安を抱えながらも1本1本のライヴに“どうか、今日も最後まで無事に唄えますように”と祈りを込め、とにかく必死で向き合ったのだ。

「毎回、マネージャーがライヴ終わる度に、“いつ辞めても大丈夫ですよ”って言ってくれて。それがほんまに救いやった。ここがね、規則を設けられると破りたくなる俺の性分というか(笑)。 “大丈夫。やれる”ってね(笑)。今やから笑って話せるけどね、でも、本当にそうやったと思う」

 このときのツアーは、最後の曲を唄う前のMCまでくると、yasuは内心、“良かった。今日もここまでちゃんと唄えた……”と胸を撫で下ろしていたのだと言う。

「お客さんに対して申し訳なくてね。そんな状態が嫌で嫌で。いつもと変わらないライヴせな、みんなに失礼だって思ってた。俺が逆の立場やったら、完璧じゃない状態ならステージ立つなよ!って思うから。そう思わせないようなライヴをせなアカンっていう思いはあった。出来ないならやんなきゃいい。でも、人間って、出来ないことに対して、何か理由を付けようとするでしょ。それが嫌で」

 この時の映像からは、そんなyasuの葛藤が滲み出ている気がしてならない。

 このファイナル公演の最後では、自分たちのために必死で声を張り、唄を届け、ツアーを最後までやりきってくれたyasuに、“yasuありがとう!”と、涙ながらに叫んでいたファンたちの声が飛び交っていた。ツアー中の楽屋には、各地のファンたちから届けられた千羽鶴が飾られていたことも、はっきりと記憶に残っている。

 どんな状況でも、真っ向から物事に立ち向かうyasuは、このツアーでもAcid Black Cherryというエンターテイメントを存分に魅せ、さらにyasu自身の生き様を魅せてくれた様に思う。

 yasuはこのツアー『2009 tour “Q.E.D.”』終了後、治療(手術)に専念するためAcid Black Cherryとしての活動を一時休止することになる。
(文=武市尚子)